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人間の心や感情、国の伝統や文化や歴史を顧みない経済グローバル化は国民を貧困化した

「日本経済の失われた40年」
第2章 人間の経済社会の基本構造

2.1 これまでの経済学

アダム・スミスは『国富論』で次のように言っている。

「個々人、個々の企業が自分の利益を追求して、商品を作り、販売すれば、その資本主義社会は調和がとれ、国民は豊かになり、国は栄える」と言った。「そして、商品は『分業』で生産すると安くて良いものになる」と言った。「しかし、そのような社会は、道徳、倫理感を持った国民が中心となって活動することが前提になる」とも言った。(自由放任と見えざる手理論)

デイビッド・リカードは「それぞれの国がその国の伝統・慣習・文化をベースにして、他国より優れた商品を作り、これを国際的に互いに売り・買いすることによって世界の国々は繁栄する」(比較優位生産理論と国際分業論)と説いた。

唯物論者のカール・マルクスは「労働者は何故貧困化するかという視点で、経済を分析した。つまり労働者が作る商品の付加価値を全部資本家が奪うからだとした。そこで資本家と労働者の階級闘争が起こる。労働者の革命により資本家を倒し、理想的な社会(共産主義社会)ができる」とした(資本論、労働価値説、剰余価値説、共産党宣言)。しかしマルクスの頭の中には、共同作業、道徳・倫理という概念はない。マルクスの「共産主義社会」は、個人の自由はなく、道徳・倫理観もないので長く続かない。ソ連も設立して70年で崩壊したし、中国共産党ももうすぐ潰れるであろうと言われている。

ジョセフ・シュンペーターはヨーロッパの国で大蔵大臣を務めた経験があり、経済、金融についてよく理解していた。シュンペーターは「資本主義経済社会はイノベーションにより成り立つものである。イノベーションが起こらなければその資本主義経済社会は衰退する」。「イノベーションは、いろいろの技術要素といろいろのアイディアの新しい組み合わせである」(新結合論)とした。しかし「イノベーションにとって最も重要なことは信用創造である」。つまりイノベーションを興すにはまず資金がいる。資金を銀行か
ら借りることは「信用創造」である。
シュンペーターは大きなイノベーションを起こすには国家が関与する事が必要な場合があるといった。民間企業ではできないイノベーションがある。アメリカのアップル社のスマートフォンの「コンセプト」はスティーブ・ジョブスが作ったが、実際の製品は、アメリカ政府の機関であるDARPA(ダーパ)によって開発された先端技術要素を組み合わせて製造されたのである。

ジョン・M・ケインズは1929年のアメリカの大恐慌からどう経済を復興させるかを考えた。「カンフル注射として大胆な財政投資をして、失業を減らし、内需を拡大して経済を復興させるべきだ」と説いた(財政投資、公共投資、失業者対策)。ケインズはアメリカ政府に進言して、いろいろの公共投資をさせた。その一つがテネシー・バレー・オーソリティ(TVA)の水力発電所建設であった。

ミルトン・フリードマンは「新自由主義」を唱え、「あらゆる規制を撤廃して、資本家の思うようにさせることだ」と言った。そして「国境をなくして、カネ、モノ、人を自由に動かすことだ」と説いた(グローバル主義、自由主義)。しかしこのフリードマンの理論でアメリカ経済は1981年からグローバル化に走り、アメリカ経済を滅茶滅茶にして、衰退させた。今日のアメリカ経済の衰退をもたらしたのも「フリードマンの新自由主義」のためであった。これに飛びついたのはアメリカのレーガン大統領とイギリスのマーガレット・サッチャーであり、レーガンに唆されたのは日本の中曽根首相と小泉首相であり、それぞれその国の経済を駄目にした。

資本主義経済社会に必要な精神と物質の調和

この300年間、世界は上記のような経済理論でいろいろの国の経済が動かされてきたが、あまり成功していない。殆どの国が、「経済の繁栄」という点、「国民の豊かさ」という点で、失敗している。特にグローバル化に走り、所得の格差を拡大し、国民は貧困化していった。それは、それらの経済理論と実践において「人間の心」、「道徳」、「倫理」、「共同体精神」が欠落していたからである。

今日の経済社会は「資本(素材を含む)」、「人的資本(消費者を含む)」、「技術知識」の「有機体」であり、資本、技術知識を動かして「有機体」にするのは人間である。

資本主義経済社会には、精神と物質の調和が大切になる。資本主義的競争のなかに調和を見出すことである。二宮尊徳は「道徳を忘れた経済は罪悪である。しかし経済を忘れた道徳は寝言である」と言った。つまり資本主義経済社会には「物心一如」の精神が必須となる。これは、単なる「望ましい社会像」ではなく、現実に今日の経済社会を健全に発展させるための必須要件である。近代の経済社会はこれを無視してきた。この精神と物質の大調和がなかったので、アメリカ社会も日本社会も荒廃したのである。政治家もこのことを認識する必要がある、そのためにはその国の「教育制度」を革新しなければならない。

「社会基盤」と「経済基盤」が一体となる人間の経済社会

もう一つの見方として、人間の社会には「社会基盤」と「経済基盤」が存在する。「社会基盤」とは、その社会の長い歴史、文化、風土、道徳、倫理、共同体精神、社会インフラから構成されるものである。その「社会基盤」の上に「経済基盤」が乗る。
「経済基盤」は、時代によりその経済の構造は変化するが、経済基盤は、資本主義経済になると「等価交換」、「互酬」、「国家による貨幣」、「租税制度」が生まれる。社会基盤のなかに埋め込まれている「土地」「人間の労働」「貨幣」を商品化してはならないという原則がある。人権を無視して働かせたり、過酷な環境で人を働かせてはならない。貨幣を商品化し、マネーゲームのように、カネでカネを買って儲けることは良くない。為替の投機的な売り買いは良くない。つまり「社会基盤」の上に「経済基盤」が構造的に一体となるのが人間の経済社会である。

こうしたことは、アダム・スミスが『道徳感情論』で強調していたし、カール・ポランニーとルドルフ・シュタイナーもこのことをいろいろの著作で説いていた。

「土地」「貨幣」「労働力」を商品化してはならない

1992年9月6日、ジョージ・ソロスがイギリスのポンドを売り浴びせて、イングランド銀行を破綻させ、イギリス経済をおかしくした。貨幣を商品としてはならないという原則を破ったのである。今日、日本の円を売り浴びせて円安にしているアメリカのウオール街の投機筋がいるが、これも良くない。中国は土地を商品化して(土地の使用権)、中国経済を成長させた。これはほどなくバブルとなり、バブルがはじけて中国経済は崩壊している。つまり商品化してはならない「土地」、「カネ」、「労働力」を商品化して、売り買いして利益を上げているが、これは人間の経済社会を大混乱させる。

市場での商品も「等価交換が原則」であるが、あるものは商品を大量に作り、それを国が補助金を付けてダンピングして、相手の国の産業を弱体化させる。大企業が独占価格で市場から金を吸い上げる、これも良くない。こんなことをすると国際紛争が起こり、その国の経済も崩壊する。

経済社会は、人間の活動により動くものであり、その人間には心、感情、共感があり、その国の風土、伝統、文化、歴史を基にした意識と考えがある。その国の経済を運営するには、経済的なモノを沢山作るだけでは、豊かな人間の調和のとれた経済社会にすることはできないし、国民は豊かにはなれない。つまり豊かな人間の経済社会には豊かなモノだけではなく豊かな人間の心がなくてはならない。豊かな人間の心とは、その社会における人間の道徳、倫理、隣人愛、共同体精神である。しかしその豊かな人間の心とは、個々人の自分のためだけのものではなく、他の人の心も豊かにするものでなければならない。「その意味では人道とは、例えば水車のようなものだ。水車の下の半分は水の流れの方向に回り、水を離れた上の半分は水の流れと反対の方向に回って行くようになっている。水車が全部水中に没すれば回らないで流されてしまう。また全部水から出てしまえば回るはずがない。仏教の高僧のように世間を離れて欲を捨てた人は、例えて見れば水車が水を離れたようなものだ。また、教えも聞かず、人としての義務も知らず、私欲のみにかたよって、これに執着する者は、水車を全部水中に沈めたようなもので、どれも社会の役に立たないんだな。それだから人道というのは中庸を尊ぶのだ」と二宮尊徳は言っている。つまり「利己主義」と同時に「利他主義」でなければならない。

二宮尊徳は「商品を生産し、他人という消費者に売る場合、その商品を消費者が喜んで買うような魅力がなければならない」と言う。消費者が喜んで買い求め、消費してもらうための「商品の魅力」を創ることが「利他主義」である。商品を作るには一人ではできない、いろいろの技能を持った多くの人との「共同作業」である。その共同作業には人間の道徳・倫理が重要になる。

2.2 日本の経済社会の問題点

トゥキュディデスの罠

日本の経営思想に「三方得」という考えがある。企業の顧客、資本家、経営者、社員など、事業に貢献したものに利益を配分する。これも利他主義である。そして重要なことは、経済規模の拡大スピード(経済成長のスピード)をコントロールしなければならないことである。つまり、あまり速いスピードで経済成長をすると、所得格差が拡大し、社会の分断が起こり、もっと利益を上げようとグローバル化の道に進むことになり、それは「全体主義社会」になる恐れがある。

松下幸之助は「自分の考えとか感情にとらわれ、つい物事の一面しか目に入らず、他の面まで見る心の余裕もなければ、また視野というもの自体が開けない場合が多いが、一つにとらわれることなく、すべてを調和させ、対立競争の中に調和を見出してゆくことが肝要である」と強調している。

そしてあまり速いスピードで経済成長をすると、まわりの国に恐怖を与えることになる。「トゥキュディデスの罠」にはまることになる。つまり大国からの逆襲を受けることになる。人間の経済社会には適度な成長のスピードがある。人間は、少しずつ今日よりは明日が豊かになることを望む。

日本は、1960年から1975年にかけて池田内閣のもとで下村治が立案した「国民所得倍増計画」で奇跡的な経済成長を遂げ、1968年に日本はGDPでアメリカに次ぐ世界二位の経済大国になった。日本の1960年から1968年までの経済の成長率は年率10%に近いものであった。これで日本は経済規模が10年で2倍になった。これで池田内閣の国民所得倍増計画は達成された。
しかしこの日本の奇跡的な高度経済成長に対して、アメリカは、日本がアメリカの覇権の座を脅かすという恐怖を感じ、日本の産業と経済を破壊するために「日米構造協議」「日米半導体戦争」「日米自動車貿易戦争」を起こした。これで日本半導体産業は崩壊し、自動車産業も生産工場を日本からアメリカに移した。これにより日本産業は急速に衰退していった。これが「トゥキュディデスの罠」である。

国民経済はGDPで年率3%から5%程度に成長させることが必要だということになる。しかし3%以下の成長率では問題が起こる。人間は今日よりも明日の方が少し豊かになると、希望が持て、活力を持って生きることができる。さもないと人間は活力を持って生きられない。日本のようにGDPがゼロ成長になると逆に所得格差が拡大し、国民の貧困化が進み、経済社会は衰退する。そういう意味で、経済成長は、GDP成長年率で3%から5%ぐらいのものを守らなければならない。
日本政府と日本銀行はインフレ率を2%ぐらいにしようとしていろいろの経済政策を実施したが、この30年間それが達成できなかった。インフレ2%という目標ではなく、GDPで年率3%から5%の成長という目標にしなければならない。

ヘンリー・キッシンジャーが北京を訪問し、中国経済の開放により中国経済を発展させることを促した。それで鄧小平は「改革開放政策」を作り、アメリカと日本の「技術」と「資金」をもらい、中国に「世界の工場」を作り、世界市場向けの製品、部品を製造し、「輸出ダンピングの津波」を起こした。これにより中国は、2010年GDPで日本を抜き、アメリカに次ぐ第二位の経済大国になった。不動産を中心にした経済構造をつくり、一帯一路政策で世界に中国の植民地を作ろうとした。しかしアメリカは、自分の世界覇権の座を中国が奪還する恐れがあるとして、中国に厳しい経済制裁を課し、先端技術のデカップリング政策、関税政策で「中国バッシング」をして、中国経済を崩壊させている。

産業や商品にはライフサイクルがあり、「成長・成熟・衰退」というライフサイクルである。殆どの商品には寿命がある。これまでアップルのスマートフォンが世界の経済成長をドライブしてきたが、今やスマートフォンも衰退期に入っている。ソニーの商品も成長するものがなくなった。自動車産業も衰退期に入った。次の新しい商品が出てこなければならない。シュンペーターの言う「イノベーション」が起こらなければ資本主義社会は衰退する。
そういう意味で国の経済はGDPで年率3%から5%の成長が必要である。だが日本は1980年からバブルとバブル崩壊のあと、30年間経済はゼロ成長であった。これにより国民は貧困化し、社会は荒れ、自殺者が増え、日本は希望を持てない貧乏大国になった。

グローバル化は「社会基盤」、「経済基盤」を破壊する

ところが経済社会がグローバル化の道を進むと、経済活動はコストカットを推し進め、弱肉強食で安い商品を追い求め、資本主義経済構造は崩壊し、経済社会活動の中から人間性、道徳、倫理を、共同体精神を排除して、最終的には誰も儲からない世界になる。

アメリカは1981年レーガン大統領になってからグローバル化の道に驀進し、産業は国境を越え、一番安い商品を求めて、世界を動き回った。その結果、世界一の経済大国であったアメリカ経済が崩壊し、内部分裂し、今やアメリカは内戦状態になっている。日本もアメリカに唆されて1985年からグローバル化に走った。アメリカと日本の今日の姿(日本の失われた40年)を見ればそのことがよく分かる。資本は徹底的に利益を追求するので、国の経済が成長し過ぎるとその経済はグローバル化する。この300年グローバル化は、スペイン、オランダ、イギリス、アメリカで起こっている。
ピーター・ドラッカーは「資本主義経済社会では、ほっておくと民主主義は壊され、『全体主義社会』か『ファシズム社会』になる。常に資本主義経済社会を注意深くメンテナンスしておかなければならない」と言った。ドラッカーは、資本主義経済社会は、資本は最大限の利益を追求するDNAを持っているので、ほっておくとすぐグローバル化して、民主主義が壊れ、経済は衰退し、全体主義社会になる癖がある。そうならないように資本主義経済社会を常にメンテナンスし続けなければならないと言うのである。

日本は何故世界一の貧困国になったのか

世界に200もの国があるが、新興国はめざましい経済成長を遂げているのに、日本だけが経済は停滞しており、日本は今や辺境の地になってしまった。マクロ経済的に見ると、日本の名目GDPは1989年度には421兆円だったのが、2018年度では557兆円になっている。これを世界経済全体に対する日本の比率でみると、1989年度は15.3%であったが、2018年度は5.9%になってしまった。アメリカのウエイトが1989年の28.3%から2018年の23.3%へとやや低下したのに比べて、日本の落ち込みは大きい。中国のウエイトは2.3%から16.1%と急上昇している。

これまでは、アダム・スミスの言うように資本が利潤の極大化を追求すれば経済は成長し、そうすれば国民生活は豊かになると思われた。しかし実際にはそうはならなかった。経済はグローバル化し、所得の格差が拡大する。今日では、世界の上位1%の富裕層が個人資産の40%を握っている。特に日本では若年層が貧困化し、将来の日本を背負う者がいなくなり、民主主義も後退してきている。

スイスのビジネススクール「IMD」が毎年発表している「国際競争力ランキング」では、1989年から4年間、アメリカを抜いて日本が世界第一位であった。しかし2002年には第30位に後退した。
日本の賃金上昇の推移を見てみると、平成の30年間で上昇した賃金は僅かであった。1990年の平均給与は425万2000円(1年勤続者)で、2017年は432万2000円であった。日本の実質賃金の国際比較をすると、1997年を100とした場合、2016年はスエ―デンは138.4、ドイツは116.3、アメリカは115.3であったが、日本は89.7と1割以上も下落している。最近の25か月間、日本の実質賃金は下落し続けている。

日本は1985年ぐらいからアメリカに唆されて新自由主義でグローバル化に走り、世界一安い商品を追い求めた。そのために商品のコストを下げるため働く者の賃金を下げた。政府はもっともらしい言葉を使い「人材派遣制度」を作り、多くの人材派遣会社を通じて企業に人材を採用させた。結果的にこれで派遣された者の賃金を全国的に強制的に下げていった。人材派遣会社は人材を斡旋することにより利益を上げた。つまりピンハネである。この制度により企業の中で正規社員と非正規社員の階級を作り、社員を分断した。非正規社員は正規社員と同じ仕事をしても、非正規社員の賃金はいろいろの手当を含めると正規社員の60%ぐらいで、非正規社員の働く意欲を減退させ、これが企業の全体の生産性を低くしている。今では非正規社員は全体の40%を超えている。働き方改革と称して、パート社員、臨時工などを作り、副業を奨励し、働く者を分断して、労働コストを下げていった。

2024年6月20日
三輪晴治


次回は最終回。次の節を掲載します。
第2章 人間の経済社会の基本構造
2.3 日本産業のリーダーは日本経済を衰退させた
2.4 日本の政治家による日本経済の弱体化
2.5 日本が進む道