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生まれ変わったら魚になりたい

子供の頃に、海の絵ばかり描いていた時期があった。砂浜と水平線、ヤシの木と遠くに浮かぶヨット。小学校低学年か中学年だったと思う。構図はいつも一緒、同じ絵を繰り返し描いていた。
地元の海は波が荒く遊泳禁止で、ヤシの木もヨットもない。実家からは車で20分、子供にとってそれほど身近でもない。旅行でヤシの木があるような海に連れていってもらったこともなく、絵を描きはじめたきっかけが思い出せない。


小学校高学年になると、自殺願望が芽生えた。最初に謝っておくと、親に虐待されていたわけでも、いじめられていたわけでもなく、世間知らずの子供の浅はかな願望だった。学校では何気なく口にした一言でクラスで浮いてしまったり、ちょっとしたことで傷つけたり傷ついたり、家に帰れば母親や姉に悪いところばかり指摘されて、身の置き場がなかった。自分の居場所はここじゃない、自由になりたいと、心の中でもがいていた。小学生には居場所を変える経済力も知恵もなく、死ねば自由になれると安易に考えていた。

度胸がなくて慎重な性格の私は、自殺を実行に移すことはなく中学生になった。少し友達ができて、行動範囲も広がった。休みの日には友達と自転車で地元の海に行って、砂浜で遊んだ。でも、学年が上がってクラスが変わると、友達は離れる。自殺願望は薄れたけど、疎外感は消えない。自由を得るために、実家から車で2時間の寮のある学校へ進学した。


在学中は、人生で最良の時だった。優しい人たちに囲まれて、生まれて初めて孤独を忘れた。でも、卒業と共に居場所は失われ、同級生はバラバラになって会う機会が減っていく。そんな時、スキューバダイビングと出会って、海と私の関係が一気に縮まった。
友達と二人、初めての海外旅行。初めてのダイビング。海の中は、想像を超える居心地の良さだった。陸に上がるとインストラクターの人が、よかったらもう一本、別の場所に連れていくけど、どう?と言う。波酔いした友達は、休んでいるから一人で行ってきて、と言う。砂地を這うようだった1本目とは違う、深い海。自由そのものの浮遊感。振り返るウミガメ。生まれて来て良かった。このために今日まで生きてきたんだ。大げさではなく、そう思った。


帰国してすぐライセンスを取り、2週間に1回のペースで潜りに行く。冷静さを失くした私は、そのうち仕事を辞めてしまう。
ダイビングは金のかかる娯楽だ、と気がついたときには遅く、実家に帰るしかない事態になっていた。気持ちを切り替えるために、残っていた金で沖縄へ潜りに行く。そこで良くしてくれたインストラクターの人は、ダイビングが好きなら細く長く続ければいい、と言ってくれた。現地で知り合った40代の夫婦と、一緒に潜った。地に足をつけて、ちゃんと働こう。働いてお金を貯めて、ダイビングを続けよう。そう思った。


実家で暮らしながら仕事を見つけ、コツコツお金を貯めて潜りに行く。そんな生活を始めて数年、潜るのが楽しくなくなっていた。潜った後にタンクの空気残量を見ると、まだ潜っていられたのにと思った。少しでも長く、できればずっと、海の中にいたい。ひとつ間違えば事故や死に直結する、誰にも言えない、決して叶わない願いが胸にあった。
一緒に海に来た人達に嫌な思いをさせたくない、タンクの空気がなくなれば自分は死ぬのだから結局は海にいられなくなる、何よりも、好きなことで命を落としてはいけない、そう言い聞かせて浮上する。居たいと思う場所に、ずっといられない。そのことが苦しかった。


結婚してからも、細々と潜り続けた。子供ができて潜れない状況になって、こうやってみんなダイビングから離れていくのかなと思った。
子供は可愛くて、置き去りにして潜りに行こうなんて気にはならなかった。だけど、ときどき無性に、海の中に戻りたいと思った。インフルエンザにかかった時の発熱のように、想いが突然湧き上がってきて、胸を焦がす。潜った記憶の中を彷徨いながら、眠れない夜を過ごす。


二人目の子供が5才になった年に、突然、沖縄に家族旅行に行くチャンスが巡ってきた。夢見心地のまま、上の子供と体験ダイビングを申し込む。最後に潜ってから、10年が経っていた。
レンタルの機材に身を包み、恐る恐るボートの縁に座る。後ろ向きに海に入った瞬間、忘れていた感覚がぶわっと甦った。潜行しながら周りを見渡す。上を見れば水面がきらめき、白い砂の海底はどこまでも続いている。魚が数匹、周りを泳いでいる。吐いた泡がいくつも上っていく。ただいま。ただいま。ただいま。ここが私の帰る場所だと再確認する。海底に着く前に浮力を調整してみる。呼吸を意識する。初めての場所に驚いてバランスを失い、タンクの重さでしりもちをつきそうな子供の体を支える。水面に、夫と下の子供が浮いている。陸ではけっして満たされることのない何かが、あふれるほどに満たされていくのがわかる。水面と海底の間を、ゆっくりと浮遊する。何よりも幸せな瞬間だ。
ボートに戻るとインストラクターの人が、ブランクを感じさせませんね、バランスも取れて落ち着いていて、と言った。私は誇らしい気持ちになって、笑顔を返す。戻ってこれた。そのことで私は、濃い霧が晴れたような気持ちになっていた。


私は自分が現実逃避で、妄想癖で、どうしようもなくイカれているのを知っている。でもこの想いを手放すことは、できなかった。だからなるべく人とかかわらず、迷惑をかけないように、孤独を甘受して生きてきた。でも今、この多様性が叫ばれる時代、自分で自分を許すことくらいしてもいいのではないか、と思い始めている。
家族には、お母さんが死んだら骨は海に、と常々お願いしている。まだ幼い下の子には、ママは生まれ変わったら魚かクジラになりたい、と話している。 人生はどうなるかわからない。決して叶わない願いを抱き続けながら、私はこれからも生きていく。

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