承認欲求の優先順位で成長フェーズを見てみる

ミヤケです!

今日は承認欲求について書きます。
先日ある後輩と話をしていて、「話の本質を伝えるのってムズイなあ〜」と思ったので、その内容に触れつつ考えていることを書きます。

「承認欲求ないんですか(笑)」

後輩と承認欲求の話をしていて、
「俺最近無いんだよね〜」と何気なく言ったら、めちゃくちゃ過剰な反応をもらえました。

「え?無いんすか?w」
「ほんとですかー?w」
「ミヤケさんほんとすごいっすよね〜!w」
「あ、顔にやけてません??w」

多分そもそも見ているところが違うので、彼は過剰に反応したんだろうなあと思います。
端的にいえば、彼は今承認欲求をめちゃくちゃ欲している状態で、それが「無い」っていう人に対して過剰反応してしまう、という感じなんだと思います。

この数秒間のやりとりからとても大きな気づきをもらいましたので、心底彼には感謝したいと思います。
皮肉とかではなく、多分、素直で真っ直ぐ生きているからこその彼の反応があったからこそ、考えさせられたんだと思います。(彼は隠しているつもりなんでしょうけどねw 素直なやつだなあ〜w)

いや、無いってか、優先順位かなり低いのよ。ほんとに。

自分のことをよく考えてみると、確かに承認欲求が「無い」ことはないですが、ここ数年でどんどんと優先順位が下がっている気がします。
その理由は、「すでに満たされている」からに他なりません。
職場でも家でも地域でもその他やっている団体でも、自分のやりたいことを仲間と一緒にやれている(やれ始めている)ので、
「誰かに認められたい」
「何者かになりたい」
といった類の欲求はかなりの容量で満たされています。

だから、「必要なくなった」というわけではなく、
僕のことを認めてくれる(存在を認めてくれるイメージです)人が沢山いるので、もはやそれを求めなくてよくなった。と言った方が正確ですね。

満たされていると認識することで成長する

とはいっても、僕も「認められたい!」って思う時は普通にあります。
普通に思います。

その度思うのは、
「自分は何にどれくらい満たされているんだろう?」
つまり、今自分の中にある「実はもう結構満たされている欲求は何か?」を考えます。

満たされたい!満たされたい!
と考えている時ほど、すでに満たされているものについて目を向けようとしません。

よく考えれば、僕には、
何があっても大切に思ってくれる
・家族
・仲間(会社、学習支援団体)
・友人(中高大で10人くらい)
・地域の方々(他所者の僕の挑戦を応援してくれます)

たくさんいるじゃないか!!
それに目を向けず、満たされてない満たされてない!と言うのは、
今いる大切な人に申し訳ないなあと。

こんなに沢山の人が、こんなにも思ってくれていて、大切にしてくれて、十分幸せです。

だから僕の座右の銘は
「幸せを感じる」
:幸せって、なる・得るものじゃなく、すでにあるものにどうやって目を向け受容するか。

そして、そんな思いが溢れた「幸せを感じられる社会」を作っていくために、今日も僕は全力でがんばります。


<終わり>


シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。