不変なんてものは泡沫夢幻

うちの実家はそもそも建てたはじめからちょっと二階が歪んでいて、二階のトイレのドアはきちんと閉めないと勝手に開いていってしまう。きっとそれは他の人からすると不都合なことなのだけど、わたしにとってはなんとなく安心することだ。変わらないということ。

人は変わらざるをえない。生きていくことは、変化を強いられることだ。だから生きているかぎり、このままでいたいと切望する気持ちと、いやがおうにも変えられてしまう事実に、引き裂かれることになる。

安全な場所にいたいと思う。知っている場所に。

夢をみた。わたしは30才で、どこにいても不自由で、15個も年下の男の子に愛を告げられて、困惑しながら喜んでいた。あと10年経っても好きだったら好きにしなさい、とその男の子の母親が言った。道理だ、と思ったのをおぼえている。そしてその瞬間に、冷や水を浴びせられたような気がしたことも。そんな日はこない、と思うのに、もしかしたら、と期待した。けれど10年後、わたしは40才になる。待てないだろう、と思った。わたしは待てない。

かなしい夢だった。変わることを、それでもやめられないことが。自分だって変わらざるを得ないのなら、他人の変化を責めることなんてできようがないのだ。


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