
糸魚川は日本の東西と山と海をつなぐ一大拠点だった?|学芸員小池の縄文コラム #1
こんにちは!美山プロジェクトの小池 悠介です。
ここでは美山プロジェクトの舞台となる美山について知ってもらい興味を持ってもらうため、市の学芸員の立場から美山の魅力を発信していきます。
まずは美山について知ってもらう前に、もっとマクロな視点として、美山のあるこの糸魚川市が一体どんなところで、どんな文化や歴史を持つ街なのか一緒にみていきましょう。
糸魚川ってどんなところ?
美山のある糸魚川市は新潟県の最西端に位置し、西は富山県、南は長野県と隣接しています。面積は746.24平方キロメートルあり、東京23区(約628平方キロメートル)よりも広い面積を有しています。
しかし、市域の94.4%を山林その他が占め、人の居住する宅地は全体の1%程度しかありません。市域を流れる姫川に沿ってフォッサマグナの西縁(糸魚川静岡構造線)が通り日本の東西を分ける中心に位置しています。
豊富な地質やその上に育まれた自然や歴史、文化をまもり、かつ多くの人に知ってもらう・訪れてもらうことを目的としてジオパーク活動を続けてきました。2009年にはユネスコが支援する「世界ジオパークネットワーク」の審査を通り、日本で初めての「世界ジオパーク」に認定されました。
糸魚川には、2つの国立公園(妙高戸隠連山、中部山岳)と3つの県立公園(久比岐、白馬連山、親不知子不知)があり豊かな自然が残る地域です。
きれいな水で育った農作物、海からの新鮮な魚介類、豊富に湧き出る温泉。
そうした豊かな自然は魅力的な歴史と文化を育んできました。
150件以上もの文化財が語る、糸魚川のくらし
糸魚川市には国・県・市文化財150件、国登録有形文化財8件が指定、登録されています。
そのうち、国指定文化財は25件で
・建造物3件
・彫刻2件
・有形民俗文化財3件
・無形民俗文化財3件
・史跡3件
・名勝1件
・天然記念物7件
・特別天然記念物3件
が指定されています。
この中でも、民俗文化財、史跡、天然記念物には糸魚川の地形や自然、糸魚川の人々が繋いできた文化を色濃く見ることができます。
今回は民俗文化財と天然記念物を中心に糸魚川の歴史・文化をご紹介します。
有形民俗文化財を知る
まず、有形民俗文化財の中から紹介するのは「能生白山神社の海上信仰資料」、「越後姫川谷のボッカ運搬用具コレクション」です。
■能生白山神社の海上信仰資料
「能生白山神社の海上信仰資料」は古くから回船が盛んだった当地域で、船主や船頭が公開の安全や商売繁盛を願って能生の白山神社へ奉納した船絵馬、船額です。
中には、日本では唯一と言われる「はがせ船」(北前船の前身とされる船で船底が平らで丈夫なため、荒海や岩礁の多い日本海の航行に適した船)を描いた大型絵馬もあり、当地域の日本海での海の交易や海上信仰を示す資料です。
■雪の中のボッカ
次に、「越後姫川谷の牧歌運搬用具コレクション」は糸魚川から信州松本まで延びる約120kmの松本街道を往来したボッカ(荷を背負って運搬すること、または運搬人)や牛方と言われる人が用いた運搬用具です。
江戸時代から昭和初期にかけてのものが指定になっており、近世以降の信越の山の交易を示す資料です。このボッカの通った塩の道は本プロジェクトのメインとなる美山を通り糸魚川の山間地へ入っていきます。
海上信仰資料は海の交易、ボッカ資料は塩の道を用いた山の交易の様子を色濃く示す資料です。糸魚川が日本の東西や海と山の交易の交点となる地域であることがわかりますよね。
無形民俗文化財を知る
無形民俗文化財では、民俗芸能として「糸魚川・能生の舞楽」、「根知山寺の延年」、風俗習慣として「青海の竹のからかい」があります。
■糸魚川・能生の舞楽
「糸魚川・能生の舞楽」は糸魚川の天津神社と能生の白山神社の春季大祭に行われる舞楽で、大阪四天王寺の流れを汲んでいます。天津神社は4月10日、白山神社は4月24日に奉納が行われ、稚児による演目が多いことから「稚児舞楽」とも呼ばれ親しまれ、毎年多くの見学者が訪れています。
天津神社の舞楽は鎌倉風とされ、12曲で構成され、文献資料から300年は遡るとされています。
白山神社の舞楽は、境内で御神嚮(ごじんこう)行列の先払いとして獅子舞が行われ、11曲が演じられます。長享2年(1488年)に能生大平寺に滞在した万里集九(ばんりしゅうく)の日記『梅花無尽蔵』に「祭祀之童舞有り」とあることから500年は遡るとされています。
■根知山寺の延年
「根知山寺の延年」は根知地区山寺集落の日吉神社に奉納される神仏習合を色濃く残す県内唯一の延年芸能で、地元では「山寺のおててこ舞」として親しまれています。延年は毎年9月1日に神社の祭礼の際に奉納され、10曲からなる風流と稚児舞楽を中核としながら「神楽」「万才」「獅子舞」の類も組み入れられています。舞の由来や起源は定かではありませんが、歌詞の中には室町小歌の言葉づかいも残ることから、京都の流れを汲み、400~500年前には伝わっていたとされています。
■青海の竹のからかい
「青海の竹のからかい」は青海地区の東町と西町に伝わる小正月行事です。歳神の来臨を仰ぎ、その神前で豊作、豊漁を青竹を引きあって占います。町が東西に別れ、隈取をした若い衆による2本の竹(勇み竹・合せ竹)の引き合いは、全国的に見ても珍しく、迫力のある行事です。
糸魚川には、春は「糸魚川・能生の舞楽」、夏は「根知山寺の延年」、冬は「青海の竹のからかい」が継承され、これらの指定文化財のほかにも多くの民俗芸能や風習が残る地域です。
天然記念物を知る
天然記念物は、10件(特別天然記念物3件、天然記念物7件)が指定されています。特別天然記念物に指定されているのは、白馬連山高山植物帯やライチョウ、カモシカ。
これらは、標高0mから新潟県最高峰の小蓮華山(2,766m)まで起伏に富む地形を持つ糸魚川の豊かな自然を表しています。
天然記念物の中の、「小滝川硬玉産地」、「青海川の硬玉産地及び硬玉岩塊」(硬玉=ヒスイです。)は糸魚川で独自な成長を遂げたヒスイ文化の基礎となる文化財です。
ヒスイは蛇紋岩という岩石に混ざって産出する白色や緑色の岩石です。明星山下を流れる小滝川や青海川の上流にはヒスイの巨大な岩塊が産出します。
そこから川を下り、海まできたヒスイを古代の人々は拾い、道具や装飾品、威信財として珍重しました。
小滝川ヒスイ峡
青海川ヒスイ峡
なぞの多いヒスイのロマン
ヒスイの利用については、考古学、歴史学上なぞが多く残っています。
縄文時代に利用が始まったヒスイですが、ある時期を境に国内で一切利用がされなくなります。
また、それと同時にヒスイがこの糸魚川に産出することだけでなく、日本国内でヒスイが産出すること自体、日本人は忘れ去ってしまうのです。
この忘れ去られてしまったヒスイは、昭和13年(1938年)に再発見されます。しかし、この再発見にも未だに解明されていない部分が多く残されています。
この辺りの話については次回の市内の遺跡の中で触れることとしましょう。
次回は糸魚川の古代の生活や文化について
今回は、有形・無形民俗文化財、天然記念物から糸魚川に伝わる文化や独自の自然についてお話してきました。
次回は、糸魚川で埋蔵文化財の発掘調査でわかった糸魚川の古代の生活や文化についてお話したいと思います。