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二人のクリスマス4

詩織が事故に巻き込まれてから1ヶ月が過ぎた。
容態に変化はない。楽しみしていたクリスマスも新しい年の初めも僕はほとんど病院で過ごした。

それからしばらくして先生の話によると脳波に変化がみられるということだった。それがどんな意味を持つのか分からなかったが、手を握ってやると微かな反応があるような気がすることもある。

僕は詩織がいつ目覚めてもいいように着々と準備を進めた。
きっとこれからも一緒に住むのだから、これが詩織と僕にとって最良の道だと信じるんだ。


雪がたくさん降った2月、詩織の状態に変化はない。出掛けるのも躊躇われるような雪の量となったが、僕は欠かさず病院へ行く。

梅に次いで桃が咲きだし、桜の蕾も膨らみ始めた3月。相変わらずの病院通い。救いは悪くなっていないことだけ。

新緑が眩い4月。ずっと沙織の側にいようと思い、ついに一つの会社を手放した。これからは幸いなことに蓄えは十分過ぎるほどある。

明らかに好転していると先生から伝えられた5月末、近くの神社にキレイに咲いた杜若を見ながら病院への道を行く。

梅雨が始まった6月。ついに詩織が目覚めた。だけど僕が誰なのかも分からないようだ。

「詩織」
僕は病室へ駆け込んだ。目を開けた状態の詩織はベッドに横たわったままだった。
それはそうだろう。半年以上も寝たきりだったのだから座ることも立つことも、まずはリハビリが必要となり、歩くことなどなおさら遠い話となる。
それでも目覚めてくれたんだ。先に希望はあるさ。

「詩織、僕が分かるかい?」
「あなたのお顔は覚えがあるの、でも誰なのか思い出せないの」
「顔は覚えてくれてたんだね。それだけでも十分だよ」
「それで失礼ですけどあなたはどなた?」
「僕の名前は加地武。君の名前は加地詩織。そして君は僕の妻なんだ。だから僕たちは夫婦ってことになるんだよ」
「あなたが私の夫? それで顔を覚えていたの?」
「きっとそうなんだろうな」

そう、僕はこの日が来ることを予測して準備を進めていたんだ。
まずは娘を一旦養女に出し、新たに妻として迎えた。
前妻とは死別。前妻の連れ子である娘とは血の繋がりもない。妻にすることはさほど難しいことではなかった。それに伴い身分証などの書き換えもすべて滞りなく終えたはずだ。
さらに家を売り払いマンションを2軒買った。1軒には娘の持ち物をすべて入れてある。そしてもう1軒が新しい二人の新居となる。僕の持ち物は少ないから今はがらんとしているけど詩織の物が増えればちょうど良いんじゃないかな。

主治医にも事情を説明して妻であることを理解してもらった。
詩織の友達関係は正直分からなかったが、短大を卒業して家にいたのだからさほど交友関係は広くないだろうと判断した。事故の影響でスマホが壊れたままになってるのを幸いにそのままにしてある。

「それで君に言っておかなければならないことがあるんだ」
「何かしら?」
「ひょっとしたら車椅子生活になるかもしれないと思ったからバリアフリー化を進めようとしたんだけど玄関アプローチが石段だったり2階があったりで結構難しそうだったので思い切って売り払って完全バリアフリーのマンションを購入したんだ」
「私は車椅子生活なの?」
「先生に聞いたけどリハビリ次第では歩けるんじゃないかと言うことだったよ。ただし半年以上も寝てたんだからリハビリも徐々に進めるんだって」
「なかなかお家には帰れそうも無いわね」
「でも目覚めたんだよ。僕はそれだけで十分だよ」
「私は早く帰りたいわよ」
「そうだ、言い忘れてたけど君の持ち物は全て別のところに置いてあるんだ」
「どうして?」
「だって家具の配置や必要な物と不要な物の区別が僕では分からないから、とりあえず緊急避難的に別のところに置いてある。残しておきたい物もあるだろうけど、何ならすべて新しくしたっていいんだよ。まあ少し先の話だからゆっくりと考えてくれればいいよ」

「ねえあなた。私はあなたを何て呼んでいたのかしら」
「あなただったり、タケシとか、たけちゃん かな?」
「じゃああなた、私のスマホ知らない?」
「君のスマホは事故の時に壊れちゃったんだ。修復が可能なのかは分からないけどそのままにしてある。どうしてスマホがいるの?」
「あなたと連絡取るのにも必要でしょ」
「新しいので良ければ明日にでも用意するよ」
「じゃあお願いね」
「だけど毎日僕はここにいるよ」
「あなたお仕事は?」
「一つの会社は人に譲ったよ。そこからはこれからも少しだけど収入があるし、今まで溜めてきたモノもあるから心配しなくていいよ」
「それは私の事故のせい?」
「ずっと側にいたかったからね」

翌日新しいスマホを用意して病院へ向かう。
「とりあえず僕の番号だけ登録しておいたから」
「ありがとう」
「何かあったらいつでも連絡してくれればいいから」
「うん」

その夜。
「もしもしあなた?」
「どうしたのこんな時間に?」
「うん、あなたはいつも何時頃寝るの?」
「そうだな、だいたい深夜1時か2時頃かな」
「そんなに遅いの?」
「色々とすることがあってね。それよりもう就寝時間すぎてるよね」
「ちょっと声が聞きたくって」
「それは嬉しいけど大丈夫なの?」
「あなたが悪いんだからね」
「え、どうして?」
「じゃあ、おやすみなさい。また明日」
「え、ああ、おやすみ」

それからしばらくして長くて苦しいリハビリが始まった。
半年ほどの寝たきりで筋肉はごっそり落ちている。
まずは寝返りを打ったり座ることから始めなければならなかった。
赤ん坊と一緒だ。
その間も僕たちは昼間は病院で夜は電話でずっと話し続けた。

「私たちってずいぶん歳が離れているわよね?」
「僕は来年48になるよ。君は23かな」
「ほぼダブルスコアなの? そんなに違うのね。あなたのどこに惹かれたのかしら」
「それを僕に聞かれても困るけど、親子ほど歳が違うと会社の連中には揶揄われたよ」
「あなたは私のどこを好きになったの?」
「改めて聞かれると照れるな」
「教えてよ」
「そうだなぁ、まずは素直、そして明るい。物怖じしない、可愛い、僕のことを一番良く分かってくれている。僕がこの世で一番大切にした・・・」
「もういいわ。こっちが照れちゃう」
妻を照れさせてどうするんだ。

「ねえ、手を握ってくれる」
「どうしたの?」
「あなたの愛情を肌で感じたいの」
僕は両手で包み込むように詩織の手を握った。
「キスして」
少し動揺したが目を瞑った詩織のおでこに口付けた。
「ここから先は無事退院してからにしようね」


夏の終わりの頃には摑まり立ちができるようになり、少しして歩行器があれば短い距離だけど歩けるようになった。

秋が深まってきた頃、松葉杖をついての歩行ができるようになり、車いすを使えば行動範囲を広げられるくらいには回復した。

「去年のクリスマスは一緒に祝えなかったから、今年は一緒に祝おうね」
「そうね、それできればお家でできないかしら。お家がいいな」
「家の中は僕のモノしかないよ。それに外出許可も取らないと」
「まだ退院できないのかなぁ。松葉杖を使えば歩けるようにもなったんだよ」
「そうだね先生に相談してみよう」
「退院が一番いいけど、無理なら外出許可じゃなくて外泊許可ね」
「ホテル予約しなきゃね」
「何言ってんのよ、お家に帰るに決まってるでしょ」
「君のモノは何もないよ。それにベッドは僕が寝てるのだけだし、客用に布団も用意してないし」
「あなたのベッドがあるんでしょ? 一緒に寝ればいいじゃない」
「シングルベッドだよ」
「あなたは別々に寝る派だったの?」
「当時はリハビリ前でひょっとすると介護できるようなベッドにする必要があるかもしれなかったから決まってからにしようと思ったんだ。分かったダブルベッド、いやこの際だからキングサイズに入れ替えてもらうよ」
「それは退院が決まってからにしましょう、私もベッド選びに立ち会いたいし。だから今回は狭くてもいいから」
「どこかにキャンプで使ったシュラフがあったと思うからそれ探しておくよ」
「あなた。ううん、たけちゃん。あなたが私を愛してくれているのはずっと感じているわ。でもあなたは私に触れてもくれない。キスだってこの間おでこにチュッてしてくれただけ。私たち夫婦よね? どうしてなのか聞かせてくれる?」
「正直にいうと怖いんだ」
「私に触れるのが? 触れると雷に打たれるとか、石にされてしまうとか?」
「そうじゃなくて、また君が目覚めなくなるんじゃないかって。だから願掛け。 そう願掛けだよ、君が無事に退院するまでの」

「私ってば自分のことばっかり。ごめんね」
「いや、いいんだ。もう少しの我慢だから」
「うん」

いきなり退院とは行かなかったが、クリスマスの外泊をお願いすると先生の許可が下りた。
その少し前、外出許可をもらいリハビリを兼ねた散歩ついでに小物の買い出しに出掛けた。
「この先に新しくできたコーヒーショップが美味しいんだけど行かない?」
「そうか、ずっと頭がスッキリしないのはコーヒーを飲んでないからね」
「病院ではコーヒー飲めないよね。ていうか飲んで大丈夫なのかな?」
「大丈夫だよ。病院の中にもコーヒーショップはあるけど、行ってないだけだから」
「そうだね。いつも客がいっぱいの店だから席が空いてるか先に行ってみてくるよ」
「いいよ、一緒に行こうよ」
「せっかく行っても満席だったり並ばなければならなかったりはイヤだろ? 今日は時間も限られてるし」
「それはそうだけど・・・」
「詩織はゆっくり来ればいいから、もしも満席だったら戻ってくるし」
僕は速足でコーヒーショップを目指した。美味しいコーヒーを詩織に飲んでもらいたいだけなんだ。

「ちょっと待ってよあなた」
「焦らなくていいから、ゆっくりでいいからね」
「待ってってば父ちゃま。      父ちゃま?」


お読みいただきありがとうございます。
敢えて中途半端な終わりにしました。
続きはそれぞれでお考えいただければと思います。


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