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アメリカ横断鉄道ひとり旅(4)~シエラネバダ山脈越え

列車が頂上へ近づくにつれ、シエラネバダ山脈は雪景色へと変わってゆく。個室からでも外の風景は見えるが、明るく開放的なラウンジ・カーから眺めるのも楽しい。

タホ湖から流れ出るトラッキー川の流域に列車がさしかかると、列車の音声ガイドが聞こえてきた。 " .......the story of Donner Party is ......only 48 survived ..............." 

19世紀半ばにドナー隊という開拓者たち一団が初秋の峠越えで思わぬ激しい吹雪に見舞われ、凍るような気象条件のもと前人未踏のこの地で避難所や物資・食料もないまま、やがて残酷・悲惨な結末を迎えた。生き残ったのが87 名中わずか 48 名だったという、トラッキーの町の有名な歴史事件である。

↓ 下はドナー記念州立公園(と、私の古い相棒だった iPhone が写真に書いてくれてる~涙ぐましいー!)ドナー隊の宿営地跡を保存し、あの時代に命を落とした多くの開拓者たちに捧げられた(Wiki )。

この横断鉄道の建設には、低賃金でかき集められた数万人の中国人移民たちが従事したということも、旅行前は全く知らなかった。彼らも冬のシエラネバダ山脈に降る雪に絶え、命がけで働いたことだろう。カリフォルニアからネバダへ抜ける州境の危険なトンネル爆破工事などで、多くの人々が亡くなったと聞いた。

偉大な建造物の下にはたいてい無数の屍がある。。。。

こちらは昼の食堂車で相席になったご夫婦。奥さんはフィリピン生まれだそう。テーブル中央の籠に山盛りになった調味料や葉っぱを並べただけのようなサラダを見れば、列車の食事内容やサービスは、おおよそ推測がつくでしょう(笑)

To be continued.








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