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笑顔を着る人

18日、知人が亡くなった。その方は元々義姉の知り合いで、私も何かと顔を合わせることがあり、会えば立ち話するくらいになっていた。
いつも明るく気さくな方で、顔を覚えてくださってからは「あら、元気?」と、いつもあちらから声をかけてくださった。忙しく動いていることが好きだとおっしゃって、いろんな活動に参加され、大体において責任者の立場に就かれていた。私もある活動に参加したときに、「若い人(その方から見れば私は若い)のアイディアを聞かせて」と、ペーペーのペー、末端の端っこの端の私にも意見を出す機会をくださった。私の出したアイディアに「貴方らしい」と言ってくださり、「今は個性が大切な時代だから、自信を持って」と、実際私の出したアイディアはちょっと方向性が違ったみたいでボツになったが、ちゃんとフォローしてくださった。

71歳。年代は違うけど、私はその人のことを友達みたいに思っていて、とても好きだった。元々ポッチャリした人で、服装も田舎の垢抜けないおばさん然だったのが、何年か前からほっそりされ、それに伴って服装や髪型が垢抜けてオシャレになった。

「痩せられたんですね」
「そうよ、ダイエットしてるの」
「わぁ、すごいです。」
「ふふふ。良いでしょう?」私はそれを信じていた。痩せただけならともかく、服装までオシャレに垢抜けていたので、ダイエットしてオシャレがしたくなってという、女心だと信じていた。

亡くなって初めて知った。その人は癌だった。それを知ってその人のことを思い出そうとしても、もしかして体調が悪いのかな?と思ったことは一度もなかった。いつも明るく元気で、そして前よりもオシャレになったその人はイキイキしていた。もしかすると、ご本人は病気のことを知らなかったのかもしれない。詳しいことは聞いていないのでわからないが、もしそうだとしても、あの明るさ、元気さは本物だったと思う。

入院中の母を思い出す。入院した直後から、いつ亡くなってもおかしくないと言われていたにも関わらずどんどん回復して(いるように見えた)退院を視野に入れてのリハビリに励んでいた。ずっとベッドに寝ていた母が、ある時ちょっと私が窓の外を見ていて、振り向くとベッドに座っていたことがある。私はビックリして「え?今の間に座ったの?すごいね」と褒めると「すごいでしょ」と自慢げに笑った。歩く練習がうまくいってリハビリの先生に褒められた話や、看護士さんに軽口をたたいて笑わせたり、母はいつも私の前では元気そうだった。そう見せてくれていたのだ。多分私が知らない時間も、医師や看護士の前でもそうだったに違いない。から元気。人から見たらそう見えたかも知れない。でもそれで良いと思えた。体のことなんて100%解明されてるわけじゃない。もしかすると母には奇跡が起こるのかも知れないと、皆が希望を持って接してくれたなら、きっと母も嬉しかったと思う。「大丈夫ですか?」と言われるより「今日も元気ですねー」と言われたら、少しくらいキツくても「元気、元気」と笑える。辛そうにしている人の前では誰もが諦める。

実際のところは分からない。母も、義姉の知人であるその人も、今はもういない。でもそういう振る舞いは残された者にとってはとてもありがたいこと。思い出すのは辛そうな顔ではなく明るくイキイキした顔。そして笑顔が思い出になるのは、亡くなった本人にとってもきっと嬉しいことだ。

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