過去を振り返りすぎない

こんばんは。時人です。

2日ほどnoteを休んでました。

仕事がちょっと重くなったので、noteの更新は毎日ではなく、2,3日に一記事を目安にしようと思います。

無理をせずゆるゆると続けていくので、良かったらお付き合いください。


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過去を必要以上に振り返るのはよくない、という言葉を見つけた。
思い当たる節があったのでドキッとした。

反芻思考と言って、論文も書かれており、よくないことが証明されているらしい。

今まで私は、過去を振り返っては、こういうところが悪かった、ここで行動を誤ったと、「自戒」と称してnoteに書いてきた。でもそれは、実は反芻思考を習慣にすることで「今の私の状況は好ましくない」という前提をより強固にする働きをしていたのかもしれない。

不幸に正当な理由を作ることは甘い誘惑だ。
今の自分には責任がない、と思い込み、悲劇のヒロインになることができる。

でも、それではきっと、本当に求めているものは手に入らないのかもしれない。


例えば、過去と他人は変えられない、返られるのは自分の未来だけだという有名な言葉がある。
今の自分が思うようにいっていないと思っても、過去を漁って理由を探し続けるのは、不毛なことなのだ。

そんなことに時間を費やしているうちに、残りの「未来」がすり減っていく。変えることができる未来に目を向けず、ひたすら過去や周囲の環境を見て嘆いているのは、たしかに本末転倒だと思う。

もちろん、過去から学ぶことは有意義だ。ある結果が、どんな原因によって引き起こされたかを知らないと、何度も同じパターンを繰り返してしまう。
それを避けるために、過去を分析するのは悪くないだろう。

けれど、その時はきっと、努力して感情をフラットにしないといけない。

過去の自分を思い出して、じれったくなったり、哀しかったり悔しかったり、色々な思いがこみ上げてくるとは思うが、間違ってもそれを恨み節にしてはいけないのだと思う。

過去を見る時は、ただ淡々と事実を確認すればいいんだ。

あの時自分は、こんな風に考えたから、こういう判断をして、結果的にこうなった。その積み重ねで今の自分がいる。

もっと効率の良いやり方とか、多くを得られるルートがあったかもしれないが、私は違う道を選んだ。

そこにこそ私らしさがあるのだと思う。

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どんな事情があれど、自分で選んで、失敗しながら進んできた結果が今の自分だ。
今の自分を「好ましくない」と思う時は、恐らくネガティブな面だけが過大評価されているのだ。
そこには少なからず、過去を何度も振り返って失敗した理由を探していることが関係しているのだろう。

というわけで、過去を思い出してクヨクヨしかかってると気づいたら、フラットに事実だけを考えるようにしよう、と思った今日この頃でした。


時人


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