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ESG・SDGs UPDATE vol.10:「ビジネスと人権」の基礎⑤-苦情処理メカニズムとは?


1. はじめに-苦情処理メカニズムとは?

2022年9月13日の「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(以下「人権ガイドライン」といいます。)の策定後1年以上が経過し、各企業において、「ビジネスと人権」に関するさまざまな取り組みを行っていることと思います。

「人権方針」を策定したり、人権デュー・ディリジェンス(以下「人権DD」といいます。)を実施したりするなどして、人権尊重の取り組みを進めているのではないでしょうか?(人権ガイドラインや、これを受けて2023年4月4日に経済産業省が策定・公表した「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」については、下記のnote記事をご参照ください)。

【参照リンク】
ESG・SDGs UPDATE Vol.7:「ビジネスと人権」の基礎③-「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」の公表-

ESG・SDGs UPDATE Vol.8:「ビジネスと人権」の基礎④-「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料」の公表-

人権尊重の取り組みとして、人権方針、人権DDと並んで人権ガイドラインで定められているのが「救済」(人権への負の影響を軽減・回復すること及びそのためのプロセス)です(人権ガイドライン2.1.3)。

企業は、「自社が人権への負の影響を引き起こし、又は、助長していることが明らかになった場合、救済を実施し、又は、救済の実施に協力すべき」とされており、救済の具体例として、謝罪、原状回復、金銭的又は非金銭的な補償、再発防止プロセスの構築・表明、サプライヤー等に対する再発防止の要請が挙げられています(人権ガイドライン5)。

その上で、人権ガイドラインは、「苦情への対処が早期になされ、直接救済を可能とするために、企業は、企業とそのステークホルダーに関わる苦情や紛争に取り組む一連の仕組みである苦情処理メカニズムを確立するか、又は、業界団体等が設置する苦情処理メカニズムに参加することを通じて、人権尊重責任の重要な要素である救済を可能にするべき」と述べており、企業としては、「苦情処理メカニズム」の確立または参加をすることが必要となります(人権ガイドライン5.1)。

「苦情処理メカニズム」という表現のうち、「苦情処理」という語感はクレーム対応のような印象を与えるかもしれませんが、その意味するところはクレーム対応とは全く異なるものです。また、「メカニズム」といった言葉は企業法務の世界ではあまり登場せず、どのようなものかイメージが湧きにくいかもしれません。

今回は、その「苦情処理メカニズム」を自社で構築・確立することを想定し、その基本事項について解説します。

2. 苦情処理メカニズムの意義

「苦情処理メカニズム」は、人権ガイドライン5.1では「企業とそのステークホルダーに関わる苦情や紛争に取り組む一連の仕組み」と説明されていますが、「苦情」の意味するところは必ずしも明確ではありません。

そもそも、「苦情処理メカニズム」という言葉は、Guiding Principles on Business and Human Rights: Implementing the United Nations “Protect, Respect and Remedy” Framework(ビジネスと人権に関する指導原則:国連「保護、尊重及び救済」枠組みの実施(通称:国連指導原則))で登場する「grievance mechanisms」に対応するものです。grievanceは苦情、抗議といった意味を含む表現であるため、苦情処理メカニズムという和訳となっていると考えられます。

これを踏まえ、「苦情処理メカニズム」における「苦情」は、救済を必要とするような人権への負の影響への問題提起といった意味合いと捉えると分かりやすいと思います。

3. 苦情処理メカニズムの要件

人権ガイドラインでは、苦情処理メカニズムは、「利用者が苦情処理メカニズムの存在を認識し、信頼し、利用することができる場合に初めてその目的を達成することができるものである」ことを理由として、苦情処理メカニズムは以下の8要件を満たすべきと述べています(人権ガイドライン5.1)。

利用可能性」の説明欄に「苦情処理メカニズムの利用が見込まれる全てのステークホルダーに周知され」という記載がありますが、苦情処理メカニズムの利用者の範囲に関しては、「苦情処理メカニズムの利用者は、自社の従業員等に限られるべきではなく、自社によって負の影響を受け得るステークホルダーを対象とすべきである。したがって、取引先の従業員・労働組合や、事業活動によって影響を受ける地域住民等も含まれる。なお、国連指導原則に則り、国際的に認められた人権に係る負の影響について申立を受けることができる制度とすべきである。」と説明されており(人権ガイドラインQ&A No.14)、これを忠実に遵守しようとすると、「自社によって負の影響を受け得るステークホルダー」全てが利用できるメカニズムの構築が必要となります。

具体的には、どの範囲の者を利用可能な者として設定し、その方々にどのように周知するのか、日本語以外の言語を使用する方々に対してどのように利用してもらうか、報復を予防する仕組みをどのように整備するか、といった点を検討し、苦情処理メカニズムに落とし込むことが必要となります。

また、「予想可能性」(苦情処理の段階に応じて目安となる所要時間が明示された、明確で周知された手続が提供され、手続の種類や結果、履行の監視方法が明確であること)を充足するために、段階ごとの所要時間の目安を含む手続の周知や履行の監視方法の明確化が求められており、この点も手続の作り込みや周知内容の吟味が必要となります。

4. 苦情処理メカニズムの具体例

苦情処理メカニズムを構築するに際しては、他社の好事例を参照することは有用です。

この点に関し、外務省が2021年9月に公表した「『ビジネスと人権』に関する取組事例集〜『ビジネスと人権の指導原則』に基づく取組の浸透・定着に向けて〜」(以下「取組事例集」といいます。)8-9頁では、①社内ホットライン(コンプライアンス通報・相談の設置)、②社外ホットラインや取引先向けホットラインの設置、③第三者による苦情受付窓口の整備、④多言語対応窓口といった取り組みが紹介されています。また、企業における具体的な取り組み事例も紹介しています。

例えば、味の素株式会社の苦情処理メカニズムに関し、「第三者による苦情受付窓口の整備」を実務上のポイントとして明記した上で、「サプライチェーンの苦情処理窓口を整備する上では、労働者の生活相談にも対応できるような、労働者に寄り添える仕組みの構築が必要と考える。また、情報を第三者窓口に集約し、蓄積した知見や情報を企業間で共有して活用することで、企業としても効率的な人権デュー・ディリジェンスが可能となる。そのため、NGO等の第三者が一次窓口として苦情を受け付ける共通プラットフォーム「ワーカーズボイス」を社内に導入。社外では、外国人労働者の受入れに関する多様なステークホルダーが参画するプラットフォームの設立にも関与。」という紹介がなされています(取組事例集13頁)。

また、花王株式会社の苦情処理メカニズムに関し、「社外意見の吸い上げ」を実務上のポイントとして明記した上で、「コンプライアンス通報・相談窓口をウェブサイト上に公表することで、同社社員や取引先のみならず、一般消費者からの通報も受付。ウェブサイト上に通報・相談用の書式も設ける等、社外からの意見の吸い上げに努めているが、社外からの相談は少ないため、窓口の活性化も課題であると考えている。その他、コミュニケーションセンター(花王消費者相談室)の設置や商品への問い合わせ先の掲載、SNS上での能動的な情報収集等、様々な手段で社外からの意見を広く収集。収集された意見に基づいて広告宣伝における表現の見直しを行う等、事業活動の改善にも積極的に役立てている。」という紹介がなされています(取組事例集17頁)。

さらに、株式会社日立製作所の苦情処理メカニズムに関し、「外部システムを活用した多言語対応」を実務上のポイントとして明記した上で、「従来は事業所にハラスメント等の相談窓口を設置していたが、海外グループ会社からも声を吸い上げ、かつ、多言語で相談を受けられるように窓口を一本化すべきと考え、2020年にグループの窓口を「日立グローバルコンプライアンスホットライン」に統一。多言語対応は社内リソースだけでは難しい側面もあり、また、社外窓口の方が人事上の不利益取扱いの不安等もなく相談しやすいといった理由から、従業員が利用しやすいシステム作りのために、外部システムを活用。今後は、同一事業所からの相談が多い場合には改善対応を検討する等、窓口を一本化したことで、情報を一か所に集約できるメリットを活かして、効果的な是正措置の実施に繋げていきたい。」という紹介がなされています(取組事例集37頁)。

これらの取組事例は、利用可能者の設定や「利用可能性」の要件に関し、どのように対応すればよいかを考える上で、非常に参考になります。

【参照リンク】
味の素株式会社ウェブサイト「人権」

花王株式会社ウェブサイト「コンプライアンス通報・相談窓口」

株式会社日立製作所ウェブサイト「日立グローバルコンプライアンスホットライン」

5. おわりに

今後、人権ガイドラインへの対応を含む「ビジネスと人権」への取り組みの重要性は一層高まっていくことが想定されます。また、ひとたび自社または自社の取引先において人権侵害が発覚した場合に、自社として何らの取り組みも行っていなかった、あるいは取り組みが不十分であった場合には、その点を捉えてステークホルダーから指摘や批判を受け、レピュテーションダメージが発生するリスクが懸念されます。

人権方針、人権DDに続く制度面の取り組みである「苦情処理メカニズム」の構築は、当該リスクを低減・回避するために必要不可欠と考えられるところ、人権ガイドラインの要件を満たしつつ、自社できちんとワークする仕組みづくりを行うことが重要です。

本稿がそのための一助になりましたら幸いです。


Author

弁護士 坂尾 佑平(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:2012年弁護士登録(第一東京弁護士会所属)、ニューヨーク州弁護士、公認不正検査士(CFE)。
長島・大野・常松法律事務所、Wilmer Cutler Pickering Hale and Dorr 法律事務所(ワシントンD.C.)、三井物産株式会社法務部出向を経て、2021年3月から現職。
危機管理・コンプライアンス、コーポレートガバナンス、倒産・事業再生、紛争解決等を中心に、広く企業法務全般を取り扱う。
ESG・SDGsプラクティスグループ創設メンバーとして「今企業に求められるESGのグランドデザイン-取組・開示・表示の勘所-」(三浦法律事務所、ウエストロー・ジャパン、トムソン・ロイター(共催))セミナーに登壇するなど、ESG/SDGs分野にも注力している。


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