「最初」と「最後」

近所に熊が出た。
その日は、子供の小学校で毎年行われる、蛍観察会の日。
近所の蛍出現スポットに集合して皆んなで蛍を探す予定だった。
しかし、集合時間2時間前。ちょうどその近辺にツキノワグマが出没したという知らせが市から入った。
リアルタイムで、熊に襲われた人のニュースが流れてきていた時だった為、背筋が凍った。
蛍観察会は残念ながら中止に。
熊に怯えながらゆっくり蛍探しなどできるはずもない。

まあ、熊側にしてみれば、生きる為食べ物を求め、自分の住むエリアからちょっと遠征してみたら、そこには自分とは違う生き物が生息していて。
しかも、たくさん。
さらに、めちゃくちゃ自分を警戒してくる。そりゃ怖くて、生きる為に闘うしかないという心情になるだろうな…とも思う。

ただ、こちらも生きる為に必死なことは同じだ。
わざわざ、出くわせば臨戦体制になるであろう相手がいると分かりながら、近づくこともしたくはない。
安全第一。
蛍より命、である。

その騒動があり、休み明けの今週。
普段は朝、登校班で学校まで登校している息子だが、念の為1週間は保護者付き添いで登校するようにという御達しが学校から出た。
雨も降っているし、今日は車で送っていくことに。

ほんの2ヶ月前までは毎日保育園まで車で送迎していたが、小学校に上がってからはそんなこともなくなっていたので、久しぶりの車送迎になんだかちょっと懐かしさを感じていた。
といっても、学校までの距離は子供の足でも歩いて10分かからず、車では2〜3分で着いてしまうのだけれど。

学校に着き、黄色い帽子を被り、ランドセルを背負い、水筒と図書袋(本を借りた時に持ち帰るための肩掛けカバンのこと)を斜めにかけて、水泳バッグを片手に持つ。
「行ってらっしゃい」という私の声も彼の耳に届いているのか分からないが、抱えた大荷物をまだ小さなその体で引きずるように持ちながら振り返ることもなく校門へとまっすぐ歩いていく。
その姿を見えなくなるまで眺めながら、保育園への行き渋りで悩んでいた日々を思い出していた。

3〜5歳までは幼稚園に、転園後は保育園に通っていた息子。
とにかく「行きたくない」「やりたくない」がすごかった。
幼稚園の時は特に、私にとっても息子にとっても毎日が格闘の日々だった。
車に乗せ、シートベルトをするも、大泣きしながら自分で外してしまうという登園ストライキ。
幼稚園についてからもちょっと離れた駐車場まで泣き叫ぶ声が聞こえ、
時には昼まで泣き止まず、先生が駐車場まで息子を連れて行き「お母さんの車はもうないから諦めよう」と諭してくれることもあった。
運動会やお遊戯会は、もってのほか。
まずは「やりたくない」と、またもストライキ。
衣装は着たくない。手に持ったボンボンは下へ投げつけ、代わりに私が持つと、それもやめろとブチギレる。
私や夫の姿が見えると泣き叫びながら列やステージから脱走。
先生の心が大変広く「練習は頑張っていたから、お母さんのところにいていいよ」
と言っていただけ、涙が出るほど有り難かった。

幼稚園の運動会を私の父と見に行った時のことである。
いつもの如く大泣きの息子。
見かねた父が私に、「お前、隠れてみろ」
と言うので、石垣の影に身を潜め、隙間から目だけ出して応援した。
はじめは私を探していたがしばらくすると諦めたようで、無気力な様子ながらも初めて1つの出し物を最後までやり終えたのだ。
その姿を見て、嬉しいような、落ち込むような、複雑な気持ちが込み上げた。
だって、はたから見た私、
「生き別れた子供の成長を息子にバレないように密かに見守る切ない母状態」
だったから。
そりゃ、本当は堂々と応援したい。

成長するに伴って、息子自身が自分の気持ちを切り替える為の方法を編み出した。
それが、登園時に行う「ルーティーン」だ。
「ギューして、チューして、抱っこして、オンブして、パッチンして、またギューする!」
これをバイバイする際に必ずやるのだ。
どんなにこちらが急いでいても、必ず、だ。
保育園に転園した時は、このルーティーンが最初あまり理解されなかったようで、中途半端に引き剥がされ大泣きしたこともあったが、私から先生に「これは必要なことなんです」と伝えたことで先生も理解してくれた。クラスメイトには時々冷やかされたりもしたが、彼はこれをやることを決してやめなかった。

そして、現在。
小学生になった今も、このルーティーンは続いている。
(ただし、抱っことオンブに関しては毎朝20キロ以上の息子を持ち上げることにより、私も夫もHPが激しく消耗することになるので無くしてもらった。)
が、あんなに毎朝行きたくないと喚いていた息子が、自らランドセルを背負い毎朝「行ってきます」と元気に登校している。
振り返ることなく、「お母ちゃ〜ん」と泣きながら走り戻ってくることもなく、まっすぐ自分の足で歩いて学校に向かっている。


最後に泣いて駆け寄ってきたのはいつだったっけ。
もう思い出せないけど、必ずその瞬間はあったはずで。

いつどこで見たのか思い出せないが、私の胸にすごく残っている、そして、大切にしたい言葉がある。それは

【何事においても必ず「最後」がある】
という言葉。

兎角人は、「最初」に気を取られがちな気がする。
でも「最初」があると言うことは「最後」も必ず存在しているはずなのだ。

最後にハイハイした日。
最後におっぱいを飲んだ日。
最後に抱っこで眠った日。
最後に手を繋いで歩いた日。
最後に息子から抱きついてきてくれた日。

夜眠る時に、ふと隣で寝息を立てる息子を見て思う。
こうやって一緒に眠れるのはあと何回なんだろう、と。
手を握らないと眠れなかった息子。
いつの間にか手を握らなくても眠れるようになった。
寝相の悪い、ぐっすり眠っている息子の手をちょっと握ってみる。
「あれ、こんなに手が大きかったかな」
と気づいた瞬間、なんだか涙が溢れて、布団の中で静かに大泣きした。

何でもない毎日だけど、
当たり前に思える風景だけど、
1つ1つ、
一瞬一瞬、
流れる水のように時は過ぎるけど。
巻き戻しのきかないものだから、
尊くて、
儚くて、
愛しいのだと、
息子を見ていて、心の底から考えさせられる。

母親として反省ばかりの日々だけど、
共に理解しあえ、寄り添ってくれる夫と、
電車大好き、歴史大好き、クイズ大好き、おしゃべり大大大好きで、言わなくてもいい事もいきなり発言しこっちを混乱させることが大の得意なマイウェイ息子。
この2人がいるから、私は毎日嬉しくて、楽しい。

「最初」の喜びも
「最後」の切なさも、
どちらも愛すべき日々なのだ。

息子の後ろ姿を見て、そんなことを思った、梅雨の日の朝。













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