身の回りにある「世界」の話

「世界」とは何か。
OK, Google! 検索して!

1 地球上のすべての地域・国家。
2 自分が認識している人間社会の全体。人の生活する環境。世間。世の中。
3 職業・専門分野、また、世代などの、同類の集まり。
4 ある特定の活動範囲・領域。
5 歌舞伎・浄瑠璃で、戯曲の背景となる特定の時代・人物群の類型。
6 自分が自由にできる、ある特定の範囲。
7 《〈梵〉lokadhātuの訳。「世」は過去・現在・未来の3世、「界」は東西南北上下をさす》仏語。
8 このあたり。あたり一帯。
9 地方。他郷。
10 遊里などの遊興の場。
コトバンクより引用。https://kotobank.jp/word/世界-546855

へえ、思っていたより「世界」にはたくさん意味があるな。
今回の「世界」は、おそらく上記の「2」のセカイに該当するものだと思う。

フリーライターを数週間やっていて思ったのだが、世界が狭くなった気がする。狭いというか、すぼまっていくというか。
取材はしたことがなく、アルバイトも今のところやっていない私の一日は、基本はずっと対パソコンである。丸一日対パソコン。パソコン is my friend.

なんだか、自分の世界がどんどんすぼまっていく感覚に日々襲われている。
今まで知らなかった情報を調べて記事を書くことも多いので、「知らなかった世界の知識」は確実に増えているはずなのだけれど。
なぜこんなことを思うのだろう。

やっぱり、「人」か。

人と接していないから、そんな気分になるとしか思えない。

考えれば考えるほど、「人」とは不思議な存在だ。
人は、私とは違う顔をしている。
人は、私とは違う声でしゃべる。
人は、私とは違う常識を持っている。
人は、私とは違う経験をしてきている。

私にとって、人とは「自分の知らない世界そのもの」なのだ。
人と接することは、その人の世界にアクセスすることと同じ。
人を通して、私は自分とは異なる世界を知る。

私の世界がどんどんすぼまっていくのは、人と会わないから。人の世界につながらないから。
うん、そう考えればしっくりくるな。
自分の身の回りに幾万も広がっているもの。
でも、自分から近づかなければ、絶対にアクセスできないもの。

「世界とは人であり、人とは世界である」

私にとって、世界とはそう定義できるものらしい。

#エッセイ #コラム #雑談 #つぶやき #世界 #セカイ #人

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