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「ここちよい近さがまちを変える」を読んで無形コモンズを考える

近接とコミュニティ

「ここちよい近さがまちを変える」のテーマは都市コミュニティのソーシャルイノベーションです。”近接”という概念を軸に、物理空間とデジタル空間のハイブリッドによるコミュニティの在り方について新たな視座を与えてくれます。ミラノやバルセロナでの先進事例の紹介も交えながらディープで骨太な議論が展開されます(巻末には著者が直接関わる日本での事例も掲載されています)。

「コミュニティはデザインできない。それは数々の出来事から創発されるもの」。人と人との関わり合いは重奏的、有機的なのだとあらためて気付かされます。「なしえることは適切な環境を整え、コミュニティが生まれるような出会いを作り出し、会話が始まるような刺激を与えること」。そして、その好ましい条件である「コミュニティにある程よい近接の環境」がデザインする対象だと、論点を導入部分で示してくてます。

ここでいう近接(Proximity)は第一義的には物理的距離の話で、パリ市長の提唱した「15分都市」に近い概念です。市区だと少し広いので、日本だと”町”に近いで単位でしょうか。デジタルから物理空間へ、そして物理的近接から心理的近接へと次元が変化していく中で人々がつながり広がっていく多様性のあるコミュニティが近接の都市です。

この本の著者であるエツィオ・マンズィーニ氏はミラノ工科大学名誉教授でありデザインやサスティナビリティ分野の専門家。前書きにもありますが、本書の議論の背景にはコロナ禍によるパンデミックの影響が少なからずあるのでしょう。ソーシャルディスタンスによる副作用とも言うべき孤立化を感じていた我々は、それとは異なる方向性としての近隣同士での”ケアの”あるコミュニティに魅力を感じます。ヨーロッパ、特にイタリア人という著者のバックグラウンドも「近接」という概念が生まれる背景にあるのだろうと個人的には思いました。イタリアは小さな都市の集合(フィレンツェ周辺でもシエナやモンテプルチアーノのような丘上都市が営まれていたように)ですし、都市というイメージの捉え方が日本人の感覚とは少し異なるよう感じます。

本書の詳しい内容は著者によるまとめをご覧になると良いでしょう。こちらで網羅的にまとめられています。

コモンズにおける行動規律の選択とバランス

本書は興味深い議論が数多く展開されていますが、最近、個人的にも関心を持っているコモンズについて少し考えを整理してみたいと思います。

「近接の都市」は「コモンズの都市」だということができる。コモンズが存在するためには、コモンズをケアするコミュニティが必要である。さらにケアすることのできるコミュニティは、その全てが近接システムに含まれる。このコミュニティを支えるコモンズの総和が、この近接システムなのだ。

2.1 コモンズの都市より抜粋

コロナ禍で、特に社会インフラとしてのコモンズが極端な形で制限されました。その結果ソーシャルディスタンスという新しい社会概念が生まれ、またデジタルツールのおかげでテレワークが実現した訳です。しかし副作用として孤独化も進行することになり、著者がディストピアと呼ぶ社会形態もあながち夢想的な世界ではないでしょう。ここ最近のOpenAIにまつわるAGI(汎用人工知能)の覇権を争う騒動で明らかなように、急激なAI未来社会に対する潜在的な畏れと「家から全て」の非都市化は無縁ではありません。映画「マトリックス」のような非人間的な未来が想像できる時代なのです。

現在の日本の都市部での暮らし、私自身も含めてケアなき世界に多くの人が暮らしています。地域コミュニティがなく近所付き合いもない。生活圏、職場など目的に応じて物理的に分断された場所を行き交う「距離の都市」です。コミュニティには参加しているけれど、物理的距離は離れているのでコロナ禍では専らオンラインとなってました。ただし地域コミュニティに属すると、それはそれで面倒が多いのも事実です。ご近所トラブルはあるし、監視の目がそこかしこにあるので窮屈に感じることもあるでしょう。物理的には近いけれど、「選択的」にコミュニティに参加出来る。そんな暮らしの均衡を個々で見い出せる街が理想的なのだろうと思われます。

コモンズは必然的に共有される財の集合体。だが、全ての公共財がコモンズであると限らないし、全てのコモンズが公共財であるとは限らない。

ケアを無形のコモンズとして捉えると、「恩送り」の仕組み化とも言い換えられるでしょう。サービス対価としての何かではなく、自発的・創発的に協力し合うボタンタリー精神に基づく行為。功利主義的には、都市単位としての最大効用(幸福)を実現となり、その実践には人々の行動規律が前提となります。

物理的近接で考えると日本では昔から町内会という自治組織があります。近年は人口流動化やサービス至上主義の影響なのか、若年層の参加も少なく高齢化が進んでいる印象です。ただ「井の頭一丁目町会」のような活発な自治体もあり、「自治会UPDATE」というグループではデジタルツールを活用したコミュニティ作りの情報交換が盛んです。本書ではフォンダッツァ通りのソーシャルストリートが紹介されていましたが、日本でも近接する町の自治会を見直す動きはあるようです。特に首都圏や東海四国地域では防災への不安もあり、SNSを活用したコミュニティ作りは草の根的に行われているので、ケアの仕組み化と実践に対する期待値はかなり高いと考えます。

コモンズはケアに支えられる必要があるのですが、コミュニティというグループでもあるので何かしら行動規範が必要です。そういった意味で北海道ニセコ町の「10棟20家族の村」プロジェクトは面白い取り組みだと思います。その「ニセココード」は自治ルールをパターンランゲージとして作成し、住民達の意思によって使いやすいように改訂しながら暮らせます。一定の行動規範を提示しながらも創意工夫の余地を残す。その中の合意形成プロセス自体も繋がるという行為だし、納得感も得やすいのだろうと感じます。物理空間には色んな人がいて「街の煙たがられる存在」も居ます。それを無き者として排除するのではなく、如何に最低限の線引きを作るのか。選択的なコミュニティの実践ではこのあたりも重要な論点になってくるのだろうなあと個人的な経験も踏まえ感じました。

さて、本書ではこれ以外にも興味深い論点がたくさんあります。ソーシャルデザインに関心のある方にとっては有益な情報が豊富にあるので、是非ご一読してみてください。


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