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天才と凡人の違い:行動の違いはあるの!?

行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、
行動のない所に幸福は生まれない。


‐ベンジャミン・ディズレーリ‐

おはようございます。
習慣応援家、shogoです。

習慣化を目指すうえで欠かせない行動…

ついついサボりがちになる気持ち、よく分かります。

そして、こういった言いわけを思いつきませんか?

「天才と呼ばれる人は、凡人とは違い努力しなくても才能によって成功する」

「とつぜん降りてくるインスピレーションによって、成功する」

「センスの良い人は、限られた人間だからこそ自分には到底不可能なことができる」

どうでしょう?
思い当たる節ありませんか?

今回のテーマは「天才と凡人の違い:行動の違いはあるの!?」について語りたいと思います。


天才を言いわけに使う理由

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「天才だから」
「才能があるから」
「センスがいいから」

自分よりたぐいまれなる能力を見せつけられると、そう思いたくなる気持ちも分かります。

世の中には、素晴らしい才能で活躍する人が多く存在します。

そういった人と比べると、どうしても自分ってちっぽけだなと感じるのもとうぜん。

そして、上記につながる「天才だから…」といった言いわけを思い浮かべます。


天才と凡人の違いとは!?

では、天才と呼ばれる人にできるのに、凡人にはできないのはなぜでしょうか?

たとえば、けん玉の達人がいたとしましょう。

けん玉のスゴイ技を軽々とこなす達人。

”飛行機”から”世界一周”まで、ウルトラ級のスゴ技を連発!
(”飛行機”や”世界一周”はけん玉の技名です。)

凡人には、目の前で何が起こっているのか分からないほどビックリします。

けん玉の凡人は、ただただ球を横皿に乗せるので、精一杯でしょう。

けん玉の達人とけん玉の凡人の違いとは、どこにあるのでしょうか?

ひとつは、経験値です。

どちらが多くのけん玉に触ってきたのかは、一目瞭然です。

多くの時間を割いて、けん玉を練習し技を極めています。

もうひとつは、けん玉への興味です。

普通の人は、けん玉を学んで一定の水準に達すると満足します。

満足すれば、それ以上の努力をしようと思わず、けん玉の能力はそこで打ち切りです。

達人は違います。

一定の水準に到達しても満足せず、とことん突き詰めていきます。

あくなきけん玉への興味を持ち、やれるところまでやろうと行動します。


どうやったら天才になれるのか?

けん玉を例にすると、凡人には理解できない”多くの時間””興味を持つこと”が必要です。

ここで勘違いしてほしくないのが…

天才とは、いきなりあなたの前にパッと現れた存在ではないということです。

たしかに物理的に、いきなり目の前に現れることはあります。

でも、天才と呼ばれる人も、最初は凡人からスタートしています。

凡人から始まり、”多くの時間”と”興味”で天才へと成長していきます。

そして、天才となった姿を見て「あぁ~天才はいいよな」と嫉妬しているだけです。


天才の努力の仕方

天才だから特別な努力をしている…

そんなふうに、多くの人は勘違いしているかもしれません。

たとえば、ある画家は、

「本当に独創的な人々の仕事の習慣は、きわめて平凡でとくに面白いといえることはない」

と、言っています。

ただただ普通の行動を繰り返しているだけ…

その時間が多く積み重なり、結晶となり輝くからこそ、凡人にはまぶしく感じるのでしょう。

結晶の結果を見てしまうと、ついつい「いいよな~能力のある人は…」と自分の努力をしない行動を正当化しちゃうんです。


もう言い訳はやめて行動しませんか?

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冒頭にある言葉を引用します。

「行動は必ずしも幸福をもたらさないかも知れないが、行動のない所に幸福は生まれない。」

行動したからといって結果がついてくる保証はありません。

でも、行動しないよりはマシです。

行動しないのであれば、立ち止まったままで一歩も前に進んでいません。

大事なのは行動し続けること。

「天才だから…」と言い訳をせず、ただ行動あるのみ。

成功を手にする人は、間違いなく行動しているのですから…

では、この辺で。
失礼します。


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