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色々ありすぎな人生、のような気がする。

鉄道員の父と専業主婦の母

12歳年上の姉との4人家族だった。


何でもそつなくこなす姉と

いつも比べられ

姉にはどんくさいだの

ブスだのと言われて育つ。


「どんくさい」とは関西弁で

鈍いとかグズとかいう意味。


12歳も離れている姉妹を

比べること自体どうかしてると思うけど

親も、祖父母もそうだった。


父も母も姉も

継母に育てられた人だったので

私に向かって

「アンタは両親が実の親だからいいよね」

と言っていた。


子供の私にとっては

そんなこと知ったこっちゃない。


当たり前のことを

羨ましがられてもわからない。


それよりも

「お姉ちゃんはかわいそうだから」と

何かにつけて優遇されていたのが

気にくわなかった。


そのくせ未熟児で生まれたからか

私に対して両親はうっとおしいほど

束縛してくるので息苦しかった。


実の親だからとか

義理の親だからとか

そういうことではなくて


ちゃんと無条件で

愛して欲しかっただけなんだけどなぁ


親の束縛から逃れたくて

24歳の時お見合いで結婚した。


この人なら私を

自由にしてくれると思った。


でも今考えたら

事前に希望を伝えていたにもかかわらず


姑の意見に従って

勝手にエンゲージリングの

デザインを変えたあの人のことを

結婚する前に見限っておくべきだった。


すごくショックだったのに

何も言えなかった私もバカだけど。


出産した日は忙しいからと

病院には来なかった。


赤ちゃんの入浴も

私は主人にしてほしかったのに

殆んど姑が来ていた。


でも私たちのために頑張って

仕事をしているんだからと

不満があっても我慢した。


何があっても

実家に帰りたくなかったから。


それから数十年後

些細なことでブチ切れた旦那が

ウチに帰ってこなくなった。


始めは

どうしたんだろうと思っていたが

そのうち帰ってこないほうが

居心地がいいことに気づいた。


いないほうがいいじゃん。

いなくていいじゃん。


1ヶ月して主人は帰ってきたが

その時にはもう気持ちは決まっていた。

家を出ようと。


それから引っ越しの予約をし

子供の部屋に段ボールを置いて

隠しながら少しづつ荷造りを進め


市内にアパートを借りて

主人に内緒で引っ越した。


食卓に

「探さないでください」

とだけ書き置きして。


それでそのまま

一度も顔を合わさず離婚した。

それが十年前。

これが私の人生で

最大の快挙かも知れない(笑)





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