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ライオンのおやつ 【後編】


小川糸さんの『ライオンのおやつ』を読み終えた。
前回はあらすじと、小説の中に出てきた美味しそうな食べ物や、それにまつわる薀蓄をご紹介した。

今日は、人生とは死とは


雫の死期が近づくにつれ、こっち側とあっち側を行き来し、その境が微妙になっていく描写が印象的だった。死は、ある日突然バッと起こるのではないのだと、死へ穏やかに向かっていく感じが温かい。こんなふうにゆっくりと眠りに落ちていくような最期を迎えられるのは幸せだと思えた。


ライオンの家では、入居者が亡くなった日はエントランスにろうそくが灯される。

ろうそく自身は自分で火をつけられないし、自ら火を消すこともできません。一度火が灯ったら、自然の流れに逆らわず、燃え尽きて消えるのを待つしかないんです。
生きることは、誰かの光になること。
自分自身の命をすり減らすことで、他の誰かの光になる。そうやって、お互いにお互いを照らしあっているのですね。


生きることは、誰かの光になること。

ろうそくの火がスーッと消えるところを想像したら、それはとても美しい瞬間に感じた。この小説を読んだから、死というものが怖いだけのものではないんだと、希望を感じている私がいた。自分が死ぬ時もそうでありたいし、亡くなった家族もそうであってほしいと願わずにはいられない。


小説の最後の30ページあまりは、雫が亡くなって3日間の、残された人々のお話。
植えたはずのない球根が芽を出していたり、雫が他の入居者の夢枕に立って励ましたり、太陽に向かう流れ星のような光の群れを見たり。

島でワインを作っているタヒチくんは、雫とある約束をしていた。
死んだ後にもお楽しみがあったら、救われる気がするの。」と雫が言っていた、亡くなって3日目の夕方、ビーチに来て雫に手を振るという約束。タヒチくんは約束を守った。

タヒチくんにとても共感した。
タヒチくんは雫の死を”あえて言葉にするなら、実物に会えなくなって残念”と表した。悲しい、寂しいはもちろんあるのだがそれは時間と共に薄れて、残された人がこれぐらいの気持ちに到達したら、亡くなった人との繋がりだけが残る気がした。
誰かの死を辛い、悲しいと重くしてしまうより、なんだか良いなぁ。


本作の帯にはこんな一文がある。


人生の、最後に食べたい”おやつ”はなんですか


考えた。考えたけど思いつかない。これは、これからの私の人生の宿題だ。これから食べる物になるか、既に食べたことのある物になるか。私のこれからの生き方で変わるから。


それにはもう一つの宿題。

思いっきり不幸を吸い込んで、吐く息を感謝に変えれば、あなたの人生はやがて光り輝くことでしょう


口から愚痴や不満じゃなく感謝を吐く、そういう生き方ができたら最高だ。そういう生き方をするかしないか、私次第だから。日々精進だ。



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