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「好き」は無敵


私は元々メモ魔で、自分の読書ノートにはメモを貼り付ける為のページがあったりする。読めなかった漢字をメモったり、小説に出てきた実在の場所や美術品や歴史上の人物など”知らなかった事”や”覚えておきたい事”や。それが実際に役に立ったかどうかはさておき、そこを見れば、あぁそうだったと思い出すことはできるから。


最近多いのは、心に残ったフレーズのメモだ。以前から小説の中のお気に入りのフレーズは読書ノートに書いてはいた。だけど小説だけじゃなくて、新聞やテレビドラマの中にも心にグサリと刺さるフレーズはある。心にグサリと刺さったのに後から思い出そうとしても覚えてなかったり、刺さったことさえ忘れてしまうこともあった。それを今はnoteに書く。noteに書けば忘れないどころか、深く考えることになる。良い傾向だ。


8月2日の日本経済新聞の文化面、脚本家の木皿泉さんのエッセイから。

「好き」は私の中では無敵だ。これほど人を強くするものはない。その人に自信を与え、目は外の世界へと広がってゆく。(中略)何かを好きになると、それを取り巻くすべてが大切に思える。

「好き」は無敵。さすが物を書く人の言葉はインパクトがある。
noteの「スキ」もそうじゃない?スキがもらえたら嬉しいし、スキをくれた人の記事を読みたくなるし、また頑張ろうって思えるわけだから。noteの世界でも「スキ」は無敵だ。


以前私は
「好きになったら芋づる式」という記事を書いた。

読書でも音楽でも最初の「好き」の入り口があって、そこからどんどん広がっていく感じを芋づる式と表した。好きが進むと、私が好きな作家さんの好きな作家さんとか、私が好きになった歌手が影響を受けた人の音楽とかも気になるようになる。
それが何かの役に立つかどうかは別として、ちょっと大袈裟に言えば人生が豊かになったことには違いない。

しかし、この感じを

好きになったら芋づる式

と表すダサい私と、

「好き」は無敵

と表すカッコ良い木皿さん。どっちが読みたくなるかっていったら絶対木皿さんの方だ。

タイトルの大切さも学んだのだった。



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