子どもたちも私自身もしばらく体調を崩していたため
前回の日記から少し日が空いてしまった。副鼻腔炎をぶり返したり体調がなかなか安定せず、日記に向かう余裕なしといった感じだった。この日記は自分の文章力を上げたくて書いてるというのもあるのだけど、文章を書くことは心身のコンディション維持が大事なんだなとなんとなく思った。この超個人的な日記であっても。
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子どもたちも私自身もしばらく体調を崩していたため、下の子の一歳半検診は2か月遅れて今日行くことに。というわけで午前中に用事が入ると朝の緊張感が増す。
なにしろ雪道のためにベビーカーは使えず、抱っこ紐もなしで、一歳の子どもと徒歩&バスに乗って行く、ということが初めてなので朝から気合いが必要だった。
我が家は山の中腹にあるため、バス停までは結構な坂道を下る。雪道でさらに歩きづらさが増してしまい、まだ歩き慣れない下の子は道中泣きぐずってしまった。
そういえば上の子のときには、一歳過ぎからかなり頑張って日々歩かせていた。なぜあんなに頑張って歩き始めの小さな子を歩かせていたんだろう。
泣きぐずる下の子を見て思い出してしまった。
車社会の中で車の免許を持たない私はそれがコンプレックスでもあった。なんか意地になっていたんだと思う。車に乗れなくったって育児ができる。このきつい坂道だって子どもを連れて上り下りできる。なんなら小さなうちからたくさん歩かせて足腰を丈夫にさせようと。
その頑張りあって上の子は今や坂道も余裕で歩けるようにはなった。そして今でもその意地はなくはない。意地がなくてはやっていけないこともある。でもこれは振り返るとちょっと胸が痛くなることのひとつだ。
無事時間通りにバスに乗りこみ、下の子と窓の外を眺めながら目的の場所へと向かった。外を見ていたらご機嫌になってきた下の子。わたしにとっても楽しいひとときになった。
保健センターではコロナ禍で人数制限がなされているようではあったが、それでもなかなかの混雑っぷりに辟易した。一歳児と一緒に長い時間待つことの大変さよ…。
けれども下の子はなぜか終始ご機嫌で待っていてくれた。勝手に動き回るわけでもなく、もちろん抱っこ抱っこと求められるわけでもなく、私の隣で一人楽しそうに座って過ごしている。。私はすごい楽で拍子抜け…。上の子との落差よ…!
検診もあっさり終わり、あまりの呆気なさになんだか寂しくなってしまった。次は三歳児検診かぁ。この子が三歳になったらどんな日常が待っているんだろう。
職場が同じ区内の夫が、お昼休みに合わせて私と下の子を家まで送ってくれることになっていたため、時間まで近くのショッピングセンターで過ごした。ふと外を見たらホワイトアウト。すごい雪が降っている。
そんな中、貴重なお昼休みを削って会社から抜け出して来てくれた夫にはほんと感謝。
家までは車で10分ちょっと。車に乗り込みながら、私は今、本当にごくごく限られた世界で生きているのだなとふと思った。
SNSに参加していると、この自分が、広い広い世界の一員になれたような錯覚を覚えて嬉しい。いや、錯覚ではないかも。現にSNSの外へ出て、オンライン講座やライブ配信、イベント等にちょこちょこ参加してみている。
それもこれもこのコロナ禍により、家にいながら広がる世界を感じている。そしてその感覚が自分にはとても合っているとも思う。なんか待ってました!という感じ。先の不安を感じる瞬間もたくさんあるけれど、今までの常識が大きく覆されるほどの時代の変化になんだかワクワクしている。
どうなっていくんだろう、これから。私と家族も。変化のときには日常が揺れ動く。でもこんなとき支柱になってくれているのは、紛れもなく小さな2人の子どもたちだった。
上の子が帰ってきてからは、みんなでクリスマスカード作りをした。下の子はクレヨンを持ってもぐちゃぐちゃにしか描けなかったのだが、気づけば手を大きく動かして丸が描けるようになっていた。小さくても確かな変化に嬉しくなった。