映画「メットガラ ドレスをまとった美術館」@菊川Stranger
映画を観終わった後、帰宅してすぐ記事を書きたくて仕方ない!!と思ったのは、もしかして初めてかもしれない。
音楽ライター時代、観てきたライブのレポートをその日に編集部で原稿を書いて納品するってこともあったけど、正直、苦痛だった。まあ、仕事だったからね。でも、今は違う。
見てきた映画の感想をきちんと残したい!伝えたい!って気持ちで、夕飯も食べずにPC開いてこれを書いてる。それだけ私にとって感動的だった。
まっさらな気持ちにぶっ刺さった事実
今日は通院日だった。
旦那が超絶激務期間で「明日は今日より遅くなりそうだから夕飯いらない」って言われてたから、病院の後、かねてから行きたかった映画館に行けるなーという軽い気持ちでふらっと向かった。
菊川(東京都墨田区)にあるStrangerというカフェを併設したミニシアター
今年1月に観たインド映画「RRR」に感動して、もう1度観たいと思って調べた時、Strangerの存在を知った。自宅から自転車で行ける、頑張れば歩いて行ける距離。そんな近いところに、こんな素敵な映画館があったなんて!しかも、ミニシアターならではのマニアックな映画、それも私が好きそうな作品ばかり上映してる!行きたい!それが最初。でも、なかなか足を延ばせなくて、今日に至る。
この時、ちょうどデヴィッド・ボウイの映画が上映してるではないか!
ただ、「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム」の上映時間が19:20~21:43。いやいや、いくら旦那の帰りが遅いとはいえ、旦那より遅くなりそうだ…ってことで断念。
結局、時間的に「メットガラ ドレスをまとった美術館」を観たというわけ。
つまり、期待も何もなくまっさらな気持ちでスクリーンを前にした。
49席のミニシアター。併設してるカフェは15席。規模は小さいけど、なんとも居心地のいい空間。カフェだけの利用もしたいくらい。オリジナルグッズも販売していて、サコッシュ欲しいなあなんて思ってたら、ディオールのヴィンテージ古着も売ってた!
これまた近所の東京都現代美術館で「クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ」展が開催中で、通りかかった時に長蛇の列を見かけた。近いし、軽い気持ちで、私も行こうかなーなんて思ったけど、チケット取れる気がしなくて断念。Strangerでは、ディオール展と連携してファッション関係の映画を特集してるんだね。
カウンターでカフェラテとチケットを購入して着席。このカフェラテがまた美味しくて!
ふんふんと軽い気持ちで見始めたものの、どんどん引き込まれた。
ノンフィクションのドキュメンタリー映画って観たことあったかな?8歳の時(48年前!)親と一緒に観た映画が「キタキツネ物語」だったけど、あれ以来?
筋書きのないリアルなドラマストーリーにこれほど引き込まれるとは!主題がファッションとアートだったせいか、いや、そんなことはないと思うけど、とにかく映画としてもとても優れた作品だった。
人物、ファッション、アート超一流の豪華さ
アレキサンダー・マックイーン、カール・ラガーフェルド、ジョン・ガリアーノ、ジャン=ポール・ゴルチエといったモード系ハイブランドの天才デザイナー、名前だけならヴィヴィアン・ウエストウッドもあったし、ジョージ・クルーニー、アン・ハサウェイといった一流ハリウッド俳優、リアーナ、ジャスティン・ビーバーといった世界的シンガーなどなどセレブリティー&ラグジュアリーな顔ぶれ!
顔だけならアンディ・ウォーホルもいたし、見てるだけでわあ!わあ!言ってしまいそうだった(ミーハーか笑)
ハイブランドなんて知識だけで欲しいと思わないというか、買えない。うん、買えるわけないんだよ。専業主婦だし。
ただ、ヴィジュアル系という言葉が生まれた頃からその手のバンドを好むいにしえのバンギャ(現役だけど)としては、ゴルチエとヴィヴィアンは持ってた。というか、38年間ずーっとヴィジュアル系を聴いてきて、その手の雑誌にも携わってきた私が、誤解を恐れずに言うならば、ヴィジュアル系はファッショナブルな音楽であり、アートな音楽だと思うんだな!
自分の信念を貫き、感謝と感動を忘れない心
美術館キュレーター アンドリュー・ボルトン
主人公でもあるメトロポリタン美術館のキュレーターであるアンドリュー・ボルトンの言葉で「論争は恐くない」というのがあった。
革新的なことをすると、世論とか保守的な意見と衝突したり、論争が起こることがあるけど、ボルトンはそれを恐れないと言いのけた。
自分の感性を信じて、今までにない革新的なことや挑戦しようとする姿勢にとても感銘を受けた。そうこなくっちゃ。そうなんだよ。そういう衝突や論争を避けようとすると小さくまとまってしまうし、相手を凌駕するくらいの確固たる信念や情熱、その筋を通してこそ新しい扉は開ける。大変だけど。
ヴォーグ米国版編集長 アナ・ウィンター
だからって逃げずに真っ向から立ち向かうボルトンもそうだけど、もうひとり、ファッション雑誌「ヴォーグ」アメリカ版編集長のアナ・ウィンターもそう。
御年73歳!映画は2016年なので、66歳か。 めっちゃカッコよかった!
他のスタッフが「アナは伝説になる」って口々に言ってたけど、納得してしまうほどの強さと聡明さを持ってた。それだけの下地があるんだろうなあ。ただ歳を重ねただけじゃない。どれだけの場数を踏んできたのかわからないけど、ただこなしただけじゃない実績と説得力に裏打ちされた迫力!!
アジア映画の巨匠 ウォン・カーウァイ
2015年メットガラのテーマ「鏡の中の中国」
大胆なテーマを持ってきたね、ボルトン(笑)
案の定、政治的および時代的などデリケートな問題となって佳境に入るわけだけど、アジアを代表する世界的映画監督、ウォン・カーウァイがこのメットガラの芸術監督に就任して、鋭い指摘やアドバイスを静かに発する。
どれかひとつなんて選べないほど、発言が!
言葉が!どれも素晴らしくて!
いやあ、久々に「恋する惑星」とか「天使の涙」とか観たくなっちゃったなあ。えっ、この映画の監督もしたの!?どうりで!!
映像美、音楽、演出がぞくぞくするような仕上がりで、映画自体がひとつのアートとして昇華してるといっても過言ではないくらいに感じたけど、そっかー、ウォン・カーウァイが手掛けたのかー。納得。
世界的歌姫&世界的デザイナー
この時のメットガラでアジア人デザイナー、グオ・ペイのド派手なドレスを着用したことで、今もなお語り継がれているリアーナ。
ファッション界からも引っ張りだこなリアーナは、もはや音楽のみならず、女優、モデルと時代のファッションアイコンにふさわしい存在だけど、この映画では、その存在や地位に甘んじることなく、きちんと感謝を伝えたいという気持ちが伝わった。そういうの大事だよねー。
個人的にこの映画のMVPを差し上げたい人は、ジョン・ガリアーノ。
ジバンシィ、クリスチャン・ディオール、マルタン・マルジェラを渡ってきた超一流のファッションデザイナー。私でも知ってるくらいの。
なのに!なんであんなに無邪気なの?なんであんなに素直に感動できるの?なのに含蓄のある鋭い発言もするし、ユニークで独創的な発想だし、やっぱり天才って違う。アナがカッコいい!って思ったのと同じくらい、ジョン・ガリアーノ可愛い!って思った(笑)失礼申し上げちゃったわ…
一流に触れることで洗われる自分の感性
映画を観終わってすぐStrangerスタッフさんに開口一番発した言葉とは、
「この映画!DVDになってますか?なりますか?」
だってさー、何回も観たい。観返したい。
映像美、リアルなドラマもまた観たいけど、何より作中で語られる言葉の数々が素晴らしかったから、心折れた時とかに観たい!って強く思ったんだよね。そしたら、スタッフさんが調べて下さって、AmazonでDVD売ってた(笑)なんならお手頃価格だった(笑)即決即買!
全国ロードショーとかの映画だと本編始まる前にアレ出るよね。映画泥棒。ミニシアターとか単館上映だと出ない(当たり前か)
その代わり、スタッフからの挨拶と注意が音声で流れるんだけど、「上映後、是非カフェもご利用ください。一緒に映画の感想などを語り合いましょう」的なことを言って下さるのだよ。
だからさ!語ったよね!この映画の感想も語ったし、本来観たかった「デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・ドリーム」についても語ったし、30日から始まる80~90年代イギリス映画特集についても語った。
やば!楽し!ってなったよね。私、こんなに映画好きだっけ?ってなったし、こんなに映画語れるんだ?ひゃはー!ってなったよね。
中学の頃、美術の先生と美術の話したくて自宅まで押しかけたり(失礼ね)してたせいか、中3のお正月に美術の先生から年賀状が届いた。
そこに書いてあった言葉は、今でも心に残ってる。
「心の洗濯 じゃぶじゃぶ」
中3の私は今以上におつむが弱かったので、意味がわからなかった。今ならわかるよ。心が洗われるようなこと、それこそいっぱいある。
美しい景色を見たり、面白い作品に触れたり、素敵な人との出会いとか、美味しい、いい匂い、綺麗な音色、いや、ロックだったら轟音でもいいわけで、可愛いものも、変なものも、とにかく心が動かされること。
感動っていうのは、文字通り「感じて動く」。
それは何かっていうと、心じゃないかなって。
感動する≒心動かされる。心動かされると、それまでこびりついてた気持ちの垢みたいな余計なものが取っ払われるんだよね。なんかスッキリする。
楽しい+嬉しい+清々しいは、心の洗濯。
私の場合、それは時として「一流」のものだったりする。一流は一流と呼ばれるだけの理由があると思う。
ブランド物を買えなくても買わなくても、観るだけならタダ!ファッションを観るだけで着用しないってことは、アートとしての観賞的側面もあるってことじゃない?
前半で「ファッションをアートとして捉えることは、いまだに微妙である」っていう説明があるけど、観るだけでも価値あるファッションは、やっぱりアートなんじゃないかな。
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