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サンタクロースの弟子

「サンタになりたいんです!弟子にしてください!」

チャイムもないボロい家のボロい玄関扉が、ノックもなしに、ものすごい勢いで開かれた。


この男、サンタクロース




アンティークなログハウスと言えば聞こえのいい、年季の入った山小屋で男はロッキングチェアにどさりと座り込んだ。ぎりぎり手の届かない位置に設置されたファンヒーターのスイッチを、分厚い靴下に包まれた足で押す。チチチというファンヒーターの点火音が、思わず漏れたため息をかき消した。頭に載せたままだった赤い帽子をむしり取り、その辺に放り投げる。ついでに上着のボタンを上から3つ開けて襟元を寛げると、また溜息が溢れた。
男は疲れ果てていた。今日は12月25日。昨晩から今朝にかけて、年に一度の大仕事をこなし、先ほどやっと片付けまで終わったところだ。今日は酒でも飲んで、あと数時間もすれば暖かい寝床に潜り込んで眠りにつくはずだった。



弟子入り志願者

そして話は冒頭に戻る。

「サンタになりたいんです!弟子にしてください!」

それはあまりにも突然だった。
目をキラキラさせた青年が、玄関扉を壊さんばかりの勢いで飛び込んでくる。
街が浮かれるクリスマス当日に、まさかこの山奥まで訪ねてくる客がいるとは思わず、男は一瞬茫然と珍客を見つめた。
けれども、男が我に返るのは早かった。

「断る。」

にべもない男の返事にも全くへこたれた様子もなく青年は朗らかに続ける。

「即答すぎません?少しくらい悩んでくれてもいいじゃないですか。」

「お前がサンタクロースを訪ねてきたつもりが本当にあるなら分かっていると思うが、俺は今日ひと仕事終えたばかりで疲れてるんだ。見知らぬガキに優しくしてやる義理はないね。」

「そんなに若く見えますか?嬉しいです。」

「褒めてねえよ。照れんな。」

「ひどいなあ。そもそも断るにしても、せめて志望動機とか聞いてからにしてくださいよ。」

「なんで俺がそんなことに時間を使わなねばならん。」

「実はですね、僕は子どもたちの希望になりたいんです。サンタクロースは子どもに贈り物を届けるのが仕事ですよね。だから僕は、サンタクロースになって全ての子どもたちに夢と希望と幸せを配りたい。とても素晴らしくて、やりがいのある仕事だと思っています。これが僕の志望動機です。」

ありきたりですけどねと照れたように笑う青年に、いつかの自分を見ているようだと男は眉を顰めた。
やめとけ。そんないい仕事じゃねえぞ。
そう怒鳴りつけたくなる衝動を抑えつけながら低い声で突き放す。

「聞いてないし、聞こえない。」

「手強いなあ。あ、この家暖炉がある!せっかくあるのに使わないんですか?雰囲気出るのに。」

青年は、男に冷たくされてもめげずに楽しそうにしている。勝手に志望動機を語ったかと思うと、今度は男が住み始めてから一度も使われていない暖炉が気になったらしい。

「大人はな、雰囲気より面倒が勝つんだよ。」

「ものぐさですねえ。」

「ものぐさ上等。雰囲気じゃ飯も食えねえよ。そんなことより帰れ。」

「夢がないなあ。それから、弟子にしてくれるまで帰りません。」

「ガキは暗くなる前に帰れ。」

「僕はガキって言われるほど若くないですし、絶対帰りません。」

埒があかないやり取りに男は舌打ちする。

「しつけえな。」

「しつこくもなります。本気ですから。」

「本気ねえ。」

「本気じゃなきゃこんな山奥まで来ません。だいたい、なんでこんなところに住んでるんですか?不便でしょうに。」

青年は心底不思議そうに男に尋ねた。


サンタクロースの絶望

ありきたりな夢と希望を抱いて数十年前サンタクロースの弟子となった男は、かつては普通に街に暮らしていた。あの頃、男にとって、サンタクロースとは全ての子どもたちを幸せにできる素晴らしい仕事だった。
けれども、一人前と認められ、子どもたちにプレゼントを配るようになってから、これまで気がつきもしなかった現実を知った。子どもたちにも格差が存在する。大切な人とともにクリスマスを迎え、当然来るものと思ってワクワクしながらサンタクロースを待って眠る子どももいれば、明日の不安を抱えながらひとり孤独に眠る子どももいる。その子らに何かしてやりたくともサンタクロースにできることはあまりに少なく、男は自身の、かつて夢見たサンタクロースという仕事の無力に絶望し、ひどく打ちのめされたのだった。
そして、それ以来、街で幸せそうな子どもを見かけるたびに、そうではない子どものことが思い出され、そのたびに何もできない自分に失望しては、あんなに望んだこの仕事も辞めてしまいたいとすら思うようになった。ただ、クリスマスの朝、枕元に届く、心ばかりの贈り物に笑ってくれる子どもたちの顔を見るとそうすることもできず、自身を苛むことに疲れた男は、街を離れ、誰とも会わなくていい山奥に引きこもったのだった。それでも男は毎年、現実と対面しては変わらぬ無力に打ちひしがれている。数十年の経験と年齢を重ねた今でも。
過去の苦い挫折の記憶と今年まだ抱えたばかりの呵責を、青年によって容赦なく、そして構える隙もなく引き摺り出され、男は目を伏せる。

「なんでお前にそんなこと教えないといけないんだ。」

「偏屈ジジイ。」

聞かせるつもりに違いない音量で呟かれた悪口に、男のしんみりした気持ちは吹き飛んだ。

「おい、聞こえてんぞ。お前だけは絶対弟子にしないと今決めた。」

「やだなあ。僕は何も言ってません。気のせいですよ。」


サンタクロースの後継

わざとらしく目を逸らしながらえへへと笑う青年を睥睨し、男は書物机の上に置き去りにしていた要請書を裏返す。毎年届くそれには、ここ数年ずっと次期サンタクロース養成のことが書かれていた。
この世界のサンタクロースはひとりではなく、地区別に存在し、全員がサンタクロース協会に所属している。そしてすべてのサンタクロースは、協会によって定められた日に、定められた区域の子どもたちにプレゼントを届けるほか、自らの後継を見つけて育てることで各地区のサンタクロースを存続させている。後継者が見つからなかった地区の子どもたちはサンタクロースを喪ってしまうのだ。男にはまだ、後継者がいない。
男は自分が老いたことを自覚していた。本来であればそろそろ後継者を探して育てなくてはならないことなど、こんな紙切れで知らされずとも分かっている。それでも、許されるのならば後継者など育てたくはなかった。どうしても許されないのなら、全てを仕事として割り切れる相手にするつもりだった。だから、目を輝かせてやって来たこの青年を男は絶対に選ばない。


本当の志望動機

男は壁際の掛け時計をちらりと見た。随分長い間、電池を変えた記憶のないあの時計がまだきちんと動いているならば、時刻は15時。そろそろ陽が落ち始めたはずだ。早く追い返さねば、青年は山を下りることが難しくなる。

「こんな日にこんな山奥まで来てないで、とっとと帰って家族とでも過ごせ。」

「家族はいません。」

真っ直ぐに男を見つめ、穏やかに答える青年の声に、男は初めて言い返せずに押し黙った。

「本当は、家族がいなかったからサンタクロースになりたいのかもしれません。子どもたちのためじゃなくて自分のために。」

続けた青年の声は、それまでとは同じように穏やかで、けれどもそれまでとは違ってひどく真剣だった。

「僕は普通の家族を知りません。」

青年は目を伏せて続ける。

「自分で言うのもなんですけど、僕は割と、子どもの頃から大人びていて、人付き合いが器用な方でした。友人も多かったですし、周囲の大人の覚えもめでたかったです。家族というものが居なくても、それなりに上手くやっていたように思います。」

もしかして自慢話を聞かされているのかと半眼になった男が口を開きかけたところで、でも、と青年は続ける。

「やっぱり普通にはなれなくて、友人たちが当然のように語るものが僕にはありませんでした。」

誕生日のプレゼント、特別な日に用意される好物、ろうそくを立てたケーキ、手を繋いで出かけた記憶、自分のために泣いてくれる人、そしてちょっとうざったいお小言すら。
青年は淡々と自分にないものを挙げていく。

「僕は羨ましくてたまらなかった。彼らが普通だと思っているもののほとんどは僕にとっては普通じゃなかったんですから。彼らは、それが誰かの特別な存在であるからこそ享受できるものだと知らなかったし、今も気づかないままでしょう。まさか普通じゃない人間がいるなんて想像もしていなかったと思います。」

僕だけ特別というわけではありませんでしたが、褒めたり叱ったりしてくれる人はいてくれたので、高望みかもしれませんけどね。
そう続ける青年の穏やかな声に諦めが入り混じっていることに男は気がついていた。青年が明るいのも穏やかなのも、そうしないと上手に生きていけなかったからかもしれない。

「僕は、"誰かの特別"に憧れていました。それは早いうちに家族がいないことで諦めましたし、たぶん最初から知らないこともあると思います。親の愛情ってやつもたぶんそうなんでしょうね。家族がいれば、もしかしたら僕は、それがどれだけ貴重なものか気がつかないまま、"普通"を手に入れていたのかもしれません。」

この青年はあの日救えなかった子どもたちのひとりだ。この青年があの玄関をノックもなしに開けたその瞬間から、男にはそれが分かっていた。青年の穏やかさが、かえってあの日の自分を責め立てているような感覚に襲われ、男は硬く目を閉じる。

「でもね、年に一回だけ、僕にもほかの子どもとなんら変わりない普通があったんです。それがサンタクロースからの贈り物でした。その贈り物だけはどんな子どもにも等しくやってきた。その普通が僕にとってどれだけ価値のあることだったか。次の日、学校で友人と同じ話題で気後れすることなく盛り上がれることにどれだけ救われたか。」

そこまで流暢に話した青年は、突然言うか言わないか迷うように口籠もって、結局懺悔するように小さな声で続けた。

「僕はね、一度サンタクロースを試したことがあるんです。」

それを聞いた男がゆっくりと顔を上げる。

「手紙を書かなかったんです。欲しいものを書いた手紙がないと贈り物がちゃんと届かないことを知っていて、でも書かなかった。その年、サンタクロースに手紙を送る時期に学校で将来の夢を語る授業がありました。僕には夢がなかった。というか持てなかったんです。夢どころか、進学できるかも分からない。将来、ひとりで生きていかなくてはならなくなった時、食べるものにも住むところにも困るかもしれない。そんな不安定で曖昧な未来に夢なんか持てなくて。何を心配することもなく、幸せな将来を語る友人たちに苛立ってすらいました。自己嫌悪もしたし、世界で自分だけが不幸な気がして、やけになって、誰かに八つ当たりしたい気分で。それで、顔も知らない優しい人に意地悪したんです。困ればいいと思って。」

嫌なやつですね。
ぽつりとぽつりと青年が続けるのを、男は瞬きもせずに黙って聞いていた。

「その年のクリスマスの朝、目が覚めて僕は後悔しました。意地を張らずに手紙を書けばよかったと、優しくしてくれる人にひどいことをしてしまったと。でも、起き上がって見た枕元にはちゃんとプレゼントが届いていたんです。」

その続きを男は知っている。
その子どもは、恐る恐る枕元の小さな包みに手を伸ばし、丁寧に包装紙を剥がした。中身を見ると目を見開いて、そして贈り物を握りしめたまま泣き出した。男には、それが後悔によるものなのか、喜びによるものなのか、失意によるものなのか、分からなかった。今でも分からないままだ。
なぜか一通手紙が足りなかったあの年のことを、男は忘れられない。サンタクロースは手紙で子どもの欲しいものを知る。つまり、手紙が来なければその子どもの欲しいものが分からない。教会の定めでは、サンタクロースは手紙に書かれた贈り物を用意して届けることになっていたが、手紙が来ない場合は、その年頃の子どもにとって適当な贈り物を選んで届けることになっていた。けれど、その定めを知っていても、男はどうしても子どもの欲しいものを諦められなかったのだ。全ての子どもに欲しいものを届けるのがサンタクロースの仕事であり、それがサンタクロースとして男が子どもたちにできる数少ないことであり、そして矜持でもあった。男は大仕事の準備に忙しい最中、時間を作っては手紙を送ってこなかった子どもの様子を観察し続けた。24日の夜になっても欲しいものが分からず、仕事中も悩み続け、25日に差し掛かる頃になってやっとその子どもの望みに気がついた。男は、他の子どもへの贈り物を配り終えたあとに一度帰宅して、急いで贈り物を用意し、空が白み始める頃になんとかその子どもの枕元に届けたのだった。

「その年の贈り物は鍵でした。この家の鍵です。誰にも告げなかった僕の欲しいものは"サンタクロースに会うこと"だった。あなたは普通をくれる僕の特別な人だったから。でも、サンタクロースは仕事中に子どもに会ってはいけないから、この鍵を届けることで、いつか会いに来てもいいと希望をくれたんでしょう?ほかのどの子も持っていないこの贈り物は間違いなく僕だけの特別でしたし、あなたが僕の欲しいものが何なのか考えて用意する間は、その思考も時間も心も僕だけの特別だったと思います。あなたはあのクリスマスに、この鍵だけじゃなく、ずっと前に憧れてそして諦めた、"誰かの特別"を僕にくれたんです。」

青年は少し潤んだ目を真っ直ぐに男に向けて、くしゃりと笑った。

「サンタクロースになりたいのは本当ですけど、弟子入りが認められなくてもそれはそれでいいやと思ってここまで来ました。ただ、どうしてもあなたに会いたかったんです。僕が大人になっていつしか来てくれなくなったあなたに、あの日のお詫びと、そしてこれまでのお礼を言うために。」

そう言うと謝罪と感謝の言葉とともに青年は深く頭を下げた。

「さっき言った、子どもたちの希望になりたいっていう志望動機も嘘ではないですけど、でも、本当の本当は自分のためです。普通に憧れる僕みたいな子どもたちに普通を届けたい。そしてきっとそこにいる、かつての僕に大丈夫だと言ってやりたい。あわよくば子どもたちの特別な人になりたい。それにね、弟子になったら僕はまたあなたの特別になれるでしょう?」


サンタクロースの弟子

足元を見つめたまま、くすりと青年は静かに笑った。

「かっこいい理由じゃなくてすみません。志望動機が自分のエゴだなんて、サンタクロースにはふさわしくないですね。」

頭を上げた青年はどこかすっきりした顔をしている。
男は立ち上がって、青年に背を向けた。今、顔を見られるわけにはいかない。
男は、ふざけないでほしいと心底思っていた。

自分の言いたいことだけ言って満足したような顔しやがって。言い逃げなんて絶対許さない。
エゴ上等。サンタクロースになる高尚な理由など本当は存在しないのだ。男のかつての志望動機だって、子どもたちのためと言いながら、結局、子どもたちに笑ってほしい、そのためにできることをやりたいという自分のエゴだ。

「いいか。俺は面倒なことはお断りだ。一人前になりたきゃ見て学べ。」

低く紡がれた男の声はほんの少し揺らいでいるようにも聞こえた。
青年は瞬きをして、ゆっくりと時間をかけて男の言葉を呑み込み、信じられないといった様子で掠れた声で言葉にならない音を漏らした後、気を取り直すように明るく言った。

「師匠、それは仕事放棄ってやつですよ。」

甘えんな、クソガキ。
そんなことを言いながら、男は、赤くなった目元を擦り、緩む口元をきゅっと引き締めた。





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