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「平成の名優」のあるがままの素顔:大杉漣『現場者(げんばもん) 300の顔を持つ男』


 「伝説の昭和の名優」と言えば、高倉健を筆頭に何人かポンポンと顔が浮かぶが、「伝説の平成の名優」というと、なかなかすぐに思い浮かばない。昭和ほど長くなかった上、今後「伝説の」と形容される俳優になるであろう役者達にも、令和でのキャリアがあるからだろう。だが、大杉漣の場合は、平成のうちに遠くに旅立ち、平成のうちに「伝説の」俳優になってしまった。
 「遅刻したのに北野映画でのオーディションに受かった」、「一般人に紛れ込んでJリーグ・徳島の応援に行くのが趣味」、「イングランドサッカーの名将、アーセン・ベンゲルから直接『HANA-BI』で貴方を観たと言われた」などエピソードに事欠かない俳優でありながら、バラエティや規模の小さい映画にも積極的に登場し、持ち前のたおやかなキャラクターで、本著の副題の通り「300の顔」を我々に見せてくれた。

 しかし我々は、若き日の大杉漣、もっと言えば大杉孝(本名)が敬愛する高田渡の息子の名前からインスピレーションを得た“漣”を名乗る前のことを案外よく知らない。それもそのはず、太田省吾の率いる転形劇場という演劇と、ピンク映画を中心に活躍していたからだ。そうした時期のことも、優しい筆者の人柄が滲み出る文体で当時のことを振り返り、大杉漣が大杉漣となるまでのことを事細かに語ってくれている。
 またこのエッセイの特徴のひとつとして、写真が多いのも特徴のひとつだが、若き日の珍しくヒゲを蓄えていたり、43ページの半裸で舞台上に立つ姿など、男性が見ても惚れ惚れしてしまうような写真もある。名優のさらにカッコいい一面に出会える本になっている。

 タレント本というのはまずパブリックイメージがあって、それをもとに、「意外な一面を見つける本」と「思っていたイメージを深くする本」のふた通りに分別出来ると思うのだが、この『現場者 300の顔を持つ男』は間違いなく後者である。いつも柔和で、撮影現場と家族を愛し、趣味のサッカーとフォーク音楽に勤しむ本物の紳士の姿がこの本には書かれている。日本映画は本当に惜しい人物を亡くしたと改めて再認識できる一冊である。

●PICK UP
なぜそこまでするのかと聞かれたら、映画を撮っているからという他ない。だって必要なシーンやもん。おもしろいシーンやもん。(P.141)
 殺し屋からサラリーマンまで演じた筆者は撮影現場での生傷が絶えなかったという。なかにはホンモノの産廃液に浸かったこともあるという。俳優として〈1カット入魂〉を込める彼ならではの言葉である。

寂しいとは口にするな
「死んだ」でいいのだ
「死んだ」でいいのだ(P.290)

 この本には夫人である弘美氏が、著者が若き日に書き遺したノートを読み返す形の特別寄稿が付いてくる。この言葉は飼っていたセキセイインコが亡くなった三行だというが、サインの際に笠智衆の「あるがまま」という言葉を認めていた、彼らしい言葉だと思う。


#読書 #書評 #エッセイ #大杉漣 #映画

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