見出し画像

地域の宝を残す「つくる暮らし」22年務めた役場を辞め、伝承野菜と藁細工を引き継ぐ百姓になった理由<工房ストロー・髙橋伸一>|三浦編集長in山形

藁細工と聞いて何を思い浮かべるだろうか。

食品を持ち運ぶ機能的なもの、飾りになるもの、わらじ、注連縄など、あらゆる藁でできたものが頭に浮かぶことと思う。

しかし、モノは想起できても、現代の暮らしを送る中でそのモノが百姓の暮らしと結びつくことはなかなかない。

ほんの数十年前までは農家の農閑期の手仕事は冬の間の貴重な稼ぎになり、生きるための営みとしてあらゆる形で発展し、継承されていた。しかし、人の暮らしも変化し、今ではそういった文化はほとんど廃れてしまった。

画像1

画像2

画像3

「百姓」と呼ばれる人に特別な憧れを抱いている。

詳しくはここでは書かないが、それは三浦と同じ会社で長年働き先日78歳で亡くなった楫谷さんという百姓に出会ったことがきっかけだった。

よく農家のことを百姓と呼ぶが、農家というのは単に作物を育てて収穫するだけでなく、それにまつわる道具作りから畑地の造成、小屋づくりなど、幅広い仕事をなんでもこなさなければならかった。百の仕事をこなす人、それが百姓である。

画像4

人が長きにわたって厳しい自然や社会の流れと向き合って蓄積してきた、生きるための知恵と文化。百姓はそれを引き継ぎ、生きていくためにあらゆる形で生産活動をしてきた。その生き方の自然さや力強さに、三浦は大きな魅力を感じるのである。

今年7月、そんな文化を継承する百姓の生き方を選んだ方に取材する機会をいただいた。山形の真室川町(まむろがわまち)で地域の伝承作物と藁細工をつくる「工房ストロー」を主宰する髙橋伸一さんである。

画像5

髙橋伸一(たかはし・しんいち)「手仕事と食べ物 工房ストロー」主宰。山形県最上郡真室川町の農家に生まれ、高校卒業後は地元の役場に勤める。公務員として地域ブランド推進を手掛けるうちに伝承作物や藁細工に価値を見出し、自らそれらの伝統を引き継ぐために公務員を辞め、実家に戻り工房ストローを立ち上げる。

これまで何度か群言堂山形店で藁細工や手箒づくりのワークショップをしてくださっていた髙橋さん。この度お正月の注連縄(しめなわ)の商品を作っていただくことになったのがきっかけで訪問する運びとなった。

多忙を極める農家の日々

「今日は1時間きっちりでお願いします」

取材の始め、念を押すように髙橋さんは言った。髙橋さんは伝承野菜を始めとした200種類もの作物を作っている。夏の農家は毎日収穫と出荷の繰り返しで息をつく暇もない。この日も実は、貴重なお昼休みの時間をいただいての取材だった。

朝2時に起きて家の中の作業を5時頃までやり、外に出たらずっと休みなし。ようやく空いたわずか1時間のお昼休みである。この時点でかなり申し訳ない気持ちになったが、その分、より気を引き締めてお話を伺った。

画像6

公務員から専業農家へ

「私は代々専業農家でやってきた農家の5代目ですが、地元の高校を卒業してすぐには農家ではなくて、真室川町役場というところに就職して、それから22年間勤めて40歳を期に就農しました」

公務員時代、髙橋さんは地域ブランドに関わる仕事をしていたという。「ないものねだりからあるもの探しへ」という民俗研究家・結城登美雄さんの提唱する”地元学”の考え方に学びながら、地元にあるものを発掘してそれを磨き上げ、発信することに取り組んだ。

そうして手仕事や伝承野菜、在来作物のようないろいろな財産が見つかったが、それらはどれも絶滅寸前で風前の灯という状態だった。

画像7

画像8

(写真:髙橋さんが栽培する最上地域の伝承野菜「勘次郎胡瓜」)

「仕事柄、引き継ぐ方がいないかなとコーディネートするのですが、なかなか見つからず悶々としていました。だんだん、自分も興味があったので使命感のようなものを感じてしまって、これも何かの巡りあわせかな、と自分でやることを考えるようになりました」

実家が代々専業農家で在来作物を育てていたという環境もあり、また本来この地域では雪で閉ざされる冬の間、裏作工藝という形で手仕事をして副収入を得ていた経緯もあったので、農業も手仕事も引き継いでいけそうだと感じた。

家族に相談し40歳の節目に思い切って退職、就農して今年で3年目になる。

画像9

消えゆく技術を受け継ぐ難しさ

もともとものづくりには興味があり、手先も器用だったという髙橋さんは覚えも早く、地元のおじいちゃんからは「おめえは免許皆伝だ、後継ぎだ」などと言われながら楽しく藁細工を学んでいるという。

しかし教えてくれる方々はもう80代後半以上がほとんどで、数えるほどしかいないというギリギリの状態。今、その方々が元気なうちに習っておかなければいけないという焦りは常にある。

「モノだけが残っていても作り方というのは実際に習わないと分からなくて、いいのがあるのに作った人はもういねえわって言われたらもうガックリきます。それを分解してしまったらもう戻せる自信もありません。」

画像10

技術を習う時間を作り出すのも簡単ではない。

「今はもう農家になって、夏は毎日農作業があります。そこにネットショップの注文対応もあれば卸しやワークショップ、取材などもあります。そうこうしているうちに、どんどん時間が制約を受けていきます」

100の技術があるとすれば髙橋さんはまだ20~30くらいしか習得できていないという。本来は残りの70を習得することに力を注ぐべきだと思いつつ、それをすれば農の仕事が回らなくなってしまう。どう折り合いをつけていけばいいか、常にジレンマの中にいる。

「藁細工を始めて最初の年に藁の犬とカエルを250ずつ、鍋敷きとボトルケースを50個ずつという注文があって、頑張ろうと思って受けたんですが・・・もう手の皮に血がにじむようにまでなってしまい、もうこういう仕事はやめようと思いました。新しいことを習う以前に内職みたいな形で消耗してしまうのは本末転倒だと。でもそう決めていたのに、今回群言堂さんの仕事、結構内職みたいなことを頼まれてしまいました・・・

取材の時間をいただくだけでなく、仕事の発注までしてしまっている事実に三浦の申し訳なさはピークに達する。つ、罪深い・・・。同時に、記事を書くからにはこの事情を書かないわけにはいかないという使命感を持った。

画像11

(写真:何種類もの稲を植えモザイク状になった髙橋さんの田んぼ)

すべての藁は藁細工に使える

すべての藁は藁細工に使える。ただ、何を作るかによって適した部位や種類がある。やっているうちにだんだんと適材適所が分かってくるのだという。

現在髙橋さんが育てている藁は12種類。福島で注連縄飾りを作るおじいさんから譲ってもらった「実取らず(穂が出ずに長く育つ)、また同じ山形県内の村山市で浅草寺に奉納するために作る大わらじの材料となる「合川1号(長くて太い)など。

「ある時、県外の産直で見つけたドライフラワーに入っていた稲をむしって種類ごとに蒔いて、品種も分からずに育てているのもあります」

それらはすべて手植え、手刈りである。収穫は8月下旬から9月下旬までのおよそ一ヶ月の間にするが、青いうちに刈ったり実がなってから刈ったり、作るものによって刈り方も変えている。そしてそれらの種も全部自分で稲穂をしごいて採って保管し、春が来たらまた手で撒くのだ。途方もない作業である。

画像12

(写真:乾燥用の小屋で干されるホウキキビ)

伝統のその先へ

「藁一本折るのも結構手間で、叩いてつぶすと割れてしまうので湿らせて丁寧に平らにしていくんですよ。それもただ水に浸ければいいわけではなくて、熱湯に10秒くらい浸けてすぐ上げて、余分な水分を蒸発させながら残りをじんわり浸み込ませて、全体的に同じ水分量になった時につぶして伸して折っていく。短い時間でしないと乾いてしまうので、ちょっとずつしかできない作業です」

手法一つをとっても、長い蓄積の上に成り立った方法論がある。それらがものすごいスピードで失われつつある今、受け継いでいく大変さは想像に難くない。どれほどの文化が、知らぬうちに身の周りで消えていっているのだろう。

画像13

(写真:藁を折って編んだ藁のしおり)

「独自に編み方を考えていろいろな実験もするんです。失敗作というか、世に出ていないやつもたくさんあります。ある展示会では麻の作家さん、藍染の作家さんとコラボレーションして、麻の繊維を藍で染めたものを藁に一緒に巻き込んで作品を作ったこともありました」

ただ技術を受け継ぐだけでなく、新たな挑戦もしなければ伝統は残っていかない。過去から現在、そして未来への継承。髙橋さんはきっと、伝統のその先を見据えているのだろう。

画像14

取材の最後に、採れたての勘次郎胡瓜を湧水で洗って食べさせていただいた。湧水は真夏でも手をずっと入れていられないほど冷たい。ちょうど田んぼや畑を回って喉も乾き始めた頃、冷えた胡瓜は何よりのご馳走である。

通常の胡瓜の倍ほども太い勘次郎胡瓜は程よい柔らかさで、一口かじるといい香りと豊富な水分が口いっぱいに広がる。

「瑞々しいでしょう?甘くはないんですけど、メロンみたいで華やかないい香りなんですよ」

画像15

画像16

この顔である。初めて食べる、この土地だけの味。おいしかった。

工房ストローで髙橋さんが取り組んでいる伝承野菜や藁の手仕事は、この地に根をはって生きてきた人々の暮らしの証でもある。たとえ暮らし方の変化や時代の流れの中で灯が消えそうであっても、その価値はなんら変わらない。

髙橋さんは自分の暮らし、働き方を変えることでその大切な価値を守っていく選択をした。数多の困難はあるにしても、選べばできるのだ、というシンプルなことに気付かされる。現代の百姓から学ぶことは多い。

話を聞き進めるごとに、百姓への憧れが一層強まる取材であった。「自分は何を守っていけるのだろう?」という問いを胸に抱えながら、約束の1時間を終えて自宅へと駆け戻る髙橋さんの背中を見送った。

<おわり>