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2013年4月24日

キャンプ2まで合計30時間

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昨日の夜、父はテントに入り込むと何も口にせずに寝袋に入ってしまった。「寝る前には2リットルの水分を飲んでくださいね」と大城先生から言われていたので、シェルパに頼んで作ってもらったお湯が、テルモスに三つ、テントの中で宙ぶらりんになっている。暇だから僕はお茶をのんでお父さんの様子を見守っていたのだが、寝袋に入って間もなくいびきが聞こえてきたので大丈夫だろうと思い、写真を日本に送ってから僕も寝た。

朝が明ける直前、ごそごそと隣で音がする。父がトイレのために外に出ているのだろう。どうやら生きているようだ。安心した。昨日の頂上、それから命からがら山から下りてC5で父が復活、ぎりぎり日没前にC4にたどり着いた…。こう考えてみると昨日の出来事はすべて夢の中の出来事のようだ。ここまで降りることが出来て、昨夜はほっとしたが、まだまだ問題はある。

ここはC4、8000mの標高にしてデスゾーン。少なくともC2(6400m)程度の標高に降りないと安心はできない。問題は父の体力がどれくらい回復しているかだ。父には昨日、十分飲めなかった水分と食料をゆっくり摂ってもらう。父だけでなく、僕も節々が硬くなっている。昨日、父を引っ張り上げたり、支えたりを10時間以上も高所で行っていた。シェルパ達も同様に疲れていることだろう。父は三浦ケーキやお茶、スープ、そしてカレーをどんどん胃に詰めていく。すると顔の血色もよくなってきた。僕は希望が湧いてきた。

C4の撤収準備を始める。僕達のテントにある一切合財、そしてC4に残っているボンベから燃料、食料のパッケージの切れ端の、残りの全てを持ち帰るように確認して出発したのが午前10時30分であった。出発時間としては多少遅いが、うまくいけばローツェフェースは数時間で降りられる。これで大丈夫だろうと高をくくった。

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ジェニヴァスパーまではアイゼンをつけずに降りる。そこまでは普段ならば全く雪がないはずだ。しかし、なぜか9時ころから降り始めた雪が積もり、岩の上が滑るようになってしまった。昨日、兄に寝る前に無線で確認したところ、今日は条件としては「とても良い日」だと聞いていたのだった。これからよくなるのだろうかと思い、ジェニヴァスパーの前でアイゼンをつけると同時に、ローツェフェースの「よい日」はとても暑くなるので、中に着ていた薄いダウンを脱いだ。

父の調子は昨日よりもよっぽどいい。しかし、まだふらつくので、安全を期するのに昨日と同様、フィックスロープにユマールをかけ、そこを支点にして父を下ろす。僕は父と一緒に降りて足元の確認をしながら、ロープが伸びり切ったところで、一度、父のユマールをかけ安全を確保したうえで、その後、倉岡さんがそこから新しい支点を作る。

こうして尺取虫のようにゆっくりとそれぞれのセクションを越えていく。昨日と違うのは安全ロープの長さが20mと昨日の倍長いというのと、支点をかける作業を倉岡さんだけではなく、ニマシェルパも覚えくれたため、一つの支点で父を下しながら、ニマが次の支点を作る準備に取り掛かれるため、ほとんど無駄がないのである。しかし、この作業も延々と地道に続ける。

太陽はずいぶんと傾いている。時計を見るともう午後6時近くだ。今日は、慎重を期して、途中休みを入れて何度も水を飲んだり食事をとったりしながらだったので、時間がかかっていたのだが、作業に集中していたのでこれほど夕方に近くなっているとは思わなかった。しかし、昨日のどうしていいのかわからない状態ではなく、安全を確保しながら十分に栄養を取って動いているので、それほど危機感はない。

昼間は北風が吹きすさみ寒いと思ったが、それも夕日が落ちると風は止み、逆に暖かく感じるようにもなってきた。しばらくすると、月が昇ってきた。月明かりのもと、ヘッドライトでひたすら父を下ろす作業に徹する。何度、ユマールと安全クリップを架け替えただろう。突然、ベルグス・シュルンドの大きな曲り角が出てきた。

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涙が出るほどうれしくなった。時間は21時30分、一歩一歩がロープの長さとなり、ロープの長さを何度も伸ばすことによってついにローツェフェースを下りきった。正直、昨日エベレストの山頂に着いたよりも、無事にローツェフェースを下りきった方が格段にうれしかった!!!

父に、「ローツェフェースを滑った時(1970年)どれくらいかかったの?」と聞いたら「2分50秒」と返ってきた。「今日は12時間かかったね」と続けたら、「今日の方がちょっと苦労したな」と答えが返ってきた。

ベルグス・シュルンドの下には三戸呂君とシェルパがいて、大城先生と三戸呂君が作ったおにぎりとミルクティーを持って待っていてくれた。みんなで石が上から落ちてこない安全地帯まで行ってそれをほおばる。すると僕達の生還を祝うようにプモリ方面に流れ星が見えた。

そこからもゆっくりとまるでカタツムリが這うようにC2に進む。結局C2につくと、時間は午後11時30分。今日の活動は13時間、昨日は17時間、二日間の行程を合わせると30時間も僕達は、この高所で行動していたのだ。この間、父、僕、倉岡さん、平出君、そしてサポートしてくれたシェルパ達、一人でも諦めていたら、きっとそこで終わっていただろう。今回、降りてこられたのは、全員が諦めずに、アイデアを出し合い、何よりも父の底力ともいえる生命力があってこそだった。

まだこれからBC、さらに日本に戻るという作業があるが、それは明日また知恵を絞って考えよう。今日はもうへとへとだ。


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