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「コンプレックス」の国のスーパースターがもしも:ピーター・レフコート『二遊間の恋ーー大リーグ・ドレフュス事件』


  アメリカ合衆国は「complex」の国と聞いた事がある。人種、宗教、思想などが複雑に「複合」している国であり、一方で、そうしたあらゆるものが大陸からの“借り物”であり、そこに「劣等感」を抱いている国という意味だという。だからこそ、合衆国の国技たるアメフトや野球といったスポーツに熱中し、その頂点に立つものはアメリカンドリームを得た者として賞賛を浴びる。
 『素晴らしいアメリカ野球』、『ユニバーサル野球協会』、『フィールド・オブ・ドリームズ』など、アメリカの野球文学にあって日本の野球文学にはないのは、そうした合衆国民の野球に対する信仰や精神性である。高橋源一郎や小林信彦、赤瀬川隼などは、そうしたアメリカ野球文学のように、野球から日本人の精神性を探る作品はあるが、やはり日本野球(の文学)に、アメリカ野球(の文学)と同様の精神性が根強いているとは言い難い。
そしてアメリカの“精神”たる、スポーツによってアメリカンドリームを得た選手がもしも道ならぬ恋、それも同性間だったら…というのが、この『二遊間の恋』のテーマとなる。

 95年のリーグ拡張で誕生した、LA第三の球団、ロサンジェルス・ヴァレー・ヴァイキングスには、名を冠したショッピングモールが作られるほどの名遊撃手がいた。ランディ・ドレフュスである。美しい妻や娘たち、輝かしい通算成績を持つ彼は、なんの障害もなくクーパーズ殿堂にその名を刻むはずであった。
 しかし、遠征先のクリーブランドで同僚の黒人の二塁手、D.J.ピケットの裸体をロッカーで見てからある思いに駆られ、名選手の精神はかき乱される。やがて2人の逢瀬のふとした出来事が、合衆国全体を揺るがす大スキャンダルに発展していく。もう相当前の作品なので性的マイノリティーに対する社会の倫理観は、今のものと比較してしまうと、やや偏狭なようにか感じるが、それでも現役のMLBプレーヤーがカミングアウトした例はほとんど無いし、殿堂入りを確実視されている選手とあればなおさらだ。もしも2020年に本作と同様のスキャンダルが起こっても、大きなトピックになるのは間違いない。

 道ならぬ恋に溺れる主人公のランディ以外にも、本作は様々な人物が登場し、群像劇となってドラマを生む。ランディを心から愛する妻、球界に革新的な考えを持ち込もうとする球団社長、それを認めない保守的な考え方の社長の父。スージーの依頼でランディを追う探偵、精神を乱したランディに殺されそうになる愛犬に、父であるランディが思うよりずっと成長している双子の娘etc.。視点が二転三転する「グランドホテル形式」や露骨なセックス描写など、文体は好き嫌いが分かれるところだが、重厚な作品であることは断言できる。

 この数年、先崎学(将棋)やアンドレス・イニエスタ、ジャンルイジ・ブッフォン(ともにサッカー)など、ほかの競技ではあるが精神の病を告白したプレーヤーが相次いだが、こうした「アスリートだって人間であり、相応の悩みや抱えていることがある」という寛容さがより進めば、性的少数者を公言できる選手も増えるだろう。

#スポーツ #読書 #書評 #エッセイ #野球

 


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