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母の卵焼き

母の作る卵焼きは下手だった。

形は悪く味は何も付けていないし、よく混ぜられていない上に火加減も壊滅的だから謎の焼きムラが出来ていて。よくこんなにも下手に焼けるもんだと感心すらしていた。

料理が下手で惣菜も多くよく言う母の味とは無縁だと思って生きてきた。

でも最近、母が作っていたものに似た卵焼きが私の弁当に入っている。図らずも1番楽しみにしているおかずだったりするのだ。

秋の始まりに職場の休憩室のこたつにあたりながら食べる弁当は子供時代によく食べた、味を付けてない卵焼きの懐かしい味がする。



まず、私はちゃんと綺麗な卵焼きを作ることが出来る。出汁巻き、砂糖を入れて甘いやつ、ネギ入り…夫に弁当を作っていた時はちゃんと数回巻いて作る黄色い卵焼きを入れていた。

母は卵焼きすら上手く作れない。
上で書いた卵焼きが我が家の卵焼きで他の料理も然り。
そんな母を恥ずかしく思っていたしそれらを観て(食べて)育ったからか料理は人並みにこなせるよう頑張ってきた。今はネットで簡単にレシピをひけるし困ることはない。今後も母に料理のことを聞くことはないと確信している。

そんな卵焼き改め割って焼いただけの卵だけれど少し醤油をつけて食べるとごはんのおかずによく合う。何も味付けされていないあったかい焼きたての卵に醤油。よく言えば素材が最大限に生かされていたのだ。


週5でパートに出ている私のお昼はオシャレなランチなわけもなく毎日弁当持参。毎日作るのは大変だけれど誰に見せるわけでもないので気楽に作っている。

ひとつふたつ作り置きのおかずを詰めて、冷蔵庫にある野菜とキノコを炒める傍ら卵を焼くのが定番。職場には醤油があるので味付けは省くようになった。

卵はただ割り入れて箸で崩して適当にまとめる。
中まで火が通ったら冷まして、ごはんに乗せて終わり。

こんなにも手抜きでいいのかと自分でも思うけれどこの卵に醤油を垂らして食べた時、赤茶色っぽい全然おしゃれじゃないダイニングテーブルの上の白い皿にのった不恰好な卵焼きを思い出した。

あれ、これって母の卵焼きだ…


今は様々なシーズニングが売られていて気軽に本場の味付けが楽しめる。個人的にはガパオがとても好きだ。でも炒めるだけでも美味しい野菜やキノコ、焼いただけの卵にはほっとする母の味を感じて、もちろん手を抜くことが素材を生かすことではないけれど濃い味付けは素材を生かす上で全く必要ないんだなと思った。

おそらく素材を生かすというのは面倒くさがらないことが大前提にある。調理師免許を持っている兄に開始前の準備や下ごしらえの手間を惜しむなとよく言われた。母も私も生粋の面倒くさがりやなのだ。

無意識の内に母の味を再現している私。
母の娘過ぎる自分に文句を言いたくなる。

よくこんなにも下手に焼けるもんだって。

そう言ったときのあきれ気味の表情はきっと母そっくりに違いない。



         ♢



毎日のお弁当作りって大変ですよね。
家族の分も用意する方は本当にすごいなと思います。

なるべく手作りや夕飯を取り分けたりと工夫しているつもりですが大体同じようなものしか入れなくなり飽きるの繰り返し。

この先もずーっとこの生活かと思うと気が遠くなりそうですが手を抜けるとこは抜いて何とかやっていければいいかな。

さすがに子供たちのお弁当を作るときはちゃんと綺麗な卵焼きを焼きます(笑)

最後まで読んで頂きありがとうございました✨

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