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最後のお弁当

今日は娘にお弁当を持たせる最後の日。
最後の日を知ったときに手帳に書いた「お弁当ラスト!」の文字を指先でなぞる。
手帳に挟み込んでいつも持ち歩いている思い出の写真をちらりと見て、そろそろ取りかからなければと立ち上がった。


反抗期真っ只中、毎日毎日飽きもせず、可愛くない態度で、可愛くないことを言う、可愛い娘。
彼女が高校生になってから3年間、毎日お弁当を作ってきた。
働きながらのお弁当作りは思っていたよりも大変で、大したものは入れられなかった。
面倒だと思ったこともある。
けれども1日も欠かさず、眠い目を擦りながら、朝から汗ばむ日も、凍るほど水が冷たい日も弁当を作り続けたことだけはよくやったと自分を褒めてやってもいいかなと思っている。
毎日、代わり映えのしない卵焼きとウインナーを詰め、時間がなくて前の晩のおかずの残りを詰めたことも冷凍食品に頼ったこともある。
おしゃれなお弁当とは程遠く、流行りの「映える」ようなものは作れなかった。
それでも、娘に作ってやれる最後の弁当くらいは少し気合を入れようと、昨日の夜から仕込みをして、今朝はいつもより少し早起きした。


少し甘めの卵焼き、赤いウインナー、きんぴらごぼう、肉巻き卵にブロッコリー。
なんだか悔しい気もするけれどお気に入りらしい冷凍食品のレモン風味の唐揚げも。
ごはんは菜っぱの混ぜごはん。
娘が好きなものばかりを用意した。
詰めてみたら茶色いものばかりだし、あまり大きくない一段のお弁当箱はぎゅうぎゅう詰めでやっぱりいつものように不恰好になってしまった。


完成したお弁当を眺めていたらこれまで作ってきたお弁当が思い出された。
初めてのお弁当には小さなおにぎり、卵焼き、ミートボールと苺。ちょっとでも野菜を食べてくれればと星形に飾り切りにした人参を添えて。
遠足のときにはキャラ弁に挑戦して、ちょっと歪なアンパンマン。でも大喜びしてくれたっけ。
学校給食が始まってからはお弁当を作る機会はめっきり減ったけれど、運動会のお弁当には必ず肉巻き卵のリクエストがあって毎年の定番だった。今年までずっと。

思春期と呼ばれる年頃に入って、会話が減り、何を考えているのか分かりにくくなった娘が、久しぶりに真面目な顔で私の前に座った。
何を言うのかと思ったら進学の話。
地元を離れて行きたい大学があるのだと言う。
まだ子どもがいなかった頃のかつての私は、いつか子どもができたら子どものやりたいことには反対しないと豪語して、若いうちに、最後に守ってやれるうちに、失敗してみたらいいじゃないと本気で思っていた。
けれども実際にそういう場面に出会すと、失敗など経験させたくなくて、心配でたまらなくて反対した。
家から通えるところでもいいんじゃない?
そう言う私に、やりたいことがあるのだと強い瞳で告げる娘は意思を曲げるつもりなど毛頭なく、私が折れるしかなかった。
今年の春のことだった。


18年前に生まれてからずっとそばにいて、何もできない子どもだと思っていたのにいつの間にかなんでも自分のことを自分で決められる意思を持つ大人になっている。
そんな娘が誇らしく、そして寂しくも思えた。

いつものとおり登校前にばたばたしながら手渡したお弁当箱は、いつものとおり夕方には軽くなって帰ってきた。
キッチンのカウンターに持ち帰った弁当箱を置いてそそくさと自室に帰る娘の背中におかえりと声をかけ、お前たちも今日でお役御免ねと包みを開く。
勢いよく広げたお弁当包みから小さな紙切れがひらひらと足元に落ちた。
ゴミでも入っていたのかとのかとしゃがむ。
拾い上げて、ぽとりとひとしずく、フローリングの床が濡れた。

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ノートの切れっ端に、決して整ってはいないくせ字。
娘の字。
今日が最後などと感傷的なことは言わなかった。
言ったところで反抗的にふーんと言われて終わりだと思って。
最後のお弁当が特別なのは私だけだと思って。

こんなふうに気がついて、お礼を言ってもらえるとは思ってもいなかった。
純粋な驚きと喜び、最後なのだという実感と、こういうことができるようになった娘の成長と、言葉にできないさまざまな感情が入り乱れて立ち上がれないでいる間ずっと、涙がぽろぽろと零れ落ち、仕事用にと奮発した紺のスカートの色を濃くする。

こちらこそありがとう。
毎日、空っぽのお弁当箱を持って帰ってくれて。
本当にありがとう。
我が子のために作るお弁当は幸せでした。

だいぶ時間をかけて立ち上がり、いつものようにお弁当箱を洗って片付けた。
もう出番はないだろうけれど、もう少し家にいてもらおう。
ノートの切れっ端は手帳に大事に挟み込んだ。
手帳を閉じる直前、初めて作ったお弁当を嬉しそうに頬張る幼い娘と目が合った。



これは水野うたさまの企画に参加させていただくものです。

短編になるはずだったのに、気がつけば例によって文字数ギリギリ!
本当は違う記事で参加させていただこうと思っていたのだけど、そちらは文字数がとんでもなくオーバーで叶いませんでした。笑

このお話は、意地を張って感謝を伝えなかった私の懺悔です。
受験の終了とともにぬるっと終わってしまった母のお弁当最後のあの日、照れ臭くても、恥ずかしくても、口に出して言えないならばせめてノートの切れっ端にでもありがとうの一言くらい書けばよかったなあという。
あれからお弁当は自分で作るものに変わってしまって、蓋を開けるまで何が入っているか分からないあのなんとも言えないワクワクは失われてしまいました。
今度実家に帰れるときには久しぶりにお弁当をおねだりしてみようかしら。
赤いウインナーと、お気に入りだったあのレモン味の唐揚げの冷凍食品と、そして特別な日にだけ入っていた肉巻き卵をリクエストして。