仕事?地域のこと?誰のこと?

都内は不安定な天気が続いています。

道路は渋滞し、
自転車通勤の僕はカッパを着たり脱いだり、
徒歩通勤の同僚は傘を片手に、
電車通勤の同僚は蒸し蒸しの電車内で苦しんでいますw

こんな時期に僕たち介護現場で気になる事の1つに「送迎対応」があります。

安全を最優先に、できるだけ利用者さんが雨に濡れないようにご案内しなければなりません。
時に時間をずらしたり、ご家族にお手伝いをして頂きながらの対応になります。

そんな時に重なるのがトラブル。

トラブルはホントに重ねるのが好きだなあ〜

ある朝、送迎用の車を駐車場から出したところ、
「ウインカーランプが点かない!」

何だよお〜
昨日は絶好調だったのにい〜

そのままで送迎に出ることもできないので、レンタカーをすぐに手配。

いつも送迎で使っているようなミニバンタイプはなく、5人乗りの車になりました。

雨で不調になるのは人間も同じ

その日の、ある90代の女性をお迎えに行きました。

いつもはお元気に玄関で待っているのに、その日は違いました。

立ち上げることもできず、玄関に座っていました。

”これは両手引きで介助だな”

そんなことを思いながら声をかけてみると、やはり元気がない様子。
気温の変化やジメジメでお疲れ気味でした。

玄関から送迎車まで5メートル。
雨足を考えるとギリギリ・・・濡れちゃうな〜と思っていました。

しょうがない!
安全性が担保できないことの方が良くない。
ご本人とご家族も”しょうがないね”といった具合でした。

「さあ、行きましょう!僕の両手を・・そう、肘を持ってください。」

両手引きを始めた時、僕の後ろに人の気配を感じました。

傘を持った弊社社員でした。

おそらく通勤途中だったのでしょう。

「おお!ありがとうございます!」

僕と利用者さんは濡れずに車まで行くことができました。

僕の仕事なんだが・・・?

前提として、介助者である僕、介護のプロである僕は、傘はもちろん、利用者さん用のカッパなどを用意し、利用者さんが不快にならないand安全に介助することは求められて然るべきだと思います。

その点で言えば、今回の件は、僕がプロとして失格。
と見ることも適当だと思います。

ただ、今回の件で考えたいのは、
「仕事」「地域」「知り合い」「顔見知り」と関係性が分断されているということです。

要するに、介護を「仕事である」と見るか、「地域のこと」と見るか、「自分のこと」と見るか、ということです。

介護は「誰のもの?」

介護は誰のものなのでしょう?

一番根本の定義について考えてみたくなりました。

僕の結論としては、「地域みんなのもの」であると思います。

人によっては「恥ずかしい」「家の中のこと」とお思いの方もいらっしゃるでしょう。
個人のためのものであって、個人と家族以外は介入すべきではないとも思われています。

しかし、それによって

・自分の地域のことがわからない
・介護のせいで家族は破綻しそう
・「死」に触れることのない生活、人生

になりつつあります。

以前のnoteでも書きましたが、「死」は日常的な営みです。
人間が人間たる所以を、自分の心技体で経験することができます。

「人は1人では生きていけない」という言葉。

若者には糠に釘です。

テクノロジーの進化、元気な肉体。
若者は相対的に多くの武器を持っています。

でも、ご高齢の方はそうではありません。

思うように生きていけなくなるし、”テンション”も上がりづらくなってきます。

そんな人を自分の隣に感じながら、地域の中で助け合って行けるような。

雨が降ったら傘を差しあえるような、そんな「地域」になったらいいのに。

そう思える時間でした。


<おわり>



シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。