はじめは単なる実務馬鹿であるとおもっていた
(この身分制のなかで自分の頭角をあらわすのは、この世界しかない)
とおもい、大いに勇んで(奇兵隊に)入隊した。最初は平隊士であった。が、かれは自分の特技である宝蔵院流の槍術を生かした。その槍術を隊士に教えるうち、しだいに隊内で重んぜられるようになり、いつのまにか、
「隊士の意見を代表する者は山県狂介」
というような恰好になった。
・・・
晋作はこの山県をはじめは単なる実務馬鹿であるとおもっていた。
山県は晋作からみればおよそ才気というものがなく何をするにも慎重であったが、そのかわり奇兵隊事務をまかせておけばまちがいはなかった。
こういう男が、明治日本の陸軍の法王とよばれるほどの存在になり、さらには、文官にまで権力をおよぼし、ついに明治政府そのものをにぎる人物になろうとは、この当時晋作もおもわなかったし、隊士たちもおもわなかった。
「司馬遼太郎 世に棲む日日(三) 山県と赤根の章」
むー、山県が慕われていたかは別にして、明治維新の象徴の1つ???
自分の強みは何か?というイシューに向き合い、仮説を立て、ファクトを積み重ね、誰に何も言わせない領域に達したモデルケースか。
クリティカルシンキング的に読んでみた。
皆さんはどう読みましたか???