見出し画像

マンガとドラマ 歴史改変SF医療ドラマ「JIN-仁-」

コロナ禍で春ドラマの放送休止が相次ぐ中、4月から5月にかけて過去の名作が多数再放送されました。                      その名作群の中で最高の視聴率を獲得したのが、歴史改変SF医療ドラマ「JIN-仁-」。

本来、高視聴率が望めない土日午後の放映にも関わらず、再編集版「JIN-仁- レジェンド」は全6回すべてで2桁の視聴率を記録、最高11.9パーセントは、ゴールデンタイムに匹敵する高視聴率でした。 

もともとドラマとして非常に優れた作品だった事に加えて、江戸時代にタイムスリップした現代の脳外科医である主人公南方仁が、コロリ(コレラ)などの感染症と闘うというドラマの内容が、現在、新型コロナの災厄に見舞われている多くの国民の共感を呼んだとものと思われます。

原作は、「龍-RON-」と並ぶ村上もとかの代表作。           そもそも原作自体が、医療系ヒューマニズム・マンガの金字塔と言っても過言ではない傑作で、非常にクォリティの高い作品でした。

ドラマのほうもTBS開局60周年記念番組と銘打つにふさわしい出色の出来栄えで、原作に恥じない立派なドラマを作ろうというスタッフの熱意と心意気を感じました。                          

脚本、演出、出演者、セット、音楽、CGなどが見事に融合し、特にテレビドラマとしてはお金をかけたであろう江戸の町並みを再現したセットや膨大な数のエキストラは、当時の江戸庶民の暮らしを臨場感をもってリアルに再現していました。                           

第一部は、2009年の全民放局連続ドラマの中で最高の視聴率を獲得し(第二部完結編は「家政婦のミタ」に次ぎ2位)、作品の内容と視聴率が珍しく一致した好例となり、80ヶ国以上に輸出され、海外でも高く評価されました。

さて、ここからは作品について、少し分析を加えてみましょう。

原作の改変は、映画化やドラマ化の際、広く一般的に行われていることですが、困ったことにこれが改悪になっている場合が珍しくありません。   原作小説やマンガが素晴らしくて感動したのに、映画やドラマになったら、ガッカリしたというよくあるケースです。     

限られた時間枠の中で、長大な原作(オリジナル版は全20巻)の全エピソードをドラマ化することはもとより不可能なのですから、どこかを削り、どこかを残すしかありません。

また、新たなアイデアを追加したり、内容に整合性を持たせるために必要に応じて手を加える必要も出てきます。                 その切り分け方や重点の置き方、変更の仕方が肝で、これを間違えるととんでもないことになります。                      

その点、ドラマ「JIN-仁-」の場合は、それが実に見事なのです。     ドラマでは、元の時代に野風そっくりの病気の恋人が存在する(今後の重要な伏線)、二人の写真が映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように変化したり、消えそうになったりするのは、新たなアイデアの追加例です。                                  また、少女時代の野風を描いたエピソードは原作をうまく膨らませていて、子役の好演もあり鮮烈な印象を残します。               

しかし、一番違うのは南方仁先生の人物設定ではないでしょうか。    原作の仁は割とドライで困難に直面してもバッサバッサと問題を解決していく「決断力と行動の人」です(だから女心が分からない?)。      それに突然江戸時代にとばされても、あまりホームシックにもかからず、環境適応力に富んだ人のようです。                   

対してドラマの方は、かなりウエットで難題に直面するとあれこれ悩んだり、考えすぎたりして逡巡し、なかなか決断できない「優柔不断な人」のように描かれています。

ホームシックにはなるし(平成の世に病気の恋人を残してきているから?)、しょっちゅう泣くし、かなりいくじがないキャラクター設定になっています。                             先に原作を読んでいたので、最初の内は相当違和感を感じました。

では、なぜ、最も重要な主人公のキャラクターを変えてしまったのでしょうか?                                多分、スタッフは、南方仁を原作のように「完成された人格」としてそのまま描いてしまうと、よくある「スーパードクターもの」になりかねないことを危惧したのかもしれません。  

現代の最先端医療従事者である南方仁は、江戸時代では知識や情報量、技術力、合理的・科学的思考力、情報収集力などの知的・技術側面においては文字通り「スーパージャイアンツ」のような存在なのですから。

未来の歴史を知っているので、預言者にだってなれますよね。

製作者たちは、そのような卓越した問題解決力で難問を次々に解決していく「ヒーローもの」ではなく、仁をまだ「未完成の人格」として設定することで、このドラマを仁と咲二人の青春・成長物語にしたかったのではないでしょうか。                             そして、その改変は、ドラマとしては見事に成功していたように思われます。

実を言うと第三話あたりまでは、原作のダイジェスト版のような感覚で観ていました。                             「オッ、なかなかやるじゃないか!」と評価を改めたのは、仁が野風と出会う第一部第四話からでした。 

この回の二人の出会いのシーンはことのほか鮮烈で、セットの素晴らしさも手伝って、作品の質がこの回から突然一段階も二段階もアップしたように感じました。                             先に書いた野風の子ども時代のエピソードもこの第四話に挿入されていたものす。 

梅毒との闘いとペニシリンの製造を描いた第五話も力が入っていました。 作者の村上もとかは、「JIN-仁」の連載を始めた動機を自分の著書の中で、「当時の江戸に蔓延した梅毒のことを描きたかったから。」と語っています。                                

そして、第七話に圧巻のシーンが待っていました。           終盤、仁が、重い結核で死期の近づいた緒方洪庵を見舞います。     仁の正体についてうすうすある疑いを抱いていた洪庵が、冥土のみやげにと仁に問いかけます。                        「先生は未来から来たお人でしょう?」   

緊迫する仁と洪庵の二人のバストショットを短いカットで交互に描写していく撮影が素晴らしく、また、相互のかけあいや間の取り方も絶妙で非常に見応えがあり、シリーズ全エピソード中でも白眉の名シーンになっていました(武田鉄矢好演!彼の右翼的言動は大嫌いですが)。                                             原作ではわずか5ページのこの場面をドラマでは10分近くに膨らませ、この回に至るまでに張り巡らされた伏線が、一気に回収される胸に迫るシーンに仕上げたスタッフの手腕は並々ならぬものがあります。         
                                  以上のように、原作の設定を変更する、いくつかのエピソードを思い切ってカットし、その代わり新たなシーンや台詞を付け加える、さらりと流している部分を大胆に膨らませるといった改変が見事に成功して、このドラマを感動的で質の高いものにしていました。

蛇足を少々。
後に重要な役割を演じることになる新門辰五郎には、当初、藤田まことが予定されていました。                         しかし、残念なことに直前になって藤田まことが病気のため降板し、中村敦夫に変更になってしまいました。                   心配したとおり、中村敦夫、やっぱりへたで重みがなかったです。    藤田まことの新門辰五郎、観たかったな~。

野風の郭言葉いいですねー。                     このドラマの放映後、野風の話し方が女性や子どもたちの間ではやったそうですが、「わちきも口癖になりそうでありんした~。」

最後に原作マンガですが、ドラマ化が決まってから、どうもドラマの最終回に合わせるために完結を急がされたらしく、ラストがかなり駆け足になり、バタバタと大急ぎで風呂敷をたたむような形で終わってしまったのが残念でした。

ドラマ化されたり、坂本龍馬や西郷隆盛など幕末史上の有名人や政治的事件に必要以上にコミットしたりすることなく、序盤のように市井の江戸庶民の生活や病との闘い、当時の様々な社会問題、漢方医と蘭方医との対立、外国人医師たちとの交流等を淡々と描いていれば、もっと続けられたので はないかと少し残念な気がしました。

もっと長く、いつまでも読み続けていたかったです。



この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?