砂埃の向こうにある、野球をする幸せ:加藤弘士『砂まみれの名将 野村克也の1140日』
ノムラの空白期間
この箇所を読んだ際、少しドキリとした。高校時代に『野村ノート』を読んで以来、”ノムラ本”を結構な冊数読んでいたが、たしかにシダックス時代については知らない部分が多い。そして結論から話すと、読了後「なんでこんなに面白いテーマの本が、いままでなかったんだろう」という感想を持った。名将の社会人野球での知られざる日々を、緻密に書き表していた一冊になっている。
野村のシダックス監督就任直後、当時報知新聞のアマチュア担当記者だった著者が、東京・調布市関東村のシダックスが練習するグラウンドにはじめて訪れた際、思わず<「こんな酷い環境でやっているんですか……」>と口にしてしまった。だが野村は砂埃の舞うグラウンドで、<いい表情で>こう答えたという。
実感とウィットに満ちたなんとも「ノムさんらしい」一言である。選手としても指揮官としても、「非エリート」の立場からジャイアントキリングを起こしてきた監督の言葉と考えれば、その言葉の重みは尚更だ。
無骨で理屈っぽい、でも照れ屋でユーモランスでもあった野村克也という監督の、こうした逸話がこの本には続々と登場する。
グラウンドに戻る幸せ
新庄剛志の二刀流挑戦や「遠山・葛西スペシャル」などが話題にもなるも、阪神は3年連続最下位に沈み、沙知代夫人が脱税容疑で逮捕されると、「規定路線」という風潮のまま、指揮官は2001年にユニフォームを脱いだ。
当時は「嫌われ役」だった野村に対して、一連の辞任劇に対しても少々「ざまあみろ」という世間の雰囲気もあった。野村を取り巻く環境はかなり厳しいものだったのではないかと、想像するに難くない。
しかし上下赤のシダックスのユニフォームを着こんだ野村には、環境の厳しさより、再びグラウンドに戻れることが嬉しくてたまらないというような印象を受ける。そして野球が出来る幸せを誰よりも知っているからこそ、丁寧に指導し、時に「ぬるま湯体質」だったシダックスナインに発破をかけ、チームに奮起を促した。
シダックス監督就任時点ですでに67歳。野球の世界のみならず、「人生のベテラン」という年齢だが、本著で描かれる野村の野球への姿勢は、孫ほど若手選手とも変わらない活力に満ちている。それだけ野球の面白さを知っていたのだろうと、うかがい知ることができる。
日本野球の転換点のなかで
野村がNPBから離れていた2002~05年は球界で大きな転換点でもあった。日本ハムが札幌に本拠地を移し、近鉄・オリックス合併に伴う球界再編問題、ソフトバンクホークス誕生もこの時期である。
NPB以外にも独立リーグの誕生や、茨城ゴールデンゴールズが話題になっていた。本書でも当事者である堀江貴文と萩本欽一が当時を振り返る場面もある。
「芸能人に何ができるんだ」と批判されることもあった萩本に対して、野村は「大歓迎」をし、社会人球界がさら脚光を浴びたのはご存じの通り。
野村の変革を恐れない姿勢はシダックス時代も健在だった。茨城GG球団の創設は、楽天やオリックス・バファローズと同じく2005年のことだ。すこし時代が進むと社会全体で「多様性」という言葉を耳にする機会が増えていくが、甲子園とプロ野球以外の野球も認知され始めた、言わば野球における「多様性」の種が巻かれたのも、このころのような気がする。
昨年のWBCを制した侍ジャパンの顔ぶれは、「マンガのような」二刀流・大谷翔平はもちろんのこと、この05年前後に誕生した新球団や独立L球団の出身、また日系人選手のラーズ・ヌートバーなど、”新しい日本野球”を感じさせるバックグラウンドを持った面々がそろっていた。
やはり日本球界が大きく変わったのは野村がシダックスの指揮官をしていたあのころだと思うし、「酸いも甘いも知る」野村を通じて、当時のことを振り返ることができるのは、やはり面白かった。
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