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「ここちよい近さがまちを変える」―この本は、一体なんなのか?

きたる11月3日、森が翻訳に携わったエツィオ・マンズィーニ著「ここちよい近さがまちを変える:ケアとデジタルによる近接のデザイン(原著タイトル「Livable Proximity: Ideas for the City That Cares」)」が発売となります。

率直に言います。ぜひまず予約してください!!!!!(※福井の人は、僕から直接買ってくださいませ!)

とはいえ発売にあたり、一体どんな本なのかがわからなければ、手に取りづらいことも確かでしょう。そこで今回、「ここちよい近さがまちを変える」発売にあたり、「この本は一体何について語った本なのか?」「エツィオ・マンズィーニとは何者なのか?」「森にとってこの本とはなんなのか?」といったことについて、いくつか解説を書いておきたいと思います。

まずは第一弾として、「ここちよい近さがまちを変える」が、一体どんな本なのかを解説します。また、本書は比較的読者を選ぶ本だと感じていて、読むにあたっての注意点もあると感じています。そこで本記事では
本書の読み方について」というパートを設けて、この注意点についても説明しています。

※この記事を書いている森自身について補足しておきます。本記事の筆者は、本著の翻訳(主に2章)に関わった森一貴です。エツィオ・マンズィーニの議論を下敷きに、わからなさを受け入れ耕すデザインの実践を探求しています。アールト大学デザイン修士。福井県鯖江市にてシェアハウス家主。福井県越前鯖江エリアで開催される産業観光イベント「RENEW」元事務局長。

「ここちよい近さがまちを変える」は、一体どんな本なのか?

「ここちよい近さがまちを変える」は、イタリアのデザイン研究者であるエツィオ・マンズィーニによって2021年に出版された著作の翻訳書です。コロナ禍で私たちのあいだに生まれてしまった距離を乗り越え、関係性とケアに基づいた豊かな近接地域をデザインしていこう、と提言する本です。この本はまた、近さ(近接)というキーワードでまち・ケア・デザインという3つの領域に一本の横串を通そうとする、野心的な本でもあります。

本書がターゲットにしているのは、広くまちやコミュニティに関わっていこうとするデザイナー、都市計画家やデベロッパー、行政担当者、ケアやデジタルサービスプロバイダーなどです。私たちがどのようにして豊かな近接のまちづくりに関わっていけるのかを、理論的なレベルから実務的なレベルにまで横断しながら語られています(文章は比較的かたく、特定の都市に関わってきた行政職員やデベロッパー、自分自身の一定の実践経験を持つデザイナーなどが対象なのだろうと感じます)。

こうしたジャンルの本、つまりまちづくりや地域、ケア、デザイン、あるいは〈私たち〉からはじまるソーシャルイノベーションに関する本は日本でも多々あります(例えばつい最近の本としても、建築やコミュニティ側からは「銭湯から広げるまちづくり」、デザインとしては「おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる」、〈私たち〉からはじまるソーシャルイノベーションについては「クリエイティブデモクラシー」などがありますし、またヤン・ゲールなど長年読みつがれてきた本もあるでしょう)。

だとすれば、本書は私たちに、何を新しく教えてくれるのでしょうか?

本書のキーワードとなる「まち、ケア、デザイン」それぞれの領域から私なりに興味深いと感じた点を抜き出すと、以下のような3つのポイントを指し示すことができます。

1) 「まち」を有機的なエコシステムとして捉える、新しい視座をくれること。
2) 「ケアあるサービス」という、豊かな近接―ケアある都市―のための新しいサービスのあり方を考えるきっかけをくれること。
3) 人々が集い関わりあうための「好ましい条件を生み出す」ものとしてデザインを指し示してくれていること。

それぞれ説明してみましょう。

1) 「まち(都市)」を有機的なエコシステムとして捉える

この本のおもしろいところは、まちについて書いていながら、「まちは建築物や街路や広場の集合体」だという考え方を飛び越えていく点です。マンズィーニに言わせれば、まちはコモンズの集積体であり、そしてケアの集積体なのです

まちは確かに基本的な意味で、とても物理的で機能的なものです。しかし、土管のある空き地は、単に空き地としてそこにあるのではありません。その空き地があるからドラえもんやのび太たちが集まることができるのであり、また逆に、ドラえもんやのび太たちがその空き地を使い、維持しているからこそ、その空き地は地域のなかで大事な「場所」として存在できるのです。このように、コミュニティと場所(→コモンズ)は、どちらもお互いを常に必要とするし影響を与えあう、相互依存の関係にあります。

コモンズとコミュニティの相互依存

そしてこうした考え方を拡張していけば、私、コミュニティ、土管のある空き地、道端の花壇、いつものカフェ、あるいは「安全に夜道を歩けるという気持ち」や「まちのアイデンティティ」、こうしたものたちは、全てが相互に依存しあい、どこまでも広がっていきます

マンズィーニはこんなふうに、まちをどこまでも相互依存しあう、有機的なエコシステムとして捉えることを提案しているのです

まちは、多様なものたちが相互に影響しあい依存しあう、有機的なエコシステムだ

このようにしてまちを捉えると、「豊かなまち」を作ろうと思ったら、単純にまちに公園や建物をつくれば十分ではないということがわかってきます。また逆に、場所なしに(これは物理的なものに限りませんが)関係性だけを生み出すこともできません。私たちはこの、どこまでも広がる網の目を意識しながらまちに関わっていかなければならないのです。また、物理的なもの(例えば公園)がどのように関係的なものに影響していくのか、あるいは関係的なもの(例えば道場での会話)がどのように場所を必要とするようになっていくのか、といった双方向のつながりもまた想像しながら、まちに関わることが求められるのです。

しかしこのようなどこまでも広がる網の目は、茫漠と広がる、とらえどころのないものではありません。網の目は実際には、「短いネットワーク」でつながった豊かな近接としてのローカルがあり、同時にそれらのローカルな近接が「長いネットワーク」で他の近接や大きな流れとつながれている。それがマンズィーニが「SLOCシナリオ(小さく、ローカルで、オープンで、つながりあった small, local, open, connected)」と呼ぶシナリオを通じて目指す、「コスモポリタンローカリズム」と呼ばれる理想形です。

本書では例えばその具体例として、パリの「15分都市」や、バルセロナで取り組まれてきた「スーパーブロック(Superilla)」という取り組みについて詳細に述べられています。例えばスーパーブロックについていえば、バルセロナは京都のように碁盤の目上の街区でできていますが、スーパーブロックは、この碁盤の目を「大通り」とその内側で区切るプロジェクト。内側部分を車がほとんど通れないようにすることで、これまで道路だった場所を、公園や広場など、人々が多様に使える場所としてリデザインするというものです(写真を見れば、このプロジェクトが何に取り組んでいるのかとてもよく理解できます。ぜひ下記の記事をご覧ください)。

スーパーブロックは、単純に「道路から車を排除する」プロジェクトではありません。マンズィーニが述べているとおり、スーパーブロックは道路が「ひとつだけの機能(=移動という機能)」に使われてしまっているという状況を乗り越えて、道路を「多様な機能が集積する場所」としてリデザインする取り組みでした。そしてだからこそ、バルセロナの街角は多様な人々(や遊具や樹木や…)が行き交う、新たな関係性を生み出すための基盤になったのです。

2) 「ケアあるサービス」とケアある都市

まちは、無数のサービスの集合体です。マンズィーニはこの本で、この無数のサービスのエコシステムが、私たちの〈ケアする能力〉を発揮しあうことを支えるまちを構想しています。

マンズィーニは、すべてがサービスとして変換されていくまちに警鐘を鳴らしています。これまで長い時間をかけて、近隣住民の目は監視カメラに、家族による介護は介護サービスに、いらないもののやりとりはメルカリに取って代わられてきました。こうしたサービスはもちろん効率的な生活をもたらしたことは間違いありません。しかしそれによってまた同時に、私たちの相互ケアの能力が失われることにもなりました。「サービスの都市」の問題点は、私たちを、多様な関係性を持って生きる一人の人間としてではなく、単なる「顧客」―受動的で、スキルを持たない立場―へと変えてしまったことにあります。

こうした状況に対し、マンズィーニはどんな風にサービスを変えていくことを提案しているのでしょうか?

彼は、まちのサービスを「コラボレーションサービス collaborative services」に変化させていくべきだと主張します。コラボレーションサービスとは簡単に言えば、「提供する人 - 受け取る人」という二項対立を乗り越えて、「私たち」として関わりあう(ことを促す)サービスのこと。それは、例えばウチのシェアハウス(co-housing)がそうかもしれませんし、あるいは「ホームレストラン」と呼ばれる、誰かの家に訪れてともに夕飯をシェアするようなサービスもそのひとつだと言えるかもしれません。ホームレストランでは、例えばお客として訪れた私は単なるお客ではなく、なんとなく相手のことを気遣い、例えば一緒に食材を切ることをお手伝いしてみたり、どうしてホームレストランをやってるんですかと聞いてみたりするでしょう。そこでは私たちは、単なるサービスの提供者 - 受益者という関係性を超えて、「私たち」として、互いをケアしあう存在になるのです。

マンズィーニは本書で、イギリス内でヒラリー・コッタムが手掛けた「CIRCLE」という相互ケアサービスを取り上げてこのコラボレーションサービスについて説明しています。CIRCLEは簡単に言えば高齢者の相互扶助サービス。単純に介護サービスを提供するのではなく、参加する人々自身が、例えば一緒にゲームをしたり、芝生を刈ったりという活動を通じて、相互に関係や友情を支えあうプラットフォームだと言えます。CIRCLEの運営チームはこの関係性のなかで「下に入り」、幅広い活動をコーディネートしたり、参加者自身が自分で活動を始めることを後押ししたりといった役割を担っています。この議論は、例えば「喫茶ランドリー」や「あおいケア」など、日本のそれぞれの実践者のなかで独自に育まれてきたものを一般的に言語化したものだとも言うことができるでしょう。

さらにCIRCLEが日本の読者にとって興味深いのが、Scale upScale out「上展開」「横展開」と訳せるかもしれません)の2つの志向性を兼ね備えていること。まずScale out(横展開)という意味では、CIRCLEははじめから、モデル化して広く他の場所でも実施されることを目指してきました。その結果、CIRCLEのイニシアチブ自体は現在終了しているにも関わらず、現在イギリス内には、CIRCLEに関わる人が5,000人以上いるといいます。さらにScale up(上展開)という意味では、CIRCLEは政府や行政の取り組みや制度に影響を与えることを目的に掲げてきました。それゆえ、その効果を着実に定量化し、また地方自治体との協働も続けてきました。

国内でもプロジェクト単体で見れば、CIRCLEと同等、あるいはそれ以上に素晴らしいサービスを、私はいくつも挙げることができます。しかし、上記のような上展開・横展開までを射程に入れたイニシアチブは、あまり思い浮かびません。こうした志向性もまた、私たちが本書から学ぶことができることかもしれません。

3) 好ましい条件を生み出すものとしてのデザイン

最後にマンズィーニは本書を通じて、デザインは「好ましい条件」を生み出すものなのだ、と主張しています。

マンズィーニがはっきりと述べているのは、私たち(例えばデザイナー)はコミュニティそのもの、友人関係そのものを生み出すことは不可能だ、ということです。しかし私たちは、そこで何が起こるかはわからなくても、何かが起こりやすくなるような環境を整えることはできます

そのような介入としてマンズィーニは「関係的オブジェクト Relational Object」という語を提案しています。関係的オブジェクトとは、いわば人々が集い、会話し、ともに何かを始めるためのきっかけとなるもののこと。例えばそれは、小さなレベルでは公園に置かれたひとつのベンチかもしれません。カウンターのある小さなバーもそうかもしれません。あるいは、ゲストハウスをつくるためのDIY活動や、お祭りの準備活動などもそのひとつだといえるでしょう。

関係的オブジェクトの役割は、① 会話を起こし、盛り上げること、そして② その会話を絞りこんでいくことの2つです。この具体的なアプローチとしてマンズィーニは、「デザイン中心のシナリオ」「機能的プロトタイプ」という2つの方法を提案しています。

「デザイン中心のシナリオ」とは、向かいたい具体的な景色(ビジョン)や、それにいたる道筋となるストーリーのこと。しかしそれは、単に理想的なあるべき姿のことではありません。デザイン中心のシナリオとは、今いる場所から、どうやってそこにたどり着けるかが見える、想像できるようなもののことです。私はそれを、遠くに立てられた「旗」みたいなものだと解釈しています。それがあるから向かう先がわかる、それがあるから、どうやってあそこまで向かえるのかを話し始めることができる、それが「デザイン中心のシナリオ」だと言えるでしょう。

続いて「機能的プロトタイプ」という言葉を通じてマンズィーニが言いたいのは、簡単に言えば、「小さく、まずは形にせよ」ということです。そうして形にして、みんなで見たり、触ったり、体験してみることで、「ああ、私たちって、こんな方向に進みたかったのか」ということを、関わる全員が理解することができます。また形になったものがあるからこそ、「この方向性はとてもいいな」「この部分は改善しなくちゃいけないな」と、当事者意識をもって新しい議論をはじめることができるのです。

この議論は、具体的な事例がなければやや分かりづらいかもしれません。これについては、私が取り組んできたRENEWというプロジェクトを事例に、いかにシナリオやプロトタイプが機能してきたのか、別記事で解説できればと思います。

さて、このようにマンズィーニは、本書のデザインに関わるパートで、「好ましい条件」を生み出し、人々が出会い関わりあうことを後押しするデザインのあり方を提案してくれています。加えて、マンズィーニはこれまで長期的にこうしたイニシアチブに関わってきました。その経験から、どんな風にイニシアチブ(コミュニティ/プロジェクト)が変化していくのか、という、デザイン活動の時間的な変化、長期的な変化についても興味深い議論を提供してくれています。例えばマンズィーニは、イニシアチブに参加するために必要になるエネルギーを少しずつ下げていくことの重要性について語っています。また、こうしたまちづくりの運動は、よく問題点にぶつかります。それは、最初の「英雄の段階」を超えると(例えば、イニシアチブの発起人がチームから抜けたりすると)途端にその勢い、社会を変える力を失っていってしまうこと。そこでマンズィーニは、変化させる力を保ちつつも誰でも参加できるようになっていくような、「変容する通常性 transformative normality」というキーワードも紹介してくれています。

本書の読み方について

さて、ここまで、私なりに面白いと感じたポイントとして、「① まちを有機的なエコシステムとして捉える見方」「② ケアあるサービスを考える新しい視座」「③ 好ましい条件を生み出すものとしてのデザインの考え方」という、3つのポイントを紹介してきました。

ここまで書いてきたように、本書「ここちよい近さがまちを変える」は、まち、ケア、デザインといった幅広いテーマについて取り上げている本であり、またそれぞれの記述は「15分都市」や「CIRCLE」といった実例に支えられています。それゆえ本書は、それぞれのキーワードに関心がある方々にとって、(理論的にも実務的にも)多様な気づきが生まれる本になっています。もちろん、コンパクトシティや15分都市をはじめとするキーワードに関心がある方にとっては、議論の盤石な下地を提供してくれる本となることでしょう。

とはいえ、この本を手に取るにあたっては注意点もあると感じています。私なりに、4つ説明しておきたいと思います。

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まずひとつめに、本書はさらさらと読める本ではありません。「近接」という言葉の定義であったり、「生命の網」の広がりに関する記述であったりとしっかりと専門的な記述がなされており、こうした記述に抵抗感を感じる人もいることだろうと思います(訳者としてはかなり柔らかく訳すようがんばったつもりですが…!)。これは、マンズィーニがアカデミアに目を配りながら書いていることがその主な理由です。読みづらいと感じた方は、こうした箇所を読み飛ばしながら読んでいただいても全く問題ありません

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続いて2つ目の注意点は、本書があまりに野心的すぎる、という点です。まち、ケア、デザインは、それぞれにかなり深い議論がなされてきた領域であり、「近さ(近接)」という補助線があったとしても、それらに横串を通して一冊の本に仕立てるのは、かなり難易度が高い仕事です。その結果何が起きているかというと、本来もっと具体例を丁寧に紹介してもよさそうなところで、説明がしきれていないのです(少なくとも、私はそういう印象を受けました)。それゆえ、本書をどう使うのがよいか、をここで説明しておく必要があります

本書は、「この本を読めば、関係性とケアにもとづく近接のまちづくりについて理論から実例までわかる、万能な本」ではありません。近接のまちづくり(日本では「コンパクトシティ」というキーワードで流行った時期がありますが)を目指す行政職員やデベロッパーにとっては、十分にうなずきながら読んでいただける本だと思います。一方でおそらく、特に私の記事を普段読んでいただいている方々、つまりまちづくりやコミュニティといったキーワードに関わってきた方々には、やや距離が感じられる本だと思います。

そこで私の方から、あえて読み方を提案したいと思います。本書は、理論から実例まで広がる多様な記述のなかから、「あれ、なんだろうこれ、気になるな」というものを見つけ、それを別途で深掘りする。そんな偶然の出会いを探すための「おもちゃ箱」みたいなものだと思って読んでもらうのが良いと思います。

例えばバルセロナのスーパーブロックなどは、あ、なんだろうこれ、気になるな、と読者のみなさんは(おそらく)思ってくれるのではないかと思います。しかし本書は、その事例をそこまでひとつひとつ丁寧に深掘りしてくれているわけではない。そこでこの本をきっかけに、スーパーブロックの事例を深掘りしてほしいのです。スーパーブロックについては日本語でも丁寧に解説してくれている記事がいくつもあります。本書を出会いの起点として使っていただき、そこから皆さんでそれぞれに出会いを深掘りしていただく。本書は、そんな風に使ってもらえるのがいいのではないかなと思っています。

とはいえ、本書で実例として挙げられているもののいくつかは、日本語ではアクセスの難しいものや、まとまった情報がないものもあります。そこで私の方から、この「ここちよい近さがまちを変える」発刊に寄せてシリーズで、実例のいくつかを追って解説できればなと思っています。

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3つ目は、本書がヨーロッパの、既に「近接」が実現されたようなまちを対象にして議論が展開される点です。ヨーロッパの都市は城塞都市が多く、はじめから近接のまちが成立している。こうした議論を見ながら、じゃあウチのだらっと広がったまちではどうしたらいいんだろう?だとか、田舎では近接のまちづくりはできないんだろうか?と思ってしまう方もいるかもしれません。

しかし、本書を読めば、田舎でも近接のまちづくりは可能だというメッセージを読み取ることもできます。そのために本書では、後半に訳者たちからのエッセイを掲載しました。特に私の方からは、福井県鯖江市でのRENEWの事例を。山崎和彦さんも、和歌山県すさみ町での事例をと、どちらも地方部での、2つの実践事例を掲載しています。こうした事例を先に読んでいただき、それを(あるいは、読者の皆さん自身が経験をお持ちの場合はそれを)頭に思い浮かべながら本書を読んでいただければ、ああ、これがここで実例と重なり合うのか、ということを想像しながら読んでいただけるのかなと思います。

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4つ目、最後の注意点は、マンズィーニの本の書き方に関わる問題です。これは前著「日々の政治」であれ、あるいは世界的にデザインの教科書として極めて重要な「Design, when everybody designs」(←翻訳を検討しています。ご興味のある出版社の方はぜひご連絡ください)であれ、昔からそうなのですが…、日本の読者は、マンズィーニの本を読みづらいと感じる方が多いようです。

これはなぜ起こるかというと、私たちとマンズィーニとで、そもそもの読み書きに関する前提が異なっているからです(おそらく)。

私たちは本を読むとき、以下のような定形の書き方に馴染んでいます(以下はあくまで枠組みの一例ですが)。あまりに馴染みすぎていると言ってもいいかもしれません。

「私たちは今こういう状況にいます(前提)」

「それに対してこういう動きが起きてきましたが、しかしいまだこういう問題が残されています(複雑化)」

「そこで私はこういう解決策を考えています(解決)」

「それとは具体的にはこれこれこうです…」

私たちは、本を読むときも著者がこの順番で書いてくれるだろうと期待して読みますし、そしてそれゆえこのような順番で書いていなければ、わかりづらいと感じてしまいがちです。しかし、こうした定形の書き方にも実は問題があります。というのも、こうした書き方は「これが正しいんだ!」と、考えをあまりにも単純化しすぎていることが多いのです。

一方マンズィーニの本は、別のやりかたで書かれています(私がそう感じるだけだという可能性も大いにあります)。私の感覚的な言葉を使えば、マンズィーニの本は「点描画」のように書かれています。つまり、画用紙に点を打っていって、だんだん絵が描かれていき、最後になんとなく全体像がわかる、というような本の書き方をしているのです。

はっきりとした断定を避けるやりかたは、まるでこの記事でも説明したような「網の目」的な書き方だなと思います。私たちの世界は、わずかな原理原則がすべてを支配しているのではなく、実際にはひとつの物事は、ほかの物事とも複雑に絡み合ってなりたっている。それゆえ、ひとつの物事を説明するためには、まわりの物事を少しずつ拾い上げるように説明するしかないし、それはピラミッド構造のようにはなりません。簡単に断定して説明することはできないのです。

とはいえそれとこれとは別の話で、読者としては読みづらいのは困りますよね。そこで私としては、これは注意点1、2にも通じることなのですが、そもそも本書の読み方そのものを変えることをおすすめしたいと思います。具体的に言いましょう。私は、本書は「エッセイ集」のように読んでもらうのがいいと思っています。

つまり、結論としての主張や特定の原理原則をきっぱりと読み取ろうとするのではなく、やわらかく全体を捉えるように読んでいただき、びびっと来たところを丁寧に受け止てみる、気になった点を精読してみる、そんな風に読んでみてほしいのです。そして本書は、そういう付き合い方を受け止める度量が十分にある本だと私は思っています。ぐにゃぐにゃと蛇行しながら読んでいるうちにだんだん全体像が絵のように浮かび上がってくる、そんな風にして本書と長く付き合ってもらえたら訳者としても幸いに思います。

さて、ここまで「ここちよい近さがまちを変える」の発刊に寄せて第一弾
ということで、この本が一体どんな本なのか、について説明してきました。意外と既に10,000字近くになってしまったので、今回はここまでにしておきたいと思います。本記事を通じて、少しでも本書、ひいては近接のまちづくりに興味を持ってくれる人が増えたら幸いに思います。

次回第2弾は「エツィオ・マンズィーニとは誰か?」について、参加型デザインやソーシャルイノベーションのためのデザインと絡めながらお伝えできればと思います。

今後の出版イベントの告知

さて、ここまで読んでいただきありがとうございました。

ここまで読んでくださった方は既にもう予約をしていただいているような気もしますが、改めて宣伝しておきます。「ここちよい近さがまちを変える:ケアとデジタルによる近接のデザイン」11月3日発売です。ぜひご予約いただき、お手にとっていただけたら幸いに思います。

※福井の人は、僕から直接買っていただいてもとても嬉しいです!!100冊くらい手売りしたいと思っております。出版記念イベントでも、森の本屋でも、あるいは直接森に連絡いただいても構いません。ぜひご連絡いただければ幸いです。

最後に本書に関わって、出版記念イベントがいくつか企画されていますので、告知させてください。

11/8(水) 東京水道橋 特別企画@PYNT

訳者の一人・澤谷由里子さんによるトーク。

11/17(金)福井県大野市「大野版 銭湯から広げる近接のまちづくり」

加藤優一さん著『銭湯から広げるまちづくり 小杉湯に学ぶ場と人のつなぎ方』およびエツィオ・マンズィーニ著『ここちよい近さがまちを変える ケアとデジタルによる近接のデザイン』の刊行を記念して、著者の加藤優一さん、および訳者の森一貴さんによる出版記念イベントを開催します。また、まさに銭湯から広げるまちづくりを実践している関西大学の大野銭湯再編チームより、プロジェクト紹介もしていただきます。

ちなみに、イベント前は銭湯で、イベント後は近くの居酒屋で豊かな関係的近接を育みます。

・日時:11/17金 19:00〜20:30
・価格:1,000円
・場所:関西大学横町スタジオ
・登壇者:加藤優一、森一貴、大野銭湯再編チーム/関西大学

11/22(水)東京・渋谷&オンライン「Xデザイン学校公開講座:ここちよい近さがまちを変える ケアとデジタルによる近接のデザイン」

公式の出版記念イベントで、訳者全員が参加します!(一部はオンラインにて)。

■ ⽇時:11月22日(水)19:00-21:00
■ リアル参加:インフォバーン東京オフィス(本社)定員40名(先着順)
■ オンライン参加:zoomによる参加
■ 参加費:2000円 (Xデザイン学校 2023 年度受講⽣は無料)

11/27(月)武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス&オンライン「特別講座:近接のデザイン 地域、ケア、システム、経済を変える」

訳者の山崎和彦および森一貴から、具体的な実践の紹介と、本書が提案する「近接のまちづくり」の可能性に関するディスカッションを行う予定です。

■⽇時:2023年11⽉27⽇(月)18:30-20:30(18:00 開場)
■リアル参加:武蔵野美術⼤学市ヶ⾕キャンパス 5階
会場受付は18:00-19:10 です。遅れないようにご参加ください。
■オンライン参加:zoom によるオンライン参加も可能です(18:25 から配信)
■主催:武蔵野美術⼤学ソーシャルクリエイティブ研究所
■協⼒:⽇本デザイン学会ID部会、X デザイン研究所
■参加費:2000円、学生は無料(いずれもPeatix事前申込が必要)


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