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担任と主任のあいだ

「特別支援教室担任」と「主任」の役割で、言うことがコロコロ変わるくれよんです。

まったく説得力がありません。

自戒の念をこめて記事を書きました。

読んでください。『樽の中のワイン』。

以下、2学年便りに載せた内容です。

『山奥のユダヤ人の村に、新しいラビ(ユダヤ教における宗教指導者)が着任することになった。村人たちはラビが着任する日に、祝いの宴を開くことにした。ユダヤ教会堂の中庭に空の樽を用意し、前日までに村人それぞれが1瓶分の酒を樽の中に注ぎいれておくことにした。当日までに樽はいっぱいになった。新任のラビが到着すると、村人はラビを住まいに案内した。そして、ユダヤ教会堂に案内して、祈りを捧げた。その後、祝いの宴となった。しかし、どうしたことだろう、樽から注いだ液体はまったく酒の味がしない。それはまるで水のようだった。長老たちは新任のラビの手前、戸惑い、恥じ入った。突き刺すような静寂が立ちこめた。しばらくして、隅にいた貧しい村人が立ち上がって言った。
「みなさんに告白します。実は、みんなが酒を注ぎいれるだろうから、わしが一瓶分ぐらい水を入れたって、誰にも分からないだろう。そう思ったんです。」間髪いれず、別の男が立ち上がった。「実はおれも同じことを・・」。その後、次々に「わしもです」「おれもです」と言い出し、とうとう村人全員が同じことをしていたことが分かった。』

引用:座右の寓話

どうでしょうか?

元サッカー日本代表監督の岡田武史さんも選手に同じような話をするそうです。

「全員で声を出して体操!」

と号令をかけても、実際に声を出しているのは3分の1ぐらい。

「お前たち、全員で声を出してと言わなかったか?」

と聞くと

「いや、僕が声を出さなくても、誰かが出します」

と答える。

「お前なあ、全員がそう思っていたらどうなるんだ。一人ひとりが『自分のチーム』だと思わなくてどうするんだ」

引用 志岐幸子:「岡田武史監督と考えた『スポーツと感性』」


今日、新年度が始まってはじめて、学年ボードに『明日の教科連絡』が書かれていませんでした。

先週ぐらいからかなり動きが鈍かったので、いつかそうなるだろうなと思っていました。

誰かがやるだろうという雰囲気を感じていました。

授業の始まりや終わりのあいさつ、拍手、今であれば、掃除。

本当にみんながやっていますか?


『みんなのクラス』というと聞こえはいいです。

でも、1人ひとりが自分がやるべきこと、自分ができることをやっていこうという強い気持ちを持つこと。

それが『自分のクラス』という言葉の本当に意味でしょう。

『自分のクラス』という強い気持ちが集まってできた『みんなのクラス』は本当に居心地が良く、全員がハピネスを感じる最高のクラスです。

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