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紫煙を禁ずる

※禁煙の話ですが喫煙を美化するような表現があるかも知れません。過激な嫌煙家のひとは見ないほうがいいかも

わたしが禁煙した時のことを思い返して書いてみようと思います。TLで禁煙の話をしているひとがいたので。
結婚とほぼ時を同じくして禁煙したので、7年目になります。
こうすれば禁煙できるなんて役に立つことは何も書いてません。ただわたしはこんなだったよっていうだけです。
最近はどうかって?まあまあ焦るな、順を追って話すからさ。まあ聞いてくれよ。禁煙の話だけ見たい人は飛ばしてくれてもいいぜ。

煙草との出会い

まずは、吸い始めた時のことから。
とは言ってもあまり大きな声では言えません、昭和生まれならヤンキー漫画読んだりして憧れて、中高生の頃イキって先輩や友達に一本もらって吸おうとしたら火の点け方もわからなくて、やっと点いたと思ったら盛大にむせたりしたでしょ?え。しない?
わたしは覚えてますね、人生で最初の一本のこと。赤か緑かは忘れたけどマルボロだった気がする。ギャルギャルした友達にもらいました。
繰り返しますがわたしは不良娘だったのでまあそんな感じです。
ゲーセンに住み始める前は、店内で学ランで煙草吸ってたむろっている人を見て何アレ怖い……目合わせんとこ……と思っていましたが、まさか自分がその一部になるなんて。
時代が今ほど潔癖ではなかったので、今なら速攻追い出されるんじゃないですかね、ああいうの。
通っていた大検の予備校にも喫煙室があり、ほぼ全員未成年だけど講師と一緒に吸ってました。そんな時代です。
そういや大検が高認になったのって割とその直後なんですよね。大検って言うと歳がバレてしまいますね。

フリーター、学生、社会人と、順調ではないけれど人生を歩んでいき、それは常に煙草と共にありました。
友達と夜が明けるまで語り明かした時。嫌なことがあって一人になりたかった時。山場を乗り越えて、自分を解放してあげる時。
おおよそ一日一箱、多いと二箱近く消費してしまう日も。
同席者の中に一人でも煙草駄目な人がいたら吸わないポリシーでしたが、本当は嫌だけど遠慮して言い出せない人もいたと思います。それは申し訳なく思っている……。
あとポイ捨ては絶対しないよ。携帯灰皿たくさん持ってたよ。今はそもそも灰皿ない所で吸うのがアウトだけどね。

禁煙の経緯~開始から服薬まで~

時は2015年1月
精神病院から転職しとある公的施設で働いていたわたしは、年末に結婚退職の意思表示をし、年度いっぱいでの退職を決めたところでした。
病院よりずっとおちんぎん良かったけど、嫁入り先が新幹線の距離だったからね。仕方ないね。
ここでの後輩にIちゃんという女子がいて、アラサーにも関わらず入職2日目に職場にマイクロミニスカートをはいてくるヤベェ女でしたが、同い年で煙草仲間だったわたしは何かとつるんでいました。
引継ぎの準備をぼちぼち始めようとしていたその頃、ある日Iちゃんに突然言われたのです。
「ミヤコ(仮名)さんっ!私と一緒に禁煙外来行ってくださいっ!!」
そんなキャラじゃないので驚きましたが話を聞いてみると、煙草を吸っている自分が嫌いなので思い切って禁煙外来に行ってみたい。しかし一人で行くのは怖いし、誰か一緒の方が上手くいく気がするので声をかけたと。
わたしは困惑しました。結婚を控えているというのに、煙草をやめるつもりなど1mmたりともなかったからです。
彼氏(現夫)は非喫煙者でしたが、わたしが喫煙していることについてはブツクサ言いつつも我慢してくれていたので。
そして何よりも、彼女は煙草を吸ってる自分が嫌いと言いましたが、わたしは煙草を吸っている自分が大好きだったのです。
ちょっとワルそうで。ちょっと大人ぶってて。見た目がちんちくりんなわたしでも、ちょっと強くなれる気がして。
カッコよく煙草を吸う憧れの存在にちょっとでも近付ける気がしていたのですよね。今思えばこれも昭和くさい価値観ですが。

で、仕事帰り、職場近くの適当な内科の禁煙外来をIちゃんと二人で受診しました。
気は乗らないけどまあ禁煙できたらお金も節約できるし、できたらラッキーくらいのノリで。
初診では飲み薬と貼り薬どちらが良いか希望を聞かれました。
飲み薬の方が成功率高いと聞いていたので、二人揃って飲み薬を選択。チャンピックスという薬です。
これから禁煙外来を検討するひとには、健康状態に問題がなければ断然こちらがお勧めです。成功率は6~7割だそうです。
(2021年8月現在、一部のロットで発がん性の可能性がある物質が検出されて出荷停止になっているそうです。再開は未定だとか)
この薬、簡単に言えば煙草が不味くなる薬です。副作用として、吐き気や悪夢などがあります。
吐き気止めも一緒に処方されました。悪夢は楽しみにしていたのですが大して見ませんでした。
最初の一週間は徐々にこの薬の量を増やしつつ、吸いたければまだ吸ってもいいよというアイドリング期間です。
病院の帰り、Iちゃんと近くのファミレスで飯を食い、美味しく吸えるのも最後だからとスッパスッパしました。その時の写真がありましたので載せておきます。女子二人で二時間くらいで灰皿コレですからね。しかも確か途中一回換えてますね。

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翌日、まだ吸っていい期間なので普通に吸ってましたが、いつものように喫煙所でおじさん達とキャッキャしていた時、わたしは禁煙宣言をしました。
Iちゃんと一緒に禁煙することにしました。ここに来るのもあと一週間です、大変お世話になりましたと。
おじさん達には惜しまれましたが、しょうがないよねえと温かく見守ってくれることになりました。
いつでも帰っておいでとの言葉と共に。いや帰ったらいかんて。
Iちゃんには怒られました。何で言うんですか!禁煙失敗した時気まずいじゃないですか!!と。知るか。

8日目から服用するチャンピックスの量がそれまでの倍量になり、いよいよ本格的に禁煙です。
一週間のアイドリング期間で薬が少しずつ効いていて、だんだん吸った時のホッと一息感がなくなっていました。
わたしは朝むくりと起きたらまず煙草に火を点ける典型的ニコチン依存症だったので、まずそこを我慢するのがハードルでした。
吸いたくなったら水を一杯飲むといい、というのを何かで見て実践してました。枕元に水を置いて寝ていました。薬の効果もあり、吸いたくはなるけどギリギリ我慢できるレベルでした。もうこの時点で薬すごい。普段なら絶対我慢できないもん。
その後も出勤前、仕事中、昼休み、仕事上がり、帰宅後、食後、風呂後、彼氏と通話中、ゲーム中、就寝前。
これまで吸っていたあらゆるタイミングで吸いたくなりますが、ギリギリ我慢できる絶妙なラインです。
たぶんこの効き具合には個人差があって、わたしはたまたまこのレベルだったんだと思います。
我慢できなくても薬が効きづらい体質であって、特別意思が弱いとかではないんじゃないかと。だってわたしそもそも禁煙するつもりのなかった意思クソよわマンだもん。

初診から二週間後、再診があります。呼気の検査があり、吸っていた場合何をどう誤魔化してもバレます。Iちゃんは吸ってた。おい。
わたしはと言うと、可愛がってくれた喫煙所のおじさん達に大々的に宣言した以上、なんとなく吸わずにいました。
更に二週間後、三度目の受診。コソコソ吸っているので嫌がるIちゃんを引きずって病院へ。
今度はこれまでの倍、四週間分処方してもらえます。
吸いたい気持ちは少しずつ、少しずつではありますが、小さくなっていきました。まだ全然吸いたいけど。
季節は過ぎ、四度目の受診をする頃には春になっていました。3月です。もう退職まで一月を切っています。
Iちゃんは完全に挫折しており、もう病院に誘っても来ませんでした。クソッタレが!!
喫煙所での和みタイムはなくなりましたが、仲良くしていたおじさん達は他の所で会うと、よっ!禁煙頑張ってるね!とか声をかけてくれました。これが結構励みになっていたり。ちなみに喫煙所に出戻ったIちゃんもそっちはそっちで可愛がられていたようです。
禁煙外来のプログラムにはこの4週後に最後の受診がありますが、ここまで来るともう処方はなくこれまでの振り返りをするだけなので、面倒なら来なくてもいいよと言われました。
こうして最後のチャンピックス4週間分をもらって終了。
飲み切ったのはちょうど3月31日、退職する日でした。

翌日から無職になったわたしは、東京と嫁入り先を行ったり来たりしながら部屋探しや引っ越しの打ち合わせ、実家に行って両家の顔合わせの段取りなど、結婚準備を進めていきました。
チャンピックスがなくなっても、どうにか、どうにか禁煙を継続することができました。まだ全然吸いたいけど。
思うに、禁煙するタイミングと、仕事を辞め遠く離れた県に転居するという大きな生活の変化、これが重なった結果として、上手いこと煙草のない生活に切り替えることができたんじゃないかなあと思います。

禁煙成功、そして

2015年5月31日。
とうとう10年住んだアパートを引き払う日がやってきました。
前日から夫になる人が泊まりに来て、引っ越し準備を手伝ってくれていました。
彼が寝静まった深夜、暗い部屋でわたしは一人、この部屋に引っ越してきた日のことを思い出していました。
ああ、夜になって布団と最低限の荷物しかないこの部屋で一人になった時、物凄い解放感で煙草吸ったっけなあ……。
何もない田舎から胸をときめかせて東京に来て、ワクワクしてしょうがなかったっけなあ。
もう4ヶ月以上煙草を吸っていなかったけど、これが最後と決めて、あの時と同じように煙草に火を点けた。非喫煙者が寝ているのでベランダで。未練がましくまだ持っていた。
最後の一本は、あの時みたいに美味しくは感じなかったけど、なんだかすごく染みた。
悪い友達に勧められて咳き込みながら吸った最初の一本と同じように、初夏の夜の心地良い風の中で吸った最後の一本を、今も覚えている。

ちなみにコレ退去当日の部屋の写真です。ヤニが一番ヤベェ左奥はパソコンが、右奥は洋服タンスがあった所です。

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そんなわけで、7年目の今も禁煙継続中です。
元々やめる気なかったけど、まあやめてよかったなと思ってます。お金かからないし、臭くならないし、お外で喫煙所探して右往左往しなくていいし。
しかしその代償としてご飯が美味しくて美味しくて、あっという間に人生最高体重を更新しデブになりました。
今でもたまに、すごいストレスがかかったり、大きな仕事を終えたり、旅行先で綺麗な景色を目にしたり、色んなタイミングであっ、吸いたい、というのが脳裏を掠めます。
禁煙を始めた時、同僚に禁煙して30年になるというオバちゃんがいて、今でも吸いたくなる時あるのよ~!と言っていましたが、本当にその通りでした。ニコチンぱねぇ。
厚労省のサイトによると病気リスクが非喫煙者に近付くまで10~15年かかるそうですので、まだまだ折り返し地点ってところです。
東京のアパートから持ってきた本は、今でも鼻を近付けるとあのヤニ臭かった部屋の懐かしい香りがうっすらと残っています。
今になって思えば、夫は非喫煙者なのによくあんなクッセェ部屋に住んでるクッセェ女と結婚する気になったものだと思います。賞賛に値する

これがわたしの煙草人生の全てです。今の所の。
もしずっと先の将来、夫に先立たれちゃったりして、子どもも自立して何の心配もいらなくなって、あとはお迎えを待つだけのババァになったりしたら、その時はまた紫煙を燻らせて想い出に浸るかも知れません。
その時が来るまで、しばらく禁を続けます。

ここまでお時間を頂けただけで嬉しいです。ありがとうございます。 特に何もしなくて大丈夫ですよ?え?お恵みを下さる?じゃあアイス買って食ーべよ!!