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これまでの自分をぶっ壊せの精神

なんかこう、特別やりたいことのない日だなあと思います。今日は、午前中お彼岸のおつとめをして、家族でお寿司を食べて、1週間分の食料を買いに行って、勉強した。そしていまから簡単に夕飯を作って食べて、絵を描いて、寝るのかなという感じ。今日は誰を描こうかなと思うとちょっとワクっとしますが、大きく心が動くかというとちがう。そんな日もありますね。

次何の小説を書こうかなと思うと、それでも楽しいです。完成までのこと考えると気が遠くなるけど、楽しい。構想を練るときと、書き始めと書き終わりだけが楽しくて、あとは日によってまちまち。わたしにとって小説を書くというのはそんなもんです。

漫画やイラストを描いている幼馴染友達といまラインでさかんにやりとりしていて、次は彼女の好きなテイストの小説を書こうと思ってるんだけど、それがもう、何もかも初めての試みでわくわくしてる。明るくて笑える、学園ものを書く予定なんだけど、明るい話を書くのも初めてなら、学園ものを書くのも初めて。ざっくりしたイメージとしては、矢沢あい先生の『天使なんかじゃない』から恋愛要素をさっぴいたみたいなのがいいなーと思いながら構想練っております。天ない、数年前に友達に貸してもらって読んだきりだから記憶おぼろげだけど、それが逆にいいと思う。めっちゃ覚えてたら無意識に寄せてしまいそうだし。

これまで、学校が舞台の話ってあんまり書いてこなかったんですね。なぜかというと、自分が学生時代のことを嫌な記憶以外ほとんど覚えてないので、楽しい話が書ける気がしなかったからです。でもまあ、忘れてるぶん、好きに理想を詰め込んで書けそうだなーと幼馴染とラインしててなんとなく思った。わたしは基本的に現実を書きたいと思っていて、だからこそ人の汚さや醜い面も書くべきだと考えてて、そうするといつも後味が悪い薄暗めの小説になっちゃってたんだけど、今回はそれをぜんぶぶっ壊すつもりでいきます

いやあ、わくわくするな。これは蜷川実花さんが『蜷川実花になるまで』というエッセイで言ってた受け売りだけど、まだ結果も出てないのに自己模倣になるのがいちばん怖いですから。前とおんなじような話書いててもだめというか、スタートラインにも立ってないのに自家中毒に陥ってる場合じゃないですからね。きっかけをくれた友達にはすごく感謝してます。ひとり大好きだし淋しいのにも慣れっこだけど、やっぱり人と話すのは大事だなーと思うしだい。
こうやって自分の考えをnoteに書くのも、わたしにとってはすごく大事なこと。文章にして何度も何度も読み返すことで、それは芯になり強さになる。言葉の力、文章の力はことほどさように、すばらしいものです。

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