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誕生、そして旅立ち|三浦自伝①

三浦とは何者なのか?
三浦自身もそれは分からない。きっと一生答えの出ない命題であろう。なんらかの間違いでこのnoteをご覧になっているあなたは、おそらく三浦の数倍強く「あんた誰や?」とお思いのことだろう。

しかしここで出会ったのも何かのご縁。少しばかり三浦の話を聞いていってはいかがだろうか。まあ立ち話もなんですから、コーヒーでも飲みながら。

興味はないかもしれないが、有名人でも何でもない赤の他人の自伝を読む機会もなかなかないというもの。この貴重なチャンスを逃さず、お付き合いいただければ幸いである。

というわけで、「三浦編集長」誌面に連載してきた『三浦自伝』をnoteにて公開してまいる。

(写真:可愛がってくれたインドネシア人の大学教授と)

三浦類(みうら・るい)は昭和61年(1986年)7月4日18時23分、愛知県名古屋市に生まれた。現在27歳(※発行当時)、血液型はA型の男性である。

人類愛に溢れる人になるようにと「類」と名付けられ、岐阜県出身のフリーアナウンサーの母、江戸出身のレコード会社勤務の父のもとで音楽をたくさん聴きながら姉と共にすくすくと育つ。

しかしアナウンサーを辞め開発学を学ぶため米国の大学院へと進学する母について2歳の時突然渡米。ミシガン州アナーバー、カリフォルニア州モントレー、バーモント州ブラトルボロなどを放浪する。

当時オルタナティブ教育のブームで、バーモントでは木製玩具を使った感覚教育法などで知られるモンテッソーリ教育の幼稚園に通う。

その頃の三浦は信じられないくらいとんでもなくかわいかったので、どこへ行っても可愛がってもらえた。

幼稚園の先生が三浦にだけ内緒でおもちゃをプレゼントしてくれたり、母の通っていた大学院の食堂では三浦だけ調理場に入れてもらえておやつをもらえたり、とにかく誰にも愛される子どもだった。数少ない人生のハイライトの一つである。

しかしそんな黄金時代を謳歌する一方、頭を強打する悲劇に幾度も見舞われる。

モントレーでは母親が目を離した隙に道路に飛び出し、固~いボルボにはねられた(10mほど跳ね飛ばされるも奇跡的にかすり傷だけで済んだ)。他にも長い階段を頭から転げ落ちたり、三浦の手を引いて走っていた母がなぜか鉄棒をくぐり、そのまま三浦の頭を鉄棒に強打してしまったりなど、いくつもの凄惨な事故が起きている。

もし三浦が公共の場で急に踊りだしたり真剣な話をしているのに白目を剥いて変顔をし始めたりしたとしても、後遺症だと思って生あたたかく見守ってほしい。

そのように早くもいい感じに頭が壊れはじめた4歳の頃、私は母より一足先に日本へと帰国することとなる。

(つづく)

※三浦編集長 Vol.1(2014年5月発行)より転載