世の中みんな私よね Iさんの場合


世の中の人間は全員私だと思っている。もう少し正確に表現するならば、世の中の人間は全員「私であった可能性のある人間」だと思っている。

例えば今朝電車で隣に座ってた人は、二十年くらい早く生まれて、野球観戦が趣味で、炭酸が飲めていた場合の私。昨日行ったカフェの店員さんは、人前で笑顔で話せて、編み込みが上手で、左利きだった場合の私。とまあこんな具合で、人生の分岐点で選ばなかった(あるいは気付かなかった)方を進んだ人が『他者』であると、なんとなく私は考えている。

と、ここまで書いたところで、Iさん(仮名)から「メイク直したら行きます!」と連絡が来た。Iさんは別の部署の先輩で、研修でお世話になって以来、一緒にお昼を食べる仲だ。昼食は基本的に社員食堂だが、私もIさんも他の人と外に行くこともあるし、給料日前はコンビニのおにぎりですませることも多い。日替わり定食を半分以上食べ進めても隣に座らなかったら「今日は来ないんだな」と判断し、イヤホンで音楽を聴いたりLINEを返したりする。特に共通の趣味などもないのだが、社内で気を使わずに話せる貴重な間柄の人なのだ。

さて、何故Iさんから連絡が来たのかというと、これから一緒にアイスを食べに行くからだ。私は定時退勤してエントランスでスマホを見ていたのだが、Iさんは定時後も10分ほど仕事をしていたらしい。それも当然で、アイスを食べに行くことが決まったのはつい30分ほど前なのだ。私が所属する部署で、某アイスクリームチェーン店が実施中のキャンペーンの話で盛り上がり、アイス欲が抑えられなくなった私はIさんのフロアまで階段を駆け上がった(普段ならチャットを送るのだが、アイス食べたさに興奮していたのだと思う)。そして息を切らせながら「お疲れ様です!あのっ予定あったり気分じゃなかったら大丈夫なんですけどっっこの後アイス食べに行きませんか!」とお誘いした次第だ。

無事Iさんと合流したので、アイス屋へ向かう。Iさんが歩くリズムに合わせて、Iさんが肩にかけているバッグが揺れる。Iさんのバッグは、私の社内用バッグ(昼休みに貴重品を持ち歩くためのサコッシュ)よりも小さい。手のひらに乗っかるくらい小さい。指でつまめるくらい小さい。おもちゃかと思うくらいに小さい。鍵とリップと日焼け止めと免許証しか入っていない(コスメはもう二つくらい入っていたかもしれない)。スマホはポケットに、社員証は首から下げっぱなしで上着の下に収納していて、バッテリーや折りたたみ傘は「コンビニにある」という理由で持ち歩いていないらしい。私が裁縫セットや予備のハンカチを持ち歩いている話をした時は「遭難してるみたい」と言われた。Iさんと私は本当に共通点がない。私の人生のどこで何を選択したらIさんになっていたのか、私はわからない。

キャンペーン中のアイス屋は長蛇の列だった。私がメニュー表を持ってこようとしたら、Iさんは公式サイトのメニュー表をスクショしまくっていた。画像として保存してからゆっくり選ぶらしい。Iさんが「どれにしようね」とスマホを見せてくれる。どれにしようかな、と覗き込んだ瞬間にスワイプされた。フラッシュ計算並みの速さで数枚の画像を行ったり来たりさせるのがIさん流らしい。だんだん目が慣れてきたので、期間限定とレギュラーからひとつずつ選んで、Iさんに告げた。Iさんは「三浦さん早いねー私こういうの決めるの苦手で…」と呟きながらものすごい速さで指を動かしている。桃色のネイルに照明が反射してきらきらと輝いていた。

ちなみに、私とIさんはアイス屋に来る前に夕食を済ませている。私は退勤→アイス→解散と考えていたのだが、Iさんに「まずは食事を摂りましょう」と嗜められて、和食屋に入ったのだ。
「飲みだったら断ろうと思ったんだよね」
とIさんは言った。
「会社員になってから、アイス食べようって誘われたの初めてかも」
「私は夕食アイスのつもりでした。この前もコメダのジェリコで済ませたんで」
「やっぱ三浦さん面白いよ」
とんでもなく小さいバッグで通勤してるIさんも面白いと私は伝えた。そのままなんとなく上司やアイドルや健康の話をしているうちに夕食を食べ終えて、アイス屋に移動したのだ。

アイス屋の列はなかなか進まない。Iさんは「ちょっとLINE返しちゃうね」とスマホに没頭している。私は特に連絡も来ていないので、SNSを見たり、スケジュールを確認したりしていた。と、列が3人分ほど進んだ頃、私とIさんがいる真横の壁に張り紙があることに気付いた。それは、目当てのキャンペーンが前日までの事前予約制であることを知らせるものだった。
「どうします?シングルで食べていきます?」
「うーんでもやっぱりキャンペーンで食べたいかも」
注文の順番はまだ来ないようなので、とりあえず並び続けることにする。
「あっデリバリーなら予約空いてるね」
「会社に届けてくれますかね」
「怒られそう」
「それか10時にフレックスで退勤してテイクアウトですね」
「退勤しちゃうの!?」
結局、私とIさんは列から抜けて、ジューススタンドに行った。横からスライディングしてきたカップルに席を取られてしまったため、しばらく歩いて別の場所の椅子(飲食可)に落ち着いた。その後も色々と面白い出来事があったので、また書き留めたいと思う。他者はやっぱり他者で、私とは何も関係がないから楽しいのかなあ、と思いながら、Iさんと同じメロンジュースを飲んだ。Iさんは「さっきのカップルまじなんなんですかね」と言いながら、ジューススタンドの紙ナプキンを渡してくれた。