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過疎地域のバウンダリーオブジェクトを妄想してみた

昨年度より参加していたXデザイン学校リーダーコースでは、個人テーマに授業で得た学びを反映させて最終発表を行います。今回、私は「市民のデータ主権と過疎再生のデザイン」をテーマにチョイスしました。個人的な関心領域である「ソーシャルデザインとデータビジュアライゼーションの関係性」を紐解く題材として、興味深いトピックだと捉えています。

「DAOによる過疎コミュニティの活性化と住民の活動により生まれるローカルデータの名産品化が出来ないか」。この問いに辿り着いたのが学びの成果と言えます。モヤモヤしていた頭の整理として良い機会になりました。

内容はまだこれからなのですが、現時点の仮説推論を少しフォーマルに書いておきたいと思います。

  • DAO(分散型自律組織)をベースとした住民及び関係人口のオートポイエーシス(自己組織化)なコミュニティ形成にポテンシャルが感じられ、先進デザインアプローチによるサポートを通じて拡張・維持が見込まれる

  • NFT技術により住民活動が生み出すデータを資産化することで、デジタルデータの利用主体がプラットフォームから個人に移り過疎復興のきっかけになる可能性がある

今回はこれまでの思索の経緯を言語化してみたいと思います。

過疎の村のコミュニティルポから始まった


過疎をテーマに選んだきっかけは、昨年執筆した高知県大豊町豊永郷のコミュニティルポでの取材経験からでした。高知県と徳島県の県境にある人口3000人強、高齢化率63.6%という典型的な過疎の村。高知では「限界自治体」と認定された最初の地域として紹介されることもあります。

外からの訪問者にしてみれば、吉野川沿いの山村風景やラフティングなどの自然を生かしたアクティビティが魅力的です。でも人に眼差しを向ければ、土地に根付いた珍しい風習や歴代の住人達が紡いできた結の文化など、都市部では失われてしまった民俗的コンテンツに魅了されます。

「文化は波紋のように広がり辺縁に残る」。柳田國男は方言周圏論で言語の広がりを蝸牛(カタツムリ)を例を示しましたが、言葉以外でも都文化の風習が山間地域には残っています。この豊永郷だと平安文化の名残が見られる野辺送りや岩原・永渕神楽がそれにあたるでしょう。鎌倉仏教以前のアニミズム精神を持つ文化様式や考え方は、実は二項対立的な世界観に疲れ果てた21世紀の我々にとって福音になるのでは、というのは個人的な考えです。メディアでも東洋思想の見直しを語る切り口を時折見かける気もします。

かたや「イノベーションは辺境から始まる」というのもイノベーション論では定番です。辺境ではイノベーションのジレンマは起きにくいし、挑戦の自由もさることながら生きていく為に必死であること、何より「自分ごと」であるのが強みですよね。

一般化されたストーリーは「過疎は止められず、細々と維持して生きていくしかない」となるでしょうか。民俗的コンテンツを魅力的な文化コンテンツに昇華させることができれば、よりポジティブなストーリーへとリフレーム出来るかも。そんなアイデアから今回の問いを思いつきました。

『DAO』というバウンダリーオブジェクト

人の繋がりを軸に考えるとき、「場を作る」ことは最初に思いつくアイデアの一つではないでしょうか。今回Xデザインで学んだ、バウンダリーオブジェクトという概念が筋が良さそうだと直感的に感じました。

バウンダリーオブジェクトは「バウンダリー・オブジェクトとは、異なるコミュニティやシステムをバウンダリー(壁)をこえて繋ぐ存在」。この存在(オブジェクト)は空間、活動、ツールでもあり得ます。抽象的な形態の場合もあって、その場合はシンボルや言葉もオブジェクトとして機能するでしょう。デジタル観点で捉えるとDAOやNFTが上手くフィットしそうです。

実は山古志村の「Nishikigoi NFT」がこのデジタル発想をベースにした取り組みを既に実現しています。始まったばかりですが、NFTアートであるデジタル住民票がまさにバウンダリーオブジェクトとして機能していて、「デジタル村民」によるさまざまな活動が活性化しています。

「限界集落 x NFT」という遠い存在同士の掛け合わせが秀逸です。まさに辺境で生まれるイノベーションの好例ではないでしょうか。

デザインの力で増幅する可能性

デジタル住民票やNFTアートは技術を前提とした仕掛けに過ぎません。これらがバウンダリーオブジェクトとして機能する為には、様々な繋がりや相互作用の中で人々の関係性を育てて行く必要がありそうです。言い換えると、バウンダリーオブジェクトであるかどうかは参加する側が提示された環境をどう認識するかにかかっている、とも考えられます。この点において先進的なデザインアプローチの概念、「近接のデザイン」、「コ・デザイン」、「RITUAL」、「コンテクスチュアル」、「ナラティブアプローチ」などは、参加者とコミュニティの関係性を変える装置として重要な役割を果たすことが期待できそうです。

村民と関係人口がNFTを通じてつながるDAOにはデザインアプローチの活用余地がある

現実としては、泥臭いやり取りや既存の壁にぶつかることが多いでしょう。過疎地域に限らず、日本では外から流入した人間がコミュニティに馴染むには乗り越えるべき壁が多く存在します。時間はかかる、だけどバウンダリーオブジェクトが介在することで誰もが一定の手続きを共有し、現状を変化させるきっかけが得られるのではないでしょうか。

市民のデータ主権は正義

豊永郷では「結」の文化がまだ残っています。結は農村社会で互助的に行う協同労働の仕組みですが、無形のコモンズとして地域間を紐付けるバウンダリーオブジェクトだったとも言えるでしょう。近年は農家継承も減っており、廃れつつある文化だそうです。

DAOを使ったバウンダリーオブジェクトが生まれる過程において有形無形のコモンズが多数形成されることになるでしょう。結に代わる新しい無形コモンズとして、村民や関係人口との間で共有するデジタルなコモンズが立ち上がると妄想するのは私だけでしょうか。

更にアイデアを膨らませましょう。DAOメンバー間の相互作用が生みだしたデータ資産(コメント、アイデア、デジタルプロダクトなど)がリアル活動での交換物になる。例えばコモンズメンバーに役立つデジタルプロダクトを作ったら名産品が送られてくる、村の活動に参加したら優先的にコミュニティサービスが使える、ライドシェアで貢献した分、実現してほしいデジタル行政施策の優先度が上がる。コミュニティ内で通用する、貨幣ではない交換価値をDAOを通して実現していくような世界も考えられます。

「データレイクからは現代のオイルが湧き出てるって聞いてたけど、実は底なしスワンプだった!」とはどこかのITプロジェクトで耳にしたようなブラックジョークです。オイルであるはずの我々の個人のデータは、今はプラットフォーマーに吸い上がられ彼らの利益の源泉となっています。GAFAだけでなく、データ社会が進んでいけばデータ集約はますます進み、精製手法を握る一部の人達が恩恵を受けるディストピア社会がやってきそうです。

今後、プラットフォームサービスを使わないという選択肢は考えにくいでしょう。でも、少なくとも過疎からの再生という文脈においては、パラレルな価値観を持つローカル独自のプラットフォーム(DAOコミュニティ)の構築は、孤独感の解消や居心地の良さといった評価ベクトルでの新たなソリューションとして可能性を秘めているように感じています。


まだまだ考えを進めるには調べるべきことや熟慮する箇所もありますが、また別途の機会に。まずはDAOの可能性をもう少し探ってみたいと思います。


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