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他人を信用したいし、自然にも笑いたい

物心ついてからこの方、人を信用する必要があるなんて考えてこなかった。というか、自分が他人に不信感を持っていることも知らなかったくらい、人を信じるなんてことを考えてみたこともなかった。

人の心中なんて分からないし、重要な気持ちほどわからないものだと思ってる。これは、私自身が人と関わる時の基本姿勢を投影したものなんだなぁと気がついたのは、ほんとにここ1年くらいだ。

私の自己評価は、「よく笑い、よく喋り、その代わりよく泣いて、よく怒る」みたいな感じ。よく笑うのは、表面的に嫌われないためが半分と、笑っておいたほうがいい場面に遭遇するのが1/4と、残りは自分がほんとに笑いたい気分であることに起因する。よく喋るのは他人への興味と、自身が何を発話するのかへの興味のために。よく泣くのは自分の気持が溢れやすいから。よく怒るのは「嫌なことに嫌と言って、許せないことを許さない」マイルールがあるせい。
「嫌なことに嫌と言って、許せないことを許さない」ことは、簡単に自分の気持ちを押し殺さないようになるために重要なステップだった。それをマイルールにしはじめた時から今日までの約1年は、実際自分自身を知るのに大いに役立った。素直な気持ちを透明化しないためには、ただヘラヘラ笑ってみせるだけではダメなんだと気がつくきっかけでもあった。

私が笑顔になるときの半分が波風立てずに嫌われないため。人から嫌われることがそのまま自分が嫌な思いをすることに繋がると、経験で知っている。
だけど1/4は本当に笑いたい気分だから笑顔になっているとも思う。口角が上がっちゃう、口開けて笑っちゃう。そういう日もだんだんと増えてきた。

だけど、笑顔というのは不思議な記号で、例えばカメラの前、好かれたい相手の前、まだ関係値のない人の前でも平気で発動される。「今笑っておいたほうがいいな」と思ってから笑顔になるまでにかかるまでの過程が自分の中で自動化されすぎて、気持ちに素直に笑うときと見分けがつかないことが多い。
それに、笑う前に区別がつかないから、どちらも顔を作る隙がある。ブサイクに笑わないように、ぎこちなくならないように、そんなことを思いながら笑ってきた。表情から本音を見透かされそうで口元を隠すことが多いし、そうでなくても表情筋をコントロールしている感覚が割といつもある。

自分がこんな感じだから、人の表情すらもその人の気持ちを知るための手段とはなり得なかったのだと思う。笑っていても腹の中でどう思っているか計り知れないし、言葉が伴っていても口では何とでも言えるしなぁと思ってしまう。
多分私はいつも、人を信用しなくて済む道を探しながら人と接してきたんだなとやっと気がついた。

「自分を大事にしないと人を大事にできない」なんていう言葉は、人間関係に悩む人がGoogleとかの検索エンジンに助けを求めればすぐに出てくるものだ。いや、わざわざ調べずともSNSで流れてくることも少なくない。なんですか?それは。他人を大事にする方法って、そんなに限定的な条件なの?と正直思う。献身性というものを考えれば自己犠牲的なマインドが他人を大切に扱うことを可能にすることもあるだろ!と思う。きっとこれは一昔前のバズワードであり、だからこそ私の脳裏に刻まれてしまった呪われた方程式だ。

だけど、今流行りの「持続可能性」を考えてみたらこの折衷案は結構的を得てるのかもしれない。今だけは相手だけを大事にしてもいい、だけど仮にそれをあと何十年も続けるとしたら、自分の気持ちを無下にし続けた対価として私が先に限界を迎えるのかもしれない。
でも、そんなギャンブルが私は嫌いじゃないような気がする。賭けに負けたら、負けた〜〜っつって笑えばいいじゃん。そんなに難しいことじゃない。

誰かを信じてみたい、その危うさに身を投げてみたい。変わらないって信じてみたい。きっと何もかもが変わっていって最期は賭けに負けるんだろうけど、それでいいじゃないかと今思い始めている。その賭けに負けた後にゴネるのは私の思う格好良さとは違うから、きっとそうはしないだろう。
それに、賭けてみることが今はすごく大事な気がする。危うさの中でも、負けたあとでも、私は倒れまいと奮闘するんだろう。それくらいの自信が今、やっと備わってきた。

歳を重ねるってすごい。最近、物心ついてから初めて人生で一番素直な笑顔を浮かべたような気がする。仲良くしたい人の前で、ぎこちなかったらいけないし可愛く笑わなきゃいけないと頭でたくさん思っていたのに、それができないまま気づいたら笑顔になっていた。人前であんな無防備な顔ができるんだって、私自身のことをすごく好きになった。

歳を重ねるってすごい。色んな曲の歌詞がちょっとわかってきた。意味なんてないと軽やかに歌う歌詞が、メジャーコードに載せた誰かと同じような人にはもう会えないという歌詞が、恥ずかしいほど真っ直ぐに誰かに愛を伝える歌詞が、前よりもちょっとだけ分るような気がする。

歳を重ねるってすごい。いつの日からか、立ち直れないくらい凹んでも、それを報告したり笑い話にできる人が周りにいることを疑わなくなった。

誰かを信じるより前に、私は私のことを信じられるようになったんだなぁと思う。誰よりも取り繕おうとしてきた私が、誰よりも自分に素直で居ようとしている。そして、だからこそ誰かを信じてみたい気分になった。

やっぱり私は、私自身を変えてしまうような出会いが大好きだ。環境や周囲に合わせるように掴みどころなく変わっていってしまう私のことが大好きだ。そんな気分にさせてくれる周囲の人たちが大好きだ。




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