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Stones alive complex (Lemon quartz)


喫煙ブースのドアが高速で開かれ閉じられた風切り音の余韻の、ドップラー効果だけが聞き取れた。

これは人としての軸に沿う物事の時系列が、逆立ちばかりしているという証拠だ。
簡単な表現に直すと、
侵入者への反応が後手に回ったということだ。

地軸と体軸も連動できていない。
簡単な表現に直すと、
ブースの壁にもたれてぼーっとしているということだ。
23.4度で。

不完全な良心回路が損得勘定に引きずられ挙動の予測もつかない。
つまり、自分自身への意見ですら虚偽の自白をする恐れがある。
簡単な表現に直すと、
密閉された二畳ほどの狭い空間に入ってきた見知らぬ者と閉じ込められ、少しばかりキョどっている。

イオンのどこかのテナントに落としてきた平常心は、収まりどころを求めてまだエスカレーターを昇り降りしてるのだろう。

強制遺伝子アップデートされた人か?
それともただの陰謀論マニアか?!

「自覚できる心境のアセンションと、自覚できない心境のアセンションとだったら、どっちがいい?」

喫煙ブースに入って来たその女は、目を細めた。
金星から人力車に乗ってやってきたような、そんなファッションセンスだった。

彼女の言葉は金星語ではそういう意味になるのかもしれないが、地球の言語では「また値上がりするそうですね・・・」と気まずさを気使う挨拶に聞こえ。
ため息を漏らす唇が、根元まですぐ燃えちゃいそうな細っこいオシャレなシガレットをくわえると、ガスがすぐ無くなりそうな細っこいオシャレなライターを擦る。

火花だけが弾けて、火がつかない。

ほら見ろ!言わんこっちゃない!
言ってないけど!

衝動のパラボラが向きを変える時に、様式美的なカウントダウンが欲しいか欲しくないかという旨の、彼女から投げかけられた質問を考える。

非喫煙者には分からないだろうが、喫煙者は煙を吸っているのではない。

ニヒルな自虐を含んだ優越感を吸っているのだ。
だから、マイノリティに扱われるほど、たしなむ根拠が何種類も捏造される高額納税者エリート意識の苦味が増す。ただし一箱千円超えたらさすがに背に腹は変えられない。愛煙家にとってその未来図はハルマゲドンに勝る。

壁面から気だるげに、額を離し。

「自覚あり、がいいね。
吸いたくなるのを我慢し続けるのと、吸う気を無くされるのとでは、どっちがいい人生なんだろうな?
衝動というものを抜き取られたあげくに得た悟りは、虚無感と区別がつかないと感じるよ」

という意味の、金星語を訳した地球語で、

「良かったら、これ使ってください」

レモン色のLEDライトが装備されてる百円ライターを差し出す。

ちょっとお得感があるのでライト付きばかりいつも買ってしまう。しかし、これまで一度もそのライトが役に立ったためしがない。
使うシーンがない。
付けたやつが想定したこのライトを使うべきシーンが思いつかない。
買った後に一度だけピカッとさせて、ふふっと笑う程度の実用性だ。

常識の城壁へ一足先によじ登る者たちが警告している干支がひとまわりした未来は、
本当に暗闇の氷に包まれているのなら。

氷壁に囲まれた狭き喫煙ブースを、
このダイオードで灯そう。

「もっと別の、例えば移民宇宙船の喫煙ブースで出会っていたら、私たちはどうなっていたのかしら・・・?」

そういう意味の金星語を訳した地球語で「どうも、ありがとう・・・」と見つめ。
ライト付きライターを受け取る指先には、金星で流行ってるらしいサナートクマラのネイルが反射する。
火をつけ、女は一気にシガーを根元まで吸った。

「狭さと密閉度が心躍る仲、になってたろうね」

という意味の「どういたしまして」の会釈をしたら。

彼女はライトのスイッチを見つけて一瞬だけチカッとさせ、ふふっと笑った。

(おわり)

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