妻、只今サブスク中(シェアリング妻)
高級時計やラルフローレンまでサブスクリプションを始めたとニュースになっていた。高級バックのサブスクは随分前からあるが、それを利用する人の心理を考えたことがあるだろうか。スバリ「見栄を張りたい人」だ。自分でいくつも買う余裕がないから、借りる。そこまでして高級バックを持って見栄を張りたいのだろうか、インスタに載せるために必要なのかも知れない。さりげなく、バーキンやケリーバックを写り込ませる・・・。全身そのブランドで身を固めるくらいの余裕がなければそのメゾンのバックを持つ資格はないと昔言われていた言葉がある。いくらなんでもそれは難しい、それでひと目でそのブランドだとわかるアイコンとなるようなバックや財布だけを購入するのだ。しかし、見栄だけでなく長年の歴史を経て物づくりをされているメゾンの品はやっぱり素敵だ。くたびれたバックを持っている人よりも多少の流行を取り入れた、造りが良いブランドをさりげなく取り入れている人はお洒落だしかっこよく映る。ブランドによっては、一時期低品質のモノを大量生産したメゾンもあるが、やっぱり昔から愛されている歴史的なアイコンとなっているバックに女性は惹かれてしまう。
「私はそういうのから一線を引いているの」とエシカルやミニマリストな暮らしをしている人もいるが、ナチュラルすぎるストイックさは、男性を遠ざけてしまうと思う。素敵なものは素敵、ファーだって、フェイクファーよりもリアルな毛皮の断然暖かいし、肌触りも違う。牛やブタを食べるのだから、ファッションの毛皮を否定することはないと思うのだがいかがだろうか。もちろん、ファッションのために絶滅危惧種が増えたり、乱獲されるのはいけないことだ。だが、衣食住、身に纏うものは、食と同じように大事なことだと思う。バングラデシュで洋裁工場が崩壊して問題になった、違法労働をさせて搾取するようなファッション業界の構造はあってはならないが、ファーを使ったファッションまでは否定する必要はないと思う。それに、リアルファーを本当に必要とするような地域は世界的な気候を見ても限定されている。
さて、サブスク。私が利用したいサブスクは、ずばり男だ。(なんて品のない書き方なのだろうか・・・と思うが、しかし)他人の旦那をサブスクしたい。不倫は究極のシェアリングエコノミーだと思う。素敵な旦那を時折、私に貸してくれる妻はいないだろうか。人にはモノと違って心がある。気に入った「ご主人様」(ここでは使用する人のこと)のところで使われていたら、古巣に戻りたくなくなるかも知れない。サブスクの相手に旦那を奪われてしまう可能性もあるから、妻にとって旦那を貸し出すのは、難しいのかも知れない。そう考えながら、既に自分自身が自らサブスクしていることに気が付く。しかも、無償でだ。いや、逆にお金をかけて貸し出しているかのようだ。美容などのメンテナンスに時間やお金を使っているからだ。いつでもサブスクで利用してもらえるようにしているのだ。サブスクというと、毎月定額だから、ここではシェアリング妻と言った方がいいかもしれない。月に定額で愛人契約をするのは、若い身体をサブスク利用していると言えるのかも知れない。アイカツしている人は、月に何人の男に自分を定額貸し出しをしているのだろうか。
夫の知らないところで、妻は自らを、妻がいる旦那に貸し出している。簡単な言葉で言えば不倫だ。そろそろ不倫という言葉を別の言葉に置き換えられないだろうか。「不倫は文化だ」という名言?があるが、「不倫は一種のサブスクです」と著名な誰かに言って欲しい。「妻、サブスク中です」とか。
ちなみに、「サレ」という言葉がある。パートナーに浮気「サレ」たという意味だ。浮気された妻のことを「サレ妻」というらしい。妻に浮気された夫は「サレ夫」。浮気した妻は「シタ妻」、浮気した夫は「シタ夫」と呼ばれているという。初めて女性誌やネットで目にしたときには、全く意味が理解できなかった。なんだその日本語は、と。英語に比べて日本語はなんと柔軟に造語を作ってしまうのかと感心さえした。かつてガングロ娘が新しい造語を作ってはワイドショーでこの意味わかりますか?とやっていたのを懐かしく感じる。きっとその世代が、今「サレ妻」になっているのだろう。
ちなみに江戸時代の日本は、性に関してはかなり奔放。筆下ろしのために、妻を貸し出すことだってあった。長屋では、人々が助け合って暮らしており、子どもだってみんなが育てていたのだ。同じ長屋で分け隔てなく、どこの誰の子かなんてのは大事ではない。だって「ひょっとしたら隣の倅は自分の息子かも知れねぇ」というのもあったのかも知れないのだから。または、仕事で出かけている日中に間夫が妻のところへ通っていたなんてこともあったかも知れない。
しかし庶民の奔放さとは違い武士の世界は厳しかった。不倫は江戸時代では「不義密通」。女がこれをすれば「御定書百箇条」によって「密通いたし候妻、死罪」であり、「密通の男」も死刑。これは当時の武士が体面や世間体を維持することをいかに重視していたかにも通じるもの。不貞を働いた妻については、三行半を渡して縁を切るのが一般的。逆に女性は離縁状をもらわないと別れることが叶わなかった。明治4年に女性に離婚請求権ができるまでは、今も問題であるDVだったりと問題ある夫から逃げるためには、縁切り寺へ駆け込むことでしか縁を切ることができなかったのだ。ちなみに当時、武士と中流以上の庶民の結婚はプライベートな感情で決められるものではなく、身内の勘定で決められるもの。夫婦愛は人情。恋は落ちるものだが、情は絆(ほだ)されるもの。愛になると心が真ん中に入る(漢字)と言われたりするが、不倫はなんなのだろうか。恋でもあり、付き合いが長くなれば情でもあり・・・私は不倫相手から愛ならあげられるよ、と言われたことがある。不倫相手のことを「愛人」とはよく言ったものだが、愛人が不倫相手という意味になったのは戦後に太宰治がそう表現してからだという。現代日本語では、愛人は「情人」という。「シタ妻」であるシタタカ妻は、不倫に何を求めているのだろうか。安らぎ?と言ったら、笑われるだろうか。