見出し画像

そんなの払えるわけないでしょ

以前在籍していた会社の敏腕経理が放ったひとことの話。

僕は、新規出店で立ち上げメンバーを募集している会社を、とある求人誌の片隅で発見した。募集していた店舗の親会社はリゾートホテルを運営する会社であり、自前で温泉やゴルフ場まで構えるほどの優良企業だった。

某財団が運営するコンサートホール(2500人収容・その他300人収容の小ホール・15ほどの会議室)に併設されていたレストランが撤退したため、そのリゾートホテルの運営会社が居抜きでレストランを出店しようという話らしい。

僕はすぐさま応募して採用された。
新店舗立ち上げというのは何とも魅力的な話だったからだ。その当時の僕は、やる気満々の28歳である。

フタを開けてみると想像を絶する状況だった。立ち上げメンバーは、新規採用された僕と、ホテルから出向してきた営業課長32歳、系列店舗から移動してきたシェフ50歳の三人だけだった。

僕ら三人は本社に呼ばれた。そこで待ち構えていた白髪角刈りの怖そうな人(常務)から営業課長に封筒が手渡された。

「そこに50万円入ってる。居抜きだから道具も揃ってるし、これで食材買ってすぐ営業を始めろ…できるな。」

と突き放されてしまった。僅か5分ほどの出来事である。
突然のことに驚いている僕の横で、大卒で10年この会社に尽くしてきた営業課長は、立ち去っていく常務の後ろ姿を見つめたまま小声で教えてくれた。「社長の命令だよ…いつものことだよ…」


リゾートホテルは、父から経営を譲られた娘が社長として全てを仕切っていた。40歳くらいだろうか…林真理子さんソックリの顔立ちだった。役員は現場叩き上げで常務になった富岡(50代後半)を除いて全員が親戚という典型的な親族会社である。社長はいつも、

「富岡!お茶を持ってきなさい!」
「富岡!資料を今すぐ出して!」
「富岡!車を取ってきなさい!」
「富岡!早くこっちに来なさい」
「富岡!」「富岡!」

と、呼びつけては身の回りの世話をさせていた。
その度に常務は

「ハッ!」

と敬礼して社長の世話を焼いていた。その度重なるストレスからか、常務は僕らに対して常に鬼の形相で厳しい要求を怠らなかったんだ。

それからが大変だった。
なけなしの50万円で求人募集を出しバイトを雇い、残金で食材を最低限買ってその日の売り上げで次の日の食材を買う…という自転車操業で回すギョッとした状態でスタート。
それでも財団の助けもあったりして、なんとか2ヶ月目から黒字運営に転換することができた。
なんとか乗り切れたのは、契約した食品卸売会社(野菜以外の食材は、ほとんどそこから仕入れた)が当初から取引を売掛にしてくれたからだ。

最初はお店の信用がないから現金払いで開始して、その後売掛にするっていうのが取引の基本である。まぁ大きい企業なら最初から売掛になるけれど、1店舗しかない新規出店のレストランだとそうはいかない。親会社のホテルが有名なおかげで信用があったのだ。

さて、営業が安定してきた4か月目のある日…契約している卸売業者の人から一本の電話が入った。

「あの…お支払いまだでしょうか?もう2ヶ月振り込みが確認できていないのですが…」

「え?」

僕は「確認してみます」と電話を切って、すぐに本社の経理に電話をかけた。

「すみません山田さん…支払いが確認できないとのことですが…」

すると経理の山田さんは、

「そうかしら?ちょっと確認してこちらから電話しとくわね」

とのことだった。

その頃には日産から注文された入社式用の仕出し弁当(1000円×2200個)とか大きな仕事が舞い込んだりして、店舗は順調に運営されていた。ゆえに仕入れ額も相当である。

その翌月、売掛に転換した別の業者から次々と電話が掛かってきた…支払いが確認できないというのだ。どの会社からも電話の内容は「振り込みはまだですか?」である。
その度に僕は「申し訳ございません。経理に確認します」と対応して山田さんに連絡。山田さんは「そうかしら?まー何とかしておくから気にしないで」と、取り合ってくれない。
店舗としては黒字経営で営業は順調である。どこに文句をつけていいのやら途方に暮れる毎日が続いていった。

さらにその翌月、とうとう業を煮やしたコーヒーメーカーの人が店に乗り込んできて「金を払ってくれ!じゃないと取引を止める」と怒鳴られた。僕はその場を何とかとりなして山田さんに連絡を入れる。

「山田さんどうしたらいいんですか?お金払ってください!」

すると山田さんは

「当分払えないと言って頂戴…あ、やっぱいいわ、私が出るわ」

と言ったので、僕は受話器を業者の人に渡してそこから直接交渉に…。

すると、電話口の業者の人の顔が険しくなり、やがて真っ赤になり、そうして、

「馬鹿にするな!今までの分はもういいからお前との取引はこれまでだ!」

と、その場に電話を叩きつけて帰ってしまったのだ。

山田さんは何を言ったのだろう…
もう一度山田さんに電話すると、

「今まで取引した分のお金浮いちゃったね!得したね!」

と僕に言い放ったのだ。そして、

「取引業者なんてのはいくらでもあるんだから全然大丈夫。他と取引して頂戴」

と、あっさり電話を切られてしまった。

「こりゃダメだ」と判断した僕は、ほうぼうの会社に連絡をした。取りあえず取引額が少ない会社に対してお店の売り上げから現金で支払うと約束、渋々納得してもらい事なきを得た。ただ、最初から売掛にしている食品卸売会社の未払い分はケタ違いだった。すでに半年支払いが滞っていて、その未払い額はすでに800万円を超えていたのだった。

月末…ついに食品卸売会社から「経理の人と直接話がしたい」と連絡が入ってしまった。
どうにもできない僕は、常務に相談して直接対決の日を設けてもらった。決戦は3日後である。



その日、業者の社長さんは部下を2名連れて現れた。恰幅の良い社長さんはダブルのスーツをビシッとキメていた。
それに対してウチの会社は社長と常務、そして山田さんだ。山田さんは、へんてこなブラウスにひざ丈のスカートで参上した。初めて見たが、社長と山田さんはそっくりである。

相手の社長さんは開口一番

「早急に振り込みしてくれ。半年も支払いしないなんておかしいだろう?話はそこからだ!」

と語気を強めに言い放った。
それに対して常務は俯いていたけれど、社長は微動だにせずに相手社長を睨みつけていた。僕は「どうするんだろう…こんなに怒らせちゃって…」と思っていたら、横に座っていた山田さんが相手社長に向かってこう言ったのだ。

「そんなの払えるわけないでしよ!急に800万円も払えなんて馬鹿なこと言わないでよ!そんな急にお金が用意できるとでも思ってるの?ん?そんなに払ってもらいたかったら600万円に負けなさいよ!ん?できるの?できないの?払って欲しいんでしょ?どうなの!」

と捲し立てたのだ。

人生で初めて本当の逆ギレを見てしまった。狂ってるとしか言いようがない。
ところが相手の社長さんは圧倒されたのか

「わかった。600万円でいいから今週中に払ってくれ。現金がなきゃウチの会社が回らない」

と交渉が成立したのだ。
相手の社長さんが連れてきた部下と何やら話してるのを横目に、ウチの社長は

「冨岡、アレ出して頂戴」

と言うや否や、抱えていたバッグからサッと小切手とペンを渡す常務。
サラサラと600万円の小切手を完成させて、

「これでいいかしら?」

と一気に未払い騒動を解決させてしまったのだった。払えるんじゃん…と思ったのは言うまでもない。

食品卸売会社の人たちが帰ったあと、山田さんが

「社長、200万円浮きましたね」

と言い、社長も

「まあ800我慢できれば合格か…使ってやってもいいね」

と上機嫌である。

そう、これは計画的な未払いだったのだ。''ツケ''がどれだけ出来るのか試していたのだ。ホテルは大口の案件を抱えることが多く、例えば会社の新人研修で100室1ヶ月利用なんてことがザラにある。支払いは売掛で、現金が手元にくるのは2ヶ月後とかだ。そうなるとホテルがプールしている現金が尋常じゃないくらい必要になってくる。つまりそこに納品する業者も同じ状況に耐えられないとやっていけないのだろう…そんなカラクリを営業課長がこっそり教えてくれた。
知っていたなら最初から言ってくれ!

「行くわよ、冨岡!車を取ってきなさい!」

こうして800万円の未払い騒動は終結した。

僕には''恐ろしい会社''というイメージだけが鮮烈に脳内へ刻み込まれていた。敵に回したらきっと殺されてしまう。

けれど、この事件から一年半後、僕は山田さんとホテルを相手取って小額裁判を起こすことになるのだから人生何があるかわからないものである。

おわり




この記事が参加している募集

仕事について話そう

サポートするってちょっとした勇気ですよね。僕もそう。書き手はその勇気に対して責任も感じるし、もっと頑張ろうと思うもの。「えいや!」とサポートしてくれた方の記憶に残れたらとても嬉しいです。