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スポーツジムの機械室にて。

こんにちは、ミヤケイ(@38ke1)です。

今回は近日15期募集予定である #プロサー  に入会したきっかけを今までの僕の大学生活に沿ってお話しします。

特に何かを売りつけるわけでもなく、約2年間お世話になっているプロサーはこんなコミュニティだよ!

といった内容をご紹介出来ればなと思います。

長文になるかとは思いますが、読んでいただけると幸いです。

自己紹介

最初に僕の自己紹介を簡単に書かせていただきます!

名前:ミヤケイ
年齢:23歳
出身:青森県青森市
職業:日本大学経済学部4年生(通信制)

来年の春からサイバーエージェントの子会社→独立し2年前に上場した渋谷のベンチャー企業でフルスタックエンジニア。

大学入学までの人生

1997年のクリスマス、僕は生まれました。

物心がつく前に両親は離婚し、銀行員として働いていた母と祖父母の元で育ちます。(とても可愛がってもらいました!)

高校時代はオリンピックに2回出場経験のある恩師の元でボート部に3年間所属。

引退後は燃え尽き症候群になり、大学でボートを続けることを考えていなかった僕は、情報系の学部がある北海道の国公立大学を目指していました。

そんな進路と格闘する日々を過ごす中ある日、母がこう言い放ちました。

👩‍🦰「大学に行かせるお金ないわよー!」

。。。こればかりはしょうがない。高卒で就職を決断しました。
(今思えば奨学金なり色々と手段ありましたが、当時は考えつかなかったです笑)

その頃ボート部の同期が何人か自衛隊を志願していたので僕も応募しました。

結果は。。。不採用でした笑

筆記試験はバッチリだったので、適性検査or面接でやらかしたみたいです。

自衛隊の試験は落ちる人をあまり見たことが無いとよく聞いていたので、当時は尚更ショックでした。笑

その日高校の食堂で食べた唐揚げ丼(大好物)の味が全然しなかった覚えがあります。

その後は進路指導の先生からのご紹介で東京のお寿司屋さんで面接、そして翌日には内定をいただきました。

料理が元々好きだったのもあり、当時は料理の道で生きる!という気持ちで受けました。

上京後、1年半浅草のお寿司屋さんでみっちり修行を重ねて退職。

退職した理由としては、

祖父母の体調の悪化
その面倒をしていた母がうつ病を患う
社会人を経験した上で他のことがやりたくなる(留学or公務員就職)

以上3点が大きな理由です。

退職後は実家に帰り実家近くのスターバックスでアルバイトをしながら、母や祖父母の手伝いをしたり英語の勉強をしました。

そして大学生

退職から半年後。

留学への熱意が高かった僕は奨学金を借りて

日本大学の通信制に進路を決め、英語を本格的に勉強することを決意しました。

通信制とはいえ東京都内にキャンパスがあったため、再度上京しました。
(入学後は週4日ほど通学)

4年間トータルの学費は百数十万円。大卒の学位が欲しかった僕は

「大学の学費&留学費用をアルバイト2つ掛け持ちして貯めつつ英語の勉強」

という日々を過ごしました。

時は流れ大学2年生の秋。

IELTS(留学をする際に必要な英語の試験のスコア)の基準を満たし、

マレーシアのサンウェイ大学への留学が決まりました。

それと同時に就職を考えるようになり、そのタイミングでエンジニアを目指し始めました。

それまでは貿易事務職(輸出入を円滑にするためのやりとりをするお仕事です)を志望していましたが、

モノ作りが好き&元々IT志望だった僕としては技術を身につけて人に還元する職に就きたい!と思ったのがきっかけです。

プロサーに出会ったきっかけ

その頃Twitterで以下のツイートを見かけました。

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イケてる感じと少しの怪しさを兼ね備えたアイコンの方が何か募集している!
(むらっしゅさん、当時の正直な感想です。ごめんなさい笑)

結果としては即応募させていただきました。

決め手は色々あったのですが

マレーシア&エンジニアの組み合わせが当時の自分にとってタイムリーに重なっていた。
厳しさの中に見える優しさが過去のツイートから見えた。
身の周りの方に対する愛情がハンパなかった。(お母さん、メンバーなど)

といった部分です。

ツイートを遡れば遡るほどこの人のようになりたいな、と思うようになりました。

審査に通り2020年11月11日(ポッキーの日)に初めてむらっしゅさんと面談。

その時に話した内容としては

実家に住んでいた母(当時は休職中)や祖父母の現状、留学は決まったが費用面で不安であること。シェアハウスがある事は知っていたので、マレーシアでプログラミングをガッツリ勉強したいこと。

初対面でしたが、話せば何でも解決できそうな雰囲気だったので全部さらけ出したことを覚えています。笑

審査に通ったとは言えど、入会前にこんなに真摯に向き合ってくれる人はいない!と思ったため入会を決意しました。

スポーツジムの機械室にて

ここでタイトルの伏線回収です。

入会を決意したものはいいものの、生活費&学費&母への仕送り&デート費用でカツカツだった自分にとっては中々考える金額でした笑

スポーツジムでのバイト中、シャンプー等を補充する機械室で30分ぐらい決済画面とにらめっこしていました。

そして思い切ってクレジットカードの番号とセキュリティコードを入力!

決死の覚悟の入会です。(今思えばただのサボり!!!)

同時にサンウェイ大学への留学を辞退させていただきました。

マレーシア渡航前

入会してから約2ヶ月後、むらっしゅさんと再度面談をした際当時6期生のジャッキー君を紹介してもらい近所のモスバーガーで会いました。

彼は僕と似た境遇でマレーシアでの生活など色々話した覚えがあります。

当時はマレーシアでの滞在費を稼ぐために課題はノータッチでしたが、年下である彼の行動に感化されマレーシアで圧倒的に成長してやる!と思いました。

彼のnoteをこちらに掲載させていただきます。(先に僕のnoteを最後まで読んでいただけますと嬉しいです笑)

ジャッキー君のnote

マレーシア滞在中

毎日のニュースで「コロナウィルス」という文字をよく見るようになった中、2020年3月9日に日本を飛び立ちました。

ほぼ課題をやってない&Slackに出没しない僕でしたが、シェアハウスメンバーの皆さんは温かく迎え入れてくれた事を鮮明に覚えています!

しかし入国1週間後にロックダウン

僕以外のメンバーは日本に帰国し、むらっしゅさんの飼いウサギ「セロリさん」との生活が始まりました。

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セロリ〜〜ン

マレーシア滞在中は課題&自分と向き合う時間がかなり取れたのでとてもいい経験でした。

7ヶ月間観光ビザでエンジニア修行をした後は、日本に帰国し就活開始。

就活を始めた時は年齢で言うと2浪の歳だけど大丈夫?など色々考えましたが、

ソフトウェアに対しての姿勢は誰にも負けていないというマインドだったりこれまで積み上げた絶対的な信念があったのですぐに払拭されました。

それとメンバーの助けがあったのも、就活をやり切れた要因です。

就活中に自転車日本一周を始めたのですが、福島県から宮城県を走っている最中にパンクし、その30秒後に内定の連絡をいただいた瞬間は忘れられません。

パンクの事とかもうどうでも良くなってました。笑

実際にエンジニアとして活躍、日本一周が出来ているのは決して自分の力のみだけではなく、むらっしゅさんをはじめとしたプロサーのメンバーの方々のおかげです。

この場を借りて申し上げます。

今後の展望

このまま無事に大学を卒業したら、自己紹介に書いた企業で働く予定です!

会社全体の中で見るとエンジニアの数は少なく、フルスタックの名の通りサーバーサイド、フロント、インフラ全部携わります。
(現在は内定者バイトとして働かせていただいていますが、楽しいですよ!)

大袈裟だと思われるかもしれませんが、プロサーに入ってから明らかに考え方や生き方が影響されたと実感しています。

運営をはじめ、メンバーの皆さんは本当に尊敬する方々ばかりです。

僕に出来る事はとても小さいことばかりですが、あなたのエンジニアになりたい!という気持ちをサポートする自信があります。

向き不向きはやってみてからでないと分からないのが難しいところではありますが、だからこそ面白いと思います。

もしプログラミングやエンジニアという職業が仮に向いていないと感じたとしても、そのような方を見捨てない環境がここにはあります。

いつでもDMお待ちしておりますので、お気軽にご相談ください。

https://twitter.com/38ke1

末筆ながらここまで読んでいただきありがとうございました!

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