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2013年4月17日

僕らのテントサイトは早朝から賑やか

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夜中、3時頃にライトの明かりと人の歩く気配で目が覚めた。いや、それ以前に寒さでそれほど深い眠りではなかったのかもしれない。僕たちがキャンプを作ったのはクランプオンポイントのすぐ前。クランプオンとはアイゼンのことで、氷河の上を歩くのに、滑らないよう登山靴に鉄のスパイクを付けるのだ。そのためクランプオンポイントではアイゼンの音がガチャガチャとし、ヘッドランプの光が回りを照らし、薄いテント生地からはっきりと見える。

起きて温度計を見るとマイナス8度、ヒマラヤにしてはそれほど寒くはないが、何よりも地面からの冷気が厳しい。ベースキャンプの目の前はアイスフォール、氷の滝(氷曝)という意味だ、そこは白とアイスブルーの世界で滝の時間を凍てつかせると風になるのだろう。僕らのテントはそのすぐ横なのだ。その氷の上にテントを張って寝るのだから体は冷えるはずだ。使わなくなったトレッキング用の寝袋を引っ張りだし、テントマットの下にさらに敷く。若干底冷えが和らぐが、今度は次から次へと来る登山者が気になっているうちに、外は明るくなった。まあ、ベースキャンプの初日はそんなもんだろう。

朝起きてよく見ると、僕たちのキャンプは若干アイスフォールの入り口から外れている。本来ならばメインの道から僕たちのキャンプに入る手前から入るのだが、多くの人たちは目印がなく、僕たちのキャンプを横切るのだろう。看板を設置する事を朝決めた。

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朝食を食べ終わると、シェルパ達と対面会をすることにした。今はまだ荷揚げを含めた登山を開始していないので日本人メンバーとシェルパ全員が一同に揃っている。これから1か月以上は彼ら(シェルパたち)のお世話になる。挨拶とミウラチームTシャツと帽子をそれぞれに手渡して、みんなで記念撮影。

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そのなかでニマ・ギャンザというシェルパは先月(3月)の12日からここの場所取りをしてくれていたという。その忠誠心に頭が下がる思いだ。これから僕たちはプモリにて高度順化を行う。本来は4泊ベースキャンプにいてからプモリの登山をスタートしようと思っていたが、父は体調がいいらしく、明後日から行こうという事になった。

そうなるといろいろ準備が慌ただしくなる。なによりシェルパにはプジャといって、開山(安全登山祈願)の儀式を行わなければならない。しかもその日取りはシェルパカレンダー(暦)といって、日本の吉日に当たる日に執り行われることになっていて、このプジャを行わない限り、登山活動を始めるのを嫌がる。本来なら、3日後に行う予定だったが、急遽明日執り行うことにした。サーダーのギャルツェンに聞いてみると、明日でも明後日での、日取りとしては両方大丈夫だそうだ。

そこで急遽、祭壇作りが始まった。半畳くらいスペースに次々と石を積み上げる。3~4時間もすると、1mほどの祭壇が出来上がる。彼らの家はほとんど石積みだが、この分だと1週間もすれば家が出来上がるのではないかと思った。僕たちは僕たちでプモリへ行くためのテントや食料、そしてプモリで高度順化をしている間に行われる、エベレストの高所キャンプへの荷揚げスケジュールについて話し合う。

午後の大半は日本から送っていた荷物の整理に費やされた。夕方、お父さんがアイスフォールを散歩したいといったので、装備を付けてアイスフォールに入る。お父さんの装備の手伝いをした後、自分の装備を付けていたら、いつの間にか父の姿が見えない。どうやら勝手にうろうろアイスフォールの中に入って行ってしまったようだ。アイスフォールに一歩入り込むと氷の迷路。氷の氷柱や襞が至る所にあり、迷い込んでしまったらなかなか出られない場合がある。僕はあわてて足跡を追っていくが標高が高いので思うように身体が動かない。大声で叫ぶが父の返事がない。しばらく行くと他の隊が氷壁でトレーニングを行っており、父はその様子を見学していた。徘徊癖のある家族を持つ人の気持ちが少しわかった。しかし、その後アイスフォールを見て回るとまさにそこは氷の芸術だ。

父と二人で小一時間ほど散歩した後、ベースキャンプに帰る。帰ってアイゼンを外すとき、肝心の看板を立てることを忘れていたことを思い出した…。


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