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人が好きだけど人嫌い

昔から人がたくさんいるところが好きです。人混みにいるだけで何だかワクワクして楽しくなります。誰かに対して、どうしてそういう考え方をするのか、どんな生い立ちで今こういう事をしているのか、とかを考えることも好きです。

だけど誰かと直接話したり関わったりするのは、上手くできないし、上手くできてるかなって時もすごく疲れてしまいます。コミュニケーション自体も多分苦手で、今までで聞いた他人の会話の仕方を参考にしてなんとか成り立たせてるし、表情とかしぐさとか声のトーンに頼って「私はあなたに対して好意的だよ」と感じさせられるようにしています。だからLINEとかdmとかは特に苦手です。他の大体の人は文章でも好意を難なく表せるのに、私はきっと余分すぎるくらい労力と時間を使っています。

そういえば、もともと私は、周りの大人たちから「他の人が嫌がることをしちゃダメだよ」と言われて育ってきました。でも多分それを言われる時期が早すぎたのだと思います。私はその言葉を、「自己犠牲こそ至上だ」という意味で捉えてしまい、そのまま幼少期をすべて過ごしてしまいました。周りに全てを譲り、NOと言わないで過ごしていたら、当然単純な幼い頃なので「〇〇ちゃんは優しいね」という評価を受けることになります。それでまた「やっぱり自己犠牲が正しいんだ、私は優しくて性格もいいんだ」という気持ちがエスカレートしていってしまったのです。だけどやっぱりまだ幼いので、当然「自分だって欲しい」という気持ちも起きました。ですが周りから優しいね性格いいねと言われていたから、そんな事を考える自分に違和感を感じて、きっと無意識に自己嫌悪に陥っていたんだと思います。
そして私はそのマインドのままずっと歳を重ねてきました。NOと言えないのはよくないと知った後でも、私の行動の1番中心はやっぱり同じところにあると感じていました。

また私は、他の人の「あの人のセンスやばいよね」とか「あの人性格悪いよね」とかそういうのがなかなか理解できませんでした。悪口を聞いてもほとんどのものに共感ができなかったのです。共感しなきゃいけないことだとはなんとなく気づいていたので、そんな人なんだーとかそれっぽいことは言っていました。ですが、明らかに自分自身や自分の大切なものに危害を加えた人以外は、そもそもそういう感情をもつことがないので、自分から言うことはほとんどなかったと思います。
そういう感情がないのは、多分もともと人の生き様とかに惹かれるような性分だったからです。だけど私はまたさらに、「悪口も言わない自分を優先しない性格のいい子」と周りに思われるようになりました。私はただ自己犠牲に囚われている上に人間オタクってだけで、メンタルは弱くて浮き沈みも激しくて、すぐ怒るしすぐ泣くしすぐサボるし、本当の本当は自分を1番優先したいと思うような人なのに。だいたい嫌だと思う人の基準が、自分や自分の周りを傷つけた人、って言う時点で自分を優先してしまっているじゃないですか。なのに「性格いい」と言う言葉の呪いだけで、それが全部あってはいけないことのように感じてしまって、どれだけ親密になった人にも絶対出さないようにしてしまっていました。自分自身ですら、私はそういう人間じゃないと思い込もうとしていました。

また、悪口を言いたくなるような感情が自分にはなかったから、周りがなんでそう思うのかがわからないので、「自分もそう思われてるんじゃないか」とか「本当の自分を出したら自分もそう思われるようになるんじゃないか」と思ってさらに素のままで過ごすことができなくなりました。

だから私は人と接するのにすごく疲れてしまいます。性格の良くない自分も、性格いいと思ってくれている皆も、好きなものを好きと言えないこの世界も、みんな嫌なのです。自分に自信を持てるようになれば、好きなものを好きと言えるようにはなるんでしょうか。そうしたら堂々と、みんながありえないと言ったあの人に、あなたの生き様私は好きだよ、と伝えたい。

もし将来子どもができたら、絶対に最初は「自分の好きなことをしなさい」と言いたい。好きなことをしていく中で、絶対他人を傷つけたり自分が傷ついたりする瞬間があります。そうして初めて、何が他人の嫌だと思うことで、どうしてしてはいけないのか、してしまった時はどうするべきなのか、しないようにするにはどうすればいいか、とかがやっとわかるんだと思います。ほんとうの「性格のいい人」って、そういう風にしてなっていくんだと思います。とにかく、人の痛みがわかって、自分の思いに素直になれて、自分を好きだと思える、そんな人になってもらえる育て方をしたいです。と、17歳の生意気な小娘が思いました。

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