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ジャングルの深いい話


先日テレビで”実写版ジャングルブック”の放送があった。小さい頃私はジャングルブックの絵本を持っていたが、正直ストーリーは覚えていなかった。子どもと一緒に観れるジャンルの映画は余程の評判でもないと映画館で観る映画としての優先順位が下がってしまいがち(私の場合です)なのですが‥映画館で見なかったことが勿体ない!!!!と思えた、とても良い映画だった。


長年愛され続けた物語。映像技術が発達した時代に満を持して実写版を作る、故に映像全体の素晴らしさについては折り紙付きだ。主人公モーグリ役の子はグリーンバックの前で1人で演技をしたのかと思うとよくやったと拍手を送りたいし、モーションキャプチャーでの動物たちの動きや表情がとにかくリアルで、もしかして動物プロダクションの動物たちが実際に演じてるの?と思わず思ってしまうほどだ。もちろん全部CG‥!お見事!


モーグリはいわゆる”オオカミ少年”だ。「嘘つき」のほうではなく、オオカミに育てられた人間の子ども。父親とジャングルに入ったところをトラ(シア・カーン)に襲われ父親は亡くなり、ジャングルに1人置き去りになった。その子を黒ヒョウ(バギーラ)が救け、オオカミたちに託す。雌オオカミ(ラクシャ)はモーグリを自分の息子として育て、オオカミたちのリーダー(アキーラ)は、モーグリにお前は人間じゃなくオオカミなんだと、オオカミらしく生きることを教える。シア・カーンは獲物として執拗にモーグリを狙い、オオカミたちはモーグリの安全のために人間の村へ逃がそうとする。


実写版ではモーグリは人間の村へは行かず、ジャングルに戻ってシア・カーンと戦うことになる、、、とまあ、これが大まかなあらすじ。



イソップ物語に卑怯者のコウモリの話がある。鳥と獣の争いで、有利な方へ何度も寝返り、争いが終わった後は鳥、獣両方から仲間外れにされる話だ。
モーグリはジャングルでオオカミたちにオオカミとして育てられる中で、人間らしい事、すなわち道具を使う事を禁じられる。しかし、クマのラグーは道具を使っていろいろな事を成し遂げるモーグリを見て、モーグリはオオカミにならなくていい、モーグリはそのままのモーグリでいいんだ、と言ってくれた。そのままの、とは道具を作りそれを使う知恵を持っており、その事がやがてはジャングルの仲間たちの役に立つという事。イソップのコウモリとは逆で、モーグリは人間とオオカミの両方であり、またどちらにも完全にはなりきれない。そう、モーグリはハイブリッドなのだ。


またもやイソップ物語に北風と太陽の話がある。旅人の上着を脱がせる事に成功するのは、強引な北風ではなく、優しく暖める太陽だ。
ジャングルの動物たちが人間の何を1番恐れているかというと、それは”赤い花”、つまり””だ。触れるだけで全てを焼き尽くす火。火を生み出しそれを操れるのが人間であり、それは人間にしか出来ない事。火を恐れる者もいれば欲しがる者もいる。火を使い動物たちを支配するという生き方も出来たかも知れない。だがモーグリが選択したのは火の無いジャングルでの生活だ。そうすることでジャングルの動物たちの心が1つになった。北風より太陽だ。


ジャングルの動物たちが異種なモーグリを受け入れるか排除するか、このあたりは差別に対する作者の意図があるのだろう。作者のラドヤード・キップリングはインドに生まれ、その後イギリスで育つが、イギリス時代に預けられていた家の人たちから精神的虐待を受けていた。インドとイギリス、どっち付かずの自分の生い立ちをモーグリに投影していたのだろう。


また、本作中では人間は受けた恩に報いる義理堅い生き物であると描かれている。モーグリに恩を着せ蜂蜜取りに協力させるクマのラグー。オオカミのリーダーがシア・カーンに殺されたと知ればモーグリはきっと敵を討ちにジャングルに帰って来るだろうと見越して、オオカミの丘でモーグリを待ち受けるシア・カーン。皆、人間の義理堅さを信じている。


実際の私たち、人間は本当に義理堅いのか?

シア・カーンが怖くて2度とジャングルには戻らないと言い出す人間はいないのか?


人間という種として、その期待に応えられる自分かどうか、考えさせられる。応えられる自分になりたいと思った。

始めに子どもと一緒に観れるジャンルの映画と言ったが、実は結構怖いシーンやドキドキするシーンが沢山あるので、実際に子どもと一緒に観るのは子どもが少し大きくなってからの方が良いかも知れない。


*追記・以前記事に書いたカルガモが、この土日の間に孵化→お引越し、してしまいました。結局行列はおろか、雛の姿さえ見ることは出来ませんでした‥残念‥。



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