幸せで”いて”欲しいから。
僕と妻は、結婚して丸2年を過ぎました。
最近は生活も安定感を増し、お互いの振る舞いが少しばかり”夫婦らしく”なってきたかなと思いつつも、”まだまだ、たどたどしいな”と思ったりもします。
そんな僕たち夫婦が、結婚してから「一回も言ったことがない」ことがあります。
それは、
「結婚して幸せになった」
という言葉。
月並み過ぎて、もはや”挨拶がわり”にもなっている言葉です。
「私たち幸せになります!」
「幸せになりました!」
某CMやテレビドラマなどでは定番のシーンになっています。
*
消去法的結婚
僕たち夫婦は「結婚しなくてもいいよね」「結婚式しなくてもいいよね」と共通に思っていました。
その理由は、
・どうせずっと一緒にいるんだから、わざわざ「結婚」っていう手段を講じる必要はない。
・結婚式も同様に、お金も時間もかかるので必要ない。
・新婚旅行は、2人とも旅行好きなので、”新婚”関係なく行きたい。
そう思っていました。
しかし、よく考えてみると、僕たちの思う「結婚が必要ない」は、一面から見てみるととても”今どき”なように見えますが、
僕たちは「2人だけで行きている訳ではない」とも見えました。
どうせなら、というか、むしろ、お互いの家族親族とともにありたい。
そうであれば、「結婚」という形はより多くの人に「安心してもらう手段」としてはもってこいです。
しかも、結婚って、「超お得」なんです。
・ゼロ円でできる
・時間かからない(役所の窓口は夜中もやってますので、いつでも提出できます)
・紙切れに必要事項を記入するだけで、急に「社会的信用」が急上昇する。
正直、「学歴」「就職」「年収」などとは比べものにならないくらい「コスパ」がいいんです。
そんなわけで、僕たちの結婚観は「消去法的」な枠組みになっています。
婚活の持つ理性と同調圧力
そんな僕たちには、ありがたいことに多くの友人や大切な人がいます。
最近、にわかに「婚活ブーム」がやってきています。
それまで結婚について目立った行動のなかった人が街コンに行ったり、アプリに登録したり、街コンで出会った人と付き合ったり別れたり。
なんだかとっても忙しそうで、楽しそうです。
そんな活動をしているみんなから、最近相談を受けることが増えてきました。
何人かで集まった時には結婚の話がメインになり、
「今度こんなパーティに行く」とか「一緒にアプリに登録した」、「どんなアプリがいいの?」「転職してそれどころじゃない・・・」など、話題の中心はいつも婚活です。
もちろん、したいもの(結婚)は、してほしいです。
応援しています。
でも、やっぱり僕が感じるのは、「結婚観の窮屈さ」なのです。
①結婚の”理性”
理性ってどういうことかというと、
「こうであるべきだ」
「こうしなければならない」
と考えることです。
これを結婚に当てはめると、
「いい歳なんだから結婚しなければならない」
「就職、転職の次は結婚するべき」
「友人、兄妹が結婚したんだから自分の結婚しなくちゃ」
という理性です。
特に、僕の田舎のような地方やご年配の方の多くはこんな意見を持っているんではないでしょうか。
でも、よく考えてみてください。
結婚って、「人間が生まれた時から存在している」ものではないですよね?
少しだけ「結婚の歴史」を紐解くと、
今のような婚姻制度が大きな意味で整備されてきたのは、ここ100年くらいなもんです。
しかも、「男女平等」「家族間格差是正」という意味では、今なお法制度が変えられたりしています。
ということは、「ご飯を食べる」「勉強する」「就職する」という”日本人として比較的当たり前の行為”と比べても、「結婚の歴史は浅い」ともいえます。
人間によって作り出された「最近のブーム」を、あたかも「普遍的な常識」と思っていたり、思わされていたりしませんか?
②同調圧力
理性を根源として、自分の身の回りにいる人(友人、家族、上司など)から「結婚しろ〜」「結婚はいいぞ〜」と言われているような気がしませんか?
”なんとなくこれくらいの年齢になったら結婚するもんだよね。。。”
実際に言われていても、言われていなくても、そう思われているんだろうなあ〜と思っちゃいますよね?
これが多くの婚活女子を苦しめている大きな原因の1つです。
なんとなく、年収と兄弟構成を条件にしないといけなくて、
なんとなく、両親の年齢を知っておきたくて(介護しなくていいように)、
なんとなく、雑誌に書いてあった「優しい人」を探していて。
なんとなく、みんながそう言っているから・・・。
そんな目に見えない巨大な同調圧力によって、どんどん自分を見失いそうになります。
大切な人に「幸せになって欲しいと」思わない
僕たちの周りには、前述したような「追い込まれた」人はいませんが、
やはり少なからず苦しい思いを感じている友人もいます。
苦しい思いをすると、自分を責めたり否定したくなります。
でも、僕たちはそんな友人に、「幸せになって欲しい」とは思っていません。
友人が本来持っている「自分の幸せ」を感じて欲しいと思っています。
結婚したからといって、
一時的な安心感、自己承認欲求は満たされますすが、
残念ながら、幸せにはなれません。
大切な人を近くに感じ、日常起こる事象に心を震わせる、自分は生きていると感じる、そんな誰にでもある幸せを「きちんと享受してほしい」と思います。
だから、婚活の相談にはいつまでも乗るし、買い物にいって一緒に服を選ぶし、
頻繁に会っては、ご飯に行くし、遊ぶし、
その時、その、僕たちにとっての大切な人が「幸せを感じる瞬間」に寄り添っていたいです。
「幸せ」になんかなれっこありません。
でも、ただ、僕たちは祈ります。
そして、寄り添います。一緒に楽しみます。
幸せでいて欲しいから。
*
<終わり>
シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。