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私が思うカワイイじゃね きっとあなた飽きてしまう

広辞苑を買った。第七版。刊行されてからずっと欲しかったので、念願叶って、というかたち。寝床に持ちこんで、あてどなく、ただひらいた頁を読む。ほんとうに嬉しい。

だいたい、わたしは辞典の類が好きだ。しかし好きになったのは成人を超えてからで、なぜ中学のときに使っていた国語辞典や、高校のときに持っていた古語辞典を捨てたのかと口惜しく思った。ものすごくもったいない。学生時代、辞書は「与えられるもの」で、望んで手に入れるものではなかった。だからほとんど関心がなかったし、雑に扱ってしまってもいた。
無条件になにかを与えてもらう機会が格段に減ってしまったいまになると、その贅沢さがしみじみとわかる。あんなに高価で、語彙力という一生ものの能力を育むために最高の教材を、へいきでないがしろにしていたということ。目が眩みそうな贅沢さだ。
辞書は改訂されてゆくものであり、時代に合わせて内容が変化していくのでとてもおもしろい、ということにまで、昔のわたしは思い至らなかったのだ。後悔先に立たずという言葉をかみしめる。とはいえ、あこがれを手に入れたいまのわたしはとても幸福だ。

ゴールデンウィークも残り1日半になった。正直あと4日くらい欲しい。自分の部屋に籠もって、YouTubeからいままで聴いたことのない音楽を大音量で流しながら、小説を書いたり勉強をしたり辞書を読んだりするのは、ちょっとびっくりするくらい幸福だ。この幸福というのは、だれかに共感してもらう必要も、けなされる謂れもない(だから詳しくは書かない)。純粋に100%自分だけの幸福に没頭できる時間を持てるだけ、わたしはかなり運が良いと思う。

わりとすぐにおちこんだり世を儚むほうなのだけど、そのかわり、軽い報酬で機嫌が直る傾向が強い。コンビニに行けたとか(わたしは無性にコンビニが好き。理由は不明)、シーツが冷たいとか、中本が新発売した蒙古タンメンのやきそばが食べられたとか、新しい良い曲を見つけたとか、クイズ番組にいきなり如恵留くん(Travis Japan川島如恵留。二推し)が出てきたとか、そういうささいなことでけっこう簡単に気持ちが盛り上がる。幸福を感じる沸点が低いともいう。それだけなら長所のように思えるが、わたしの場合、絶望を感じる沸点の低さもセットになっているので、良し悪しだな、と思う。

きょうはいまからお昼ごはんを食べて、それから仕事の記事を書いて広辞苑を読み、小説を書く。夜は友達とテレビ電話をする。また素敵な曲を見つけてしまったので、えんえんと流しながら作業する予定。この時間、良き。

(この記事のBGM→
くじら「金木犀feat.Ado」https://youtu.be/Baw-cAvS5xc)

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