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ご飯を作りながら、ゴミ削減のこと、環境問題に与える小さな小さな影響のことなどなど考える。

去年の冬からずーっとハマっているのが、ストウブ鍋にいろいろ野菜をぶち込み、塩麹、オリーブオオイル、ほんの少しの水をジャと加え、火にかけて10−15分火ほっぽらかしにするだけ、という、料理ともいえないような野菜の煮込み。ブロッコリー&フィノッキオ&にんじんが去年のヒットだったけど、今年は今、家の畑で熟したカボチャ消費週間なので、カボチャ&カリフラワー(たまたま冷蔵庫にあった)&にんじん(いつでも冷蔵庫にある)&生姜たっぷりにハマっている。とろとろに溶けた野菜たちの甘味、塩麹の甘じょっぱさ、そこにピリピリの生姜がたまらないおいしさで、野菜をモリモリ食べてます。

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↑見た目は全然素敵じゃない。笑 でもモリモリそのまま食べたり、ご飯にかけて食べたり。昨日は赤米のご飯と一緒に。

ここ何年か、生ゴミをなるべく少なくするように気を付けてみると、これだけ作って、これしかゴミが出ないのはいまさらながら驚き。カボチャのヘタの部分、にんじんのヘタ、ブロッコリーの葉のちょっと傷んだところだけ。

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かぼちゃはワタも鍋に一緒に入れて煮込む。タネは洗って干して、ナッツのように食べよう。にんじんも生姜もビオのものだから、皮を剥かない。自然療法の本などには、野菜の皮を食べると、肌(人間の皮?)が丈夫になってアトピーなどにいいと書いてある。本当かどうかはわからなけど、野菜でも果物では、身と皮の間に一番栄養素が詰まっているというから、皮を捨てちゃうなんてもったい話なのだ。と、そんなふうにしてると、生ゴミは本当に少なくなっていく。

私の生ゴミが減ったからといって、食料廃棄の問題とは直接関係ないかもしれない。私が捨てていたニンジンの皮が、食料の足りない人のところへ行くわけではないからだ。それでもエネルギーの削減には、ほんの少しだけ協力できているのかもしれない。皮やらいろいろ捨てないおかげで、私の可食部分は増えているわけで、だから買う量が相対的に減っている。ニンジンを生産するための水やエネルギーや人的エネルギーや、ニンジンを運んでくるためのエネルギー、店に並べて売るためのエネルギー、売る人が通勤してくるためのエネルギー、そして私が買いに行くためのエネルギー(ガソリン代とか?)などなど。ほんの小さな瑣末なことだけど、地球の全人口でかけたらすごい数字になるかもね。

でもこれって、資本主義的には不都合な事実なんだろうな。だから環境問題に本気で、積極的に取り組みたくない企業が多くて当たり前なのかも、ということに今さらながら気づく。積極的に取り組む企業は大きく取り上げられて賞賛されているけど、それは逆を言えば、取り組む企業が少ないから?

ナオミ・クラインの『地球は燃えている』を読むと、個人がちまちまと努力しただけではもはや間に合わない段階まで、地球の温暖化は深刻化していると書かれている。各国政府や大企業が、口先だけのSDGsじゃなくて本気で取り組んでくれないと、大火事になりかけている私たちの家の火を消すことはできないって。グラスゴーで開催されたCOP26で、各国も企業も口先ばっかり!とグレタちゃんも怒っている。


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