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母からの、束縛から逃げる事が出来た。が、 義父や、義兄の借金は止まる事は無かった。 子供達…
時は、前後するが あれは、上の子供が小学5・6年生の頃だった。 結婚して以来、黙って私と母を…
毎日、頑張っても頑張っても、義父と義兄の作って来る 借金には、家で縫物ぐらいでは間に合わ…
生まれたばかりの、我が子の泣く声に、何とかお乳をと 思うと、返って焦ってしまう、私。 しか…
結納も決まったが、母は日曜は仕事だと言い張り。 仲人も、主人側のご両親も仕事を休み、平日…
その頃の母は、お前は片輪だから、まともな所には行けないのだから、 この言葉が口癖の様だっ…
母の中には、私は居なかった。 母の大事な物は、自分のプライドと体裁だった。 都会と言う所は、煌びやかで、ライトを浴びる事に 憧れを、与える所だったろうか。 自分を着飾り、人の上に立って物を言う事の喜びを 手に入れた母に、誰の口もたたなかった様だった。 元々、賢さと感の良さも相まって、人を引き付ける 物を持っていた。 それが、母を傲慢にして行った様に思う。
何時しか、都会の言葉も、習慣にも慣れていき それと引き換えの様に、 お国なまりも、一つづつ…
名古屋に、出て来て二年目を迎えたその頃。 日が沈んでも、外は賑やかだった。 眠らない、都会…
毎日ふるさとを、思わない日は無かった。 しかし、それを、口にする事はしなかった。 口にした…