Connecting the dotsな転職・キャリア論
私が初めて転職を経験したのは、当時言われてた「35歳転職限界説」過ぎた、36歳の時でした。
新卒で入社した社員400人程度の中堅広告代理店で10年ちょっと働いて、それなりの実績も残し、ありがたいことに評価もされていました。しかし、それはあくまで社内での話。その環境に甘えて、自分がぬるま湯に浸かっているような感覚がありました。
「俺より強いやつに会いに行く」
自分はトップレベルの世界で戦えるんだろうか?まるでストリートファイターIIの有名なキャッチコピーのような気持ちで、私は転職することを決意したのです。
その後、2度の転職を経験し、現在は外資系IT企業のグループ会社で働いています。
そこに広がっているのは、まさにドラゴンボールの世界です。圧倒的なスキルと熱量を持った戦士たちが、ビジネスという熾烈な戦いを繰り広げているのです。
そんな戦場で、私がなんとか戦うことができているのは、点と点をつなぎ合わせて、自分の希少価値を高めることができたからだと思っています。
このnoteでは、私が転職するにあたって、何を考え、どう行動したのかを書いていきたいと思っています。
現在は私はUXライターという、おそらく今これを読んでいるほとんどの皆さんが聞いたことがないような仕事をしています。しかし、キャリアのスタートが営業だったこともあり、転職に関する考え方や方法論は、転職を検討しているビジネスパーソンの皆さんに広く役立つ内容なのではないかと思っています。これから転職を考えている皆さんにとって、少しでも参考になったり、気づきを得られるようなnoteになれば幸いです。
何をして生きていけばいいかわからない
新卒で入った会社を辞めると決意したものの、私の転職活動は迷走していました。
入社した時の私の職種は、営業でした。先輩が受け持っているクライアントのサポートや、新規開拓などが主な業務。そこでビジネスパーソンの基礎ともいえる、お金と時間の管理を学べたことは、本当に幸運だったと思います。その後、元々クリエイティブに興味があったこともあって、異動でクリエイティブ配属になり、コピーライターとして10年近く働きました。
転職を考え始めたころの私は、10年近くコピーライターとして働いていたにもかかわらず、全く別の仕事を始めることも考えていました。
そのひとつが、データサイエンティストです。当時、日経電子版でこんな記事を保存していました。
2018年ごろ、データサイエンティストは「21世紀で最もセクシーな職業」と呼ばれ、大きな注目を集めていました。元々理系出身でデータを扱うことが好きだったこともあり、何より、とにかく年収が高いらしいとの噂だったので、気になる職業のひとつでした。
他にも、これからはプログラミングが武器になるのでプログラミングを勉強したほうがいいのかとか、マーケティングをやりたかったのでマーケターになろうかとか、元々CMが好きだったので動画プランナーになるとか、とにかくキャリアの選択肢を全く絞ることができず、自分が何をして生きていくのか、を決められず思い悩んでいたのです。
以前、大学生に向けてキャリアについて話をする機会があったのですが、そこでキャリアセンターの方が言っていたのは、「やりたいことがわからない」という学生が多いということでした。まさしく、当時の私と同じ状況です。
これは何も、学生に限った話ではないと思います。社会人だって、多くの人が「やりたいことがわからない」「自分に向いている仕事がわからない」という悩みを持っているはずです。
そんな悩みを抱えている時に出会ったのが、USJ復活の立役者として知られるマーケターの森岡毅さんです。森岡さんの著書『USJを劇的に変えたたった1つの考え方』を読んで、私のキャリア戦略は一気に明確になりました。
好きな仕事でなければ成功できない
まず私が森岡さんから学んだことは、好きな仕事でなければ成功できない、ということです。
私は将来のキャリアに悩んでいた頃、プログラミングの勉強をしたことがありました。スティーブ・ジョブズの自伝を読み、自分のバイブルとも言える『How Google works』に夢中になっていた私は、「とにかくこれからの時代はコンピューターサイエンスだ!」と思い、プログラミングを勉強を始めたのです。入門書を買い、プログラミングが学べるサイトに登録しました。
しかし、プログラミングのことを全く好きになれず、1ミリも上達しませんでした。思い返すと、大学生の頃もプログラミングの授業の単位をしっかり落としていました。シンプルに全く向いてなかったのです。
「好きな仕事でなければ成功できない」という言葉に出会った私は、そんな自分の体験を思い出しました。
きっとプログラミングが好きな人なら、あっという間に上達し、寝る間も惜しんで独自のアプリでも開発していたのだと思います。しかし、私はそうではありませんでした。そんな私が、プログラミングを学んだところで、トップレベルで戦うどころか、どんな場所に行ってもただの役立たずになっていたと思います。
この経験から、いくら世の中で需要があり、年収が高い職能でも、自分が好きでなければ成功できないということを学んだのです。
「好きなこと」とは何なのか
「好きな仕事でしか成功できない」ということはわかりました。しかし、一難去ってまた一難。多くの人が、新たなる壁にぶち当たると思います。
「自分の好きなことって、何?」
一時期、「好きなことで、生きていく」というYouTubeのキャッチフレーズが爆発的に拡散されました。この言葉に共感した人の多くは、好きなことで生きるなんてうらやましい!と思ったはずです。しかし、私の感じ方は少し違いました。「好きなことで生きていくって言うけど、それだけで生きていけるほど好きなことって、自分にとって何?」と思ったのです。
あなたの好きな仕事はなんですか?と聞かれて、即答できるビジネスパーソンは決して多くないと思います。キャリアに悩んでいた頃の私が、まさにそうだったように。
私は年初にその年の目標めいたことをノートに書くのですが、2018年のノートには「2018年の目標→好きなことを見つける」と書き残されていました。
好きを動詞で考える
自分の好きなことを見つけるにはどうすればいいのか。そんな悩みにも、森岡さんは答えを導き出す方法論を用意してくれています。それが、「好きを動詞で考える」ということです。
「好きなことを見つけよう」と考え始めて、いちばんやってはいけないことは、好きを名詞で考えてしまうことです。
私が新卒で広告代理店に入社したのは、広告が好きだったからでした。特にCMが好きだったので、CMプランナーになりたいと思っていました。今考えると、これは仕事を選ぶ上で、良い方法ではなかったと思います。「広告」も「CM」も名詞だからです。実際、私は結局、CMプランナーにはなれませんでした。なぜなら、CMプランナーになれる人は、「CM」という名詞が好きなのではなく、「CMを企画すること」という動詞が好きな人だからです。
元電通のCMプランナーであり、ピタゴラスイッチなどの数々の名作を生み出している、東京藝術大学教授の佐藤雅彦さんの講義を受講したことがあります。その時のお話でいちばん心の残っているのが、次の言葉です。
その時、私は、「企画すること(動詞)」が本当に好きというのはこういうことなんだ、と思ったのです。誰に頼まれたわけでもなく、気付いたら勝手にやっている、それが「好き」ということなのだと。
映画を好きな人ではなく、映画を撮ることが好きな人が映画監督になり、小説が好きな人ではなく、小説を書くことが好きな人が小説家になるのです。
「好き」と「憧れ」の混同
「好きなこと」を考える上で、もう一つ大切なことは、「好き」と「憧れ」を分けて考えることです。山口周さんの著書『仕事選びのアートとサイエンス』に次のような一節があります。
これを読んで、ああ、私はCMプランナーに憧れていただけなんだ、と非常に納得した記憶があります。CMプランナーにはなりたいけど、どんなCMが作りたいか?と問われても、きっと答えられなかったと思います。
そしてこの本にも、佐藤雅彦さんのように、動詞としての「好き」を具体的に示している事例が載っています。『ウェブ進化論』の著者である梅田望夫さんの話です。
誰にも頼まれていないのに企画を考える。誰にも頼まれていないのに企画書を書く。誰にも頼まれていないのに、やっていること。これこそが、仕事にするべき「好きなこと」なのだと思います。
私の好きなことは「書くこと」だった
動詞で言えること。誰にも頼まれていないのに、気が付いたらやっていること。私にとって、本当に「好きなこと」とはなんだろう。
そう、それは、今まさに私がやっていることでした。
書くこと、です。
あなたは今これを読んで、「いやいや、10年もコピーライターとして働いておいて、書くことが好きって気付かなかったのかよ」と思ったかもしれません。私もそう思います。しかし、人間というのは本当に客観視することが苦手な生き物で、こんな簡単なことですら、キャリアに関する本を何冊も読み、いろんな人の考えに触れ、長い時間をかけて考えないとわからなかったのです。本当に効率が悪く、遠回りな人生だと思います。しかし、あの時悩んでいなかったら、きっと今の私はなかったと思います。
私がはじめてインターネットで文章を書いたのは、大学生の頃でした。まだ「ブログ」という言葉すら存在しなかった2000年代前半、わたしは毎日インターネットで日記を書いていたのです。もちろん、誰に頼まれたわけでもないのに。
当時好きだったラジオDJが自分のサイトに日記を書いていて、それに憧れたのがきっかけでした(そういう意味では「憧れ」というのはやっぱり大事)。その日あったこと、見たテレビ、読んだマンガ、見た映画のことなど、自分の日常で起こることすべてを日記に書いていました。すると、少しずつ、自分の書いたものを「好きだ」と言ってくれる人が増えてきたのです。そうなると、もっと書くことが好きになりました。
これこそが、私が本当に好きなこと、だったのです。
自分の好きなことが「書くこと」であるとわかった私に、もう迷いはありませんでした。
データサイエンティストを目指すのでもなく、動画プランナーを目指すのでもなく、マーケターを目指すのでもない。
自分が好きな「書くこと」を活かせる職能を選ぶことこそが、自分がトップレベルで戦うことのできる唯一の方法だとわかったのです。
100万人に1人の存在になる
自分の好きなことが「書くこと」で、それを活かせる職能を選ぶことが、成功に最も近いことはわかりました。しかし私はそこで、すぐに転職することを選びませんでした。その時の自分は、「ただ書くことが好きな人」だったからです。このままではトップレベルで戦えない、そう考えていました。
そこで参考にしたのが、藤原和博さんの「100万人に1人の存在になる」という方法論です。
まずは最初のキャリアで100人に1人の存在になる。次に別のキャリアで100人に1人になると、1万人に1人の存在になる。さらに別のキャリアで100人に1人の存在になると、100万人に1人に存在になる。これが、100万人の1人の存在になって人材としての希少性を高めるという、藤原和博さんの方法論です。
当時の私は、コピーライターとして10年間働いたので、10年も働けば最初ののキャリアについてはある程度の高さまでは到達できているのではないかと思っていました。なので、自分の希少価値を高めるために、何か新しい付加価値を獲得できないかと思ったのです。
そのひとつが、デジタルです。
広告という仕事は、新聞広告や雑誌広告など、元々はアナログな世界で成長してきた業界でした。しかし、他のあらゆる業界と同様に、その世界は大きく変わろうとしていました。広告業界にも、デジタル化の波が押し寄せてきたのです。
そんな中で、私は元々インターネットが好きだったこともあり、営業から頼まれてバナーやLPの制作などを担当するようになりました。すると、社内に何人かいるコピーライターの中で、この人はデジタルもできるらしい、という感じになり、だんだんデジタルの仕事が自分に集まるようになったのです。
そこで求められるのは、データを読み取ったり、分析したりする能力で、社内でもデータ分析に注力する新しいチームができたりし始めました。そこで私は、統計学(数学)の勉強を始めたのです。
実はこれは、キャリアに迷走していた時に、データサイエンティストに興味を持ったことが大きなきっかけになっています。データサイエンティストになるには、統計学の知識が必要不可欠だからです。
自分が数学を学べば、デジタルに強いコピーライターとして、さらに希少価値が高まるのではないかと思ったのです。
私は、自分の数学の力を試すために、統計検定2級を取得することを目標としました。そして勉強した結果、なんとか合格することができたのです。
「文系的なコピーライティング」と「理系的なデジタル思考」という距離の離れたふたつのスキルを身につけることで、希少価値を高められたのではないかと思います。
さらに私は、もうひとつ勉強を始めました。それは、英語です。
キャリアに関する本を読み漁っていた時、どんな本にも絶対に英語は必要である、と書いてありました。自分もいつかは外資系企業で働いてみたいという漠然とした想いもあり、TOEICの勉強を始めたのです。
その結果、ビジネスで使えるレベルには程遠いですが、それでも、最低限履歴書にかけるぐらいの得点をとることができました。
こうして、100万人に1人とまでは言えないものの、「コピーライター×デジタル×英語」という、それなりに希少性の高い人材になることができたのではないかと思っています。
年収は業界で決まる
自分の職能をコピーライターと再定義し、統計学と英語を学んで希少性を高めた私は、いよいよ転職する業界や企業について考え始めました。そこでも役に立ったのは、森岡毅さんの「年収は業界で決まる」という考え方です。
これまで何度か「成功」という言葉を使ってきましたが、成功というのはかなり漠然とした概念です。しかし、その中でも、唯一の絶対的な評価が年収なのではないかと思います。当然私も、転職するなら絶対に年収を上げたいと思っていました。
年収がどうやって決まるか?ということについて、森岡さんは次のように書いています。
例えば、人事や経理といった専門性は、当然業界によって多少の知識の差はありますが、基本的に求められる職能は大きく変わらないと思います。しかし、全く同じ職能や成熟度でも、業界を変えるだけで、大きく年収が変わるというのは、私にとって本当に大きな気付きでした。
年収が業界で決まるなら、私は絶対にIT業界に転職したいと思っていました。今から5年ほど前、日系企業の技術者が、海外のIT企業に数千万円という年収で引き抜かれていることが大きな話題となっていたからです。
コピーライターとして、なんとかIT企業に入社する方法はないだろうか。業界をIT業界に絞った私は、いよいよ本格的に志望企業を探し、エントリーを始めました。
初めての転職でIT企業に入社
自分の職能をコピーライターとし、付加価値としてデジタルと英語を身につけ、広告業界からIT業界に転職する。
転職の戦略が完全に決まった私は、コピーライターを募集していたいくつかのIT企業にエントリーしました。これだけは本当に運がよかったとしか言えないのですが、私が転職活動をしていた頃は、IT企業がコピーライターを積極的に採用していた時期だったのです。IT産業がある程度成熟し、新たな付加価値を求めた結果、言葉による差別化を求める時期だったのかもしれません。
そうした時代にたまたまフィットしたこともあり、なんとか私は、日本を代表するIT企業に、コピーライターとして転職することができました。
オファーレターをもらった時のことは、今も忘れることができません。なぜなら、そこに書かれていた年収が、当時の年収よりも遥かに高かったからです。あまりの衝撃に、本当にスマホを持つ手が震えました。
あまりにも不安だったので、オファー面談の時に、本当にこの年収であってますか?と聞いてしまったほどでした。その時に言っていただいた言葉も、私は忘れることができません。
「あなたが入社してくれたら、これぐらいの金額はすぐに回収できると思っています」
キャリアに悩み、自分の市場価値を上げるために努力したことは、決して無駄ではなかった。そう思えた瞬間でした。
Connecting the dots
私が転職やキャリアをひと言で表すとしたら、「Connecting the dots」だと思っています。
これはスティーブ・ジョブズの言葉です。ジョブズは大学生の頃、カリグラフィーと呼ばれる文字を美しく見せる技術を学んでいました。その時は、将来何の役に立つかもわからず、ただ純粋に、伝統的で芸術的な世界のとりこになっていたのです。しかしそれは、マッキントッシュの開発に大いに役立ちます。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生につながったのです。
私は「Connecting the dots」という言葉を、人生に無駄なことは何ひとつない、と解釈しています。大学生の頃にインターネットで日記を書いていたこと、新卒で営業として入社したこと、コピーライターになったこと、キャリアに悩んだこと、プログラミングに挑戦したこと、マーケティングを勉強したこと、統計学を勉強したこと、英語を勉強したこと。それらすべてが今のキャリアに繋がっていて、そのおかげで今、仕事をできているのだと思います。
転職したIT企業で、私は新しく「UX」という領域を学びました。ウェブサービスやアプリなどのより良い体験を追求する仕事です。そのUXと、私の専門性であるライティングを組み合わせた、「UXライティング」という職能が、今の私の仕事のひとつになっています。
そこで身につけたUXライティングをより仕事で活かすために、私はもう一度転職して、今は外資系IT企業のグループ会社でUXライター/コピーライターとして働いています。
いま働いている会社で私は、マーケティングの責任者には「コピーライターだけどマーケティングもやっている人」と言われ、UXの責任者には「UXライターだけどUXデザインもやっている人」と言われます。こうしたことを言ってもらえるのも、過去にやってきた点と点がつながり、実を結んだ結果だと思っています。「Connecting the dots」なキャリア戦略のおかげなのです。
最後に
10,000文字近くもあるこんなにも長いnoteをここまで読んでくれたあなたは、きっと今、転職や今後のキャリアについて悩んでいるのだと思います。私も新卒で入った会社に10年以上いたこともあり、最初の転職は本当に不安で、たくさん悩みました。
まだ転職を経験したことがなかった頃の自分に向けて、今の自分が何かを伝えられるとしたら、何を伝えるだろうか。そんな想いで、このnoteを書きました。
以前の私のように、転職やこれからのキャリアについて悩んでいる誰かにとって、このnoteが役に立ち、背中を押すことができるのであれば、こんなにうれしいことはありません。
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